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バルト3国現地調査 フィンランド
ヘルシンキの概要

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

10 April 2010 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

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【フィンランド・ヘルシンキ】 【ヘルシンキ歴史地区】
@ターリンからヘルシンキへ Cヘルシンキ大聖堂
Aフィンランドの概要 Dウスペンスキー寺院
Bヘルシンキの概要 E広場・公園・国会議事堂

●2010年2月21日(日) ヘルシンキの概要

ヘルシンキとは


 ヘルシンキ(フィンランド語:Helsinki、スウェーデン語:Helsingfors)は、フィンランド共和国の首都。

 バルト海の最奥、フィンランド湾の北、多島海のヘルシンキ湾に面している。別名「バルト海の乙女」。スラングで主にヘルシンキ市民にはスタディ(Stadi),市周辺住民にはヘサ(Hesa)とも呼ばれている。

 ヘルシンキ市の人口は565,000人。ヘルシンキ市の周辺にはエスポー、ヴァンターなどの衛星都市があり、約100万人が住んでいる。フィンランドの公用語がフィンランド語とスウェーデン語の二言語であるため、二言語併用が原則となっているほか、地名(駅名、停留所名なども)はフィンランド語、スウェーデン語で別々に存在する。

 市内には様々な教会があり、中には1967年にスオマライネン兄弟によってデザインされ、岩盤をくりぬいて作ったテンペリアウキオ教会などがある。

 2007年にはユーロビジョン・ソング・コンテストが開催された。


ヘルシンキ大聖堂とヘルシンキ港周辺

歴史

 1550年、スウェーデン国王のグスタフ1世によって、バルト海貿易の中枢であったハンザ同盟都市、エストニアの首都タリンに対抗する目的で建設された港湾都市である。

 当初、ヘルシングフォシュHelsingfors(とスウェーデン語で名付けられ、今日でもスウェーデン語ではそう呼ばれている。命名の由来には諸説あるが、(川の狭まった場所)の意味などとされる。そこからフィンランド語のHelsinkiが生まれる。

 都市の建設と入植は困難を極め、火事、疫病、飢饉、戦争など度重なる災禍に見舞われ、特に1710年のペストでは人口の3分の2を失った。町の存亡さえ危惧され、長い間バルト海の他の都市に圧されていた小さな港町だったが、スオメンリンナ要塞の建設が、都市の発展の契機となった。特に第2次ロシア・スウェーデン戦争(フィンランド戦争)で軍事的な重要性を帯る。

 戦争の結果、1809年にフィンランドはロシアに割譲されフィンランド大公国が誕生、ロシアのアレクサンドル1世が1812年にフィンランド大公国の首都をスウェーデンに近いトゥルクからスオメンリンナ要塞のあるヘルシンキに遷都させたことで、フィンランド一の都会へと変貌を遂げることになる。

 ヘルシンキ大学もトゥルクから移り建学。1808年の大火で町の3分の2が消失していたことで、それを契機にエーレンストレムらを中心に新都市の計画が練られ、新古典主義建築の多い近代都市に生まれ変わった。新首都の計画・建設にはロシア皇帝自らの意向が深く反映された。

 第1次世界大戦後の1917年にフィンランドは独立を宣言、ヘルシンキは正式に首都となるも、1918年に始まるフィンランド内戦では赤軍に陥落する。白軍によって奪回され、被害はタンペレなど国内の他都市に較べ軽微であった。

 内戦後、エリエル・サーリネンらによって都市の再開発が試みられた。第2次世界大戦期には、冬戦争ならびに継続戦争で、ソ連軍の猛爆撃を受けるが、都市防衛には成功し、第2次世界大戦における首都の戦禍としてはヨーロッパの参戦国では最も軽微で済んだ。

 1952年には夏季オリンピックを開催。着実な復興を世界に示した。都市圏の肥大化はヨーロッパの諸都市の中では遅れて始まり、1990年代になってから、ヘルシンキ首都圏の成長率は、ヨーロッパで最も目覚しいものになっている。その一方で、EU加盟国の首都の中では、人口密度がブリュッセルに次いで低く、自然環境の保護にも成功している。

 なお、ヘルシンキ及びその周辺には以下の大学がある。



■ヘルシンキ視察予定

 ターリンクの高速艇はオリンピアターミナルに到着した。


ヘルシンキの中心市街地と現地視察先候補地

 ヘルシンキでの私達の予定は、以下の通りである。

 @バスでオリンピアターミナルからヘルシンキ中央駅

 その後、
 A徒歩でヘルシンキ大聖堂
 B元老院広場
 Cウスペンスキー寺院
 D大統領府
 Eマーケット広場

 その後、
 Fエスプラナーデ公園
 Gフィンランド国会議事堂
 H中央バスターミナル
 Iヘルシンキ中央駅
 Jバスでオリンピアターミナル

 その後
 KBaltic Princess号でターリンに


まずはヘルシンキ中央駅へ

 ターリンクの発着所であるヘルシンキ港のオリンピアターミナルに高速艇が着いた。下がオリンピア・ターミナル。



 ターミナルビルの外に出ると市街地行きの路線バスのストップがある。下はバス停である。



 目指すヘルシンキ中央駅は15番系統であることが分かり、そこに並ぶこと数分でバスが到着した。これは長距離バスではなく、路線バスである。バス料金は運転手から買ったので1人、2ユーロ(250円検討)だったが、あらかじめ券売機で買えば2ユーロである。これはバルト3国でも同様で、バス内で運転手から購入すると高くなる。

 なお、今回は半日しかヘルシンキにいないので1日券、3日券、5日券などの周遊券を買わなかったが、長期滞在する場合はそれを買った方が断然リーズナブルである。



 ↓があとで見つけた券売機。分かりやすい。



 下の写真はバスの内部。結構混んでいた。 



 10分ちょっとでヘルシンキ中央駅にバスが到着。下は中央駅である。それにしてもターリンよりサラに積雪があり、外気温は寒い。風が吹かないときでもマイナス16度前後だ。中央駅は終点となっており、ここからフィンランドの各地、それにスウェーデン、ノルウェーなどにも列車が出ている。










つづく


【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition