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初秋の上州
歴史・文化の拠点を行く

F蘇れ草軽鉄道

青山貞一 池田こみち
掲載月日:2013年9月15日
 独立系メディア E−wave Tokyo

 内 容 目 次
@ 渋川市の水澤寺 E 常林寺の道祖神と秋花
A 四百年の歴史をもつ水澤うどん F 蘇れ草軽鉄道
B 浅間山大噴火と鎌原観音、常林寺 G 旧草軽鉄道と高峰秀子
C 浅間山大噴火と天明大飢饉 H 旧北軽井沢駅
D その後の常林寺 I 旧北軽駅周辺の自然

 かなり以前に一度、独立系メディアの論考に書いたことがあるのだが、1961年(半世紀前)まで、長野県の軽井沢町と群馬県の草津町の間の約56kmをトロッコ列車に類する「草軽鉄道」が結んでいた。何とそのちょうど真ん中に、北軽井沢駅があったのだ。

 以下は最新のデジタル技術で再生修復してみた「草軽鉄道」の写真である。


往年の「草軽鉄道」


草軽鉄道の草津温泉駅跡
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


往年の「草軽鉄道」
 
 残念ながら半世紀前に、「草軽鉄道」は、廃止され、現在はと言えば、長野県の軽井沢から群馬県の草津までは路線バスが走っている。とはいっても1時間に1本あるかどうかだ。

 下記はWikipedia に掲載されている「草軽鉄道」の歴史である。

◆草軽電気鉄道(くさかるでんきてつどう)

 長野県北佐久郡軽井沢町の新軽井沢駅と群馬県吾妻郡草津町の草津温泉駅を結ぶ鉄道路線(軽便鉄道)を運営していた東急グループの鉄道事業者。鉄道事業廃止後も、会社は草軽交通というバス会社として残っている。

歴史

1915年(大正4年)7月22日 草津軽便鉄道が新軽井沢〜小瀬(のちの小瀬温泉)間開業。
1917年(大正6年)7月19日 小瀬〜吾妻間開業。
1918年(大正7年)6月15日 地蔵川駅開業。のちの北軽井沢駅。
1919年(大正8年)11月7日 吾妻〜嬬恋間開業。
1920年(大正9年)8月11日 国境平駅開業。
1921年(大正10年)10月15日 小代駅開業。
1923年(大正12年)11月9日 長日向駅開業。
1924年(大正13年)11月1日 新軽井沢〜嬬恋間電化。
1925年(大正14年)2月29日 草津電気鉄道に社名変更。
1926年(大正15年)8月15日 嬬恋〜草津前口間開業。以降は開業当初から電化。
1926年(大正15年)9月19日 草津前口〜草津温泉間開業。全線開通。
1932年(昭和7年)6月3日 旧道駅開業。
1936年(昭和11年)7月10日 湯沢駅開業。
1939年(昭和14年)4月28日 草軽電気鉄道に社名変更。
1945年(昭和20年)4月1日 東京急行電鉄の傘下に入る。
1959年(昭和34年)8月14日 台風のため、吾妻川橋梁が流失。嬬恋〜上州三原間が不通となり代行バス運行。その後、復旧されることなく廃止された。
1960年(昭和35年)4月25日 新軽井沢〜上州三原間廃止。
1962年(昭和37年)2月1日 上州三原〜草津温泉間が廃止され全線廃止。


停車駅一覧

新軽井沢駅 - 旧道駅 - 旧軽井沢駅 - 三笠駅 - 鶴溜駅 - 小瀬温泉駅 - 長日向駅 - 国境平駅 - 二度上駅 - 栗平駅 - (臨)湯沢駅 - 北軽井沢駅 - 吾妻駅 - 小代駅 - 嬬恋駅 - 上州三原駅 - 東三原駅 - 万座温泉口駅 - 草津前口駅 - 谷所駅 - 草津温泉駅

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):新軽井沢〜草津温泉間 55.5km
  • 軌間:762mm
  • 駅数:21駅(起終点駅含む。路線廃止時点)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線(直流600V)

    出典:Wikipedia

 さらに「草軽交通」の公式Webには、

 草軽電鉄の創業は、スイスの登山電車のように高原の避暑地へ、又、草津温泉へと旅客を導くというアイデアに端を発し、さまざまな努力によって会社設立へこぎつけた。

 明治45年2月草津軽便鉄道株式会社発起人一同による「創立の趣旨」の中には次のように書かれている。

 「本鉄道は、一面草津その他沿線の旅客を目的とするとともに、草津方面に出入する物資及び長野原・嬬恋・吾妻牧場付近より積み出す木材・薪炭・その他貨物輸送のため」「この地方の発展に資するところあらんとする。」
とある。



 また、


 大正14年草軽電気鉄道と社名を変更。大正15年9月、軽井沢〜草津間、全長55.5kmが全線開通し、『四千万尺高原の遊覧列車』をキャッチフレーズに草軽電鉄は活気にあふれた時代を迎えた。多くの文士や著名人が軽井沢、草津を訪れた。

 湯治客や避暑客を乗せて走った草軽の電車は、戦時下、戦地へ赴く出征兵士達を運ぶようになった。


とある。まさに日本近代の歴史がここに見てとれる。

 もちろん、軽井沢と草津は、長野県と群馬県を象徴する観光地である。上記からは開通当初から高原の避暑地や草津温泉に旅客を導くという目的とともに、
木材・薪炭・その他貨物輸送のためにも使われていたことがわかる。

 いずれにせよ、現在でも全国区となっている軽井沢と草津の名所をアプト式のような登山列車で結んだのだから、往事は多くの観光客でにぎわったものと想像できる。

 昭和37年の廃線の後に 草軽電気鉄道株式会社より発行された「草軽電鉄の歩み」に路線図がある。以下に示す。見てわかるように、北軽井沢が草軽鉄道のちょうど真ん中にあることがよくわかる。

 北軽井沢から北側、すなわち草津側に2駅行ったところにある小代駅は、比較的常林寺に近い場所である。


草軽電気鉄道株式会社より発行された「草軽電鉄の歩み」より転載

 ところで、もし、いま、軽井沢から北軽井沢を経由し草津までゆく鉄道があったら、別荘族だけでなく、草津の温泉めぐりを楽しむひとびと、スキーや登山を楽しむ人、本物の自然景観を楽しみたい人などにとって、どれほどありがたいのではないかと考える。

 確かに保養所や別荘から上信越高原国立公園や浅間山系、白根山系などには乗用車がないとどうしようもないが、もし「草軽鉄道」があれば、自然と人間が共生するさまざまな楽しみ方があるだろう。

 その意味で、21世紀、地球温暖化時代を迎えた今でこそ、この種の新草軽鉄道のような公共輸送機関の出番ではないだろうか?

つづく