エントランスへはここをクリック   

2018年・東日本大震災
復旧実態調査(福島県編)
〜福島県浜通り最北自治体、新地町〜


青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2018年7月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo
 転載禁

◆相馬市で宿泊

 私たちは、国道6号線上で車で相馬市まで空間放射線量を計測しながら進み、相馬市で計測を終了した。

 その後、夕方に相馬駅前のビジネスホテルにチェックインし夕食に出かけた。下の写真はJR相馬駅の駅前である。

 見てお分かりのように、相馬駅近くにはほとんどレストランがない。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 軒居酒屋があり、やっと見つけその一軒に入り魚介類を中心に夕食をとった。4種類を注文したが、どれもリーズナブルでおいしかった! 


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


◆福島県最北の町、新地町へ

 宿泊翌日の6月18日、福島県最北部の新地町に向かった。下は新地町役場である。その昔、JR常磐線が止まっている頃、南相馬市で委員会があり、東京から新幹線で行き、仙台から南相馬に行く途中、鉄道が寸断されており、バスに乗り換え南相馬に行くとき、よく以下の写真にある新地町役場前でバスが休憩した。

 さらにこの役場の前にある仮設店舗で池田の知人が美容院をしており、現地視察の時お邪魔してインタビューなどをしたこともある。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は南相馬に行くバスがUターンした新地町役場駐車場である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下の右端の仮設店舗がヨシダ美容室である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


◆新地町の概要・沿革

 新地町は福島県と宮城県の県境の福島県側にある自治体である。北に行くと宮城県の山元町となる。池田の知人の新地町議の吉田さんによると、新地町は明治以前、すなわち江戸時代、仙台藩(伊達藩)に含まれていたという。

 確かに以下のWikipediaを見ると、新地町は仙台藩(伊達藩)に含まれている。

※ 仙台藩は、江戸時代に陸奥国の仙台城(現・宮城県仙台市)に藩庁を置いた、表高62万石の藩である。現在の岩手県南部から宮城県全域までと福島県新地町の約60万石を一円知行で治め、現在の茨城県および滋賀県に合計約2万石の飛び地があった。江戸時代を通じて外様大名の伊達氏本家が治めた藩であり、伊達藩と呼ばれることもある。

 周知のように今の福島県は、江戸時代までの会津藩も西側に含めている。すなわち、現在の福島県には幕末に、親藩かつ雄藩だった会津藩(23万石)があったが、他は親藩・譜代・外様の10万石に満たない多数の藩に分かれていた。廃藩置県後会津の前身にあたる若松県、中通りの前身にあたる福島県(1876年以前)、浜通りの前身にあたる磐前県の、計3県の合併によって当県が成立している。

 なお、福島県の浜通りは、江戸時代には中村藩(他と区別するために相馬中村藩ともいう)が旧陸奥国の標葉郡から宇多郡まで(現在の福島県浜通り北部)を治めていた。藩主の姓から相馬藩、本拠地名から中村藩とも呼ばれる。


出典:グーグルマップ

 下のグーグルマップは福島県新地町である。


出典:グーグルマップ

 新地町は、推計人口、8,214人(2018年4月1日)、町の沿革は以下のとおりである。

・明治22年(1889年)4月1日 - 谷地小屋村・今泉村・小川村・杉目村・大戸浜の計5か村が合併して宇多郡新地村が発足。

・明治29年(1896年)4月1日 - 宇多郡と行方郡が合併して相馬郡が発足。相馬郡新地村となる。

・昭和29年(1954年)8月20日 - 駒ヶ嶺村・福田村と合併し、新制の新地村となる。

・昭和46年(1971年)8月1日 - 町制施行し、新地町となる。

 新地町は、もともと漁業中心のまちであり、まちの南端に大きな漁港があった。


◆東日本大震災と新地町

・平成23年(2011年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震により発生した大津波が襲来。死者116名、住宅全半壊577戸。常磐線新地駅や史蹟・観海堂が流失するなど、町の沿岸部に甚大な被害をもたらした。

 3.11大地震・津波により町民は壊滅的な人的、資産上の被害を受けた。

 新地町では、漁師らは大津波の来襲を聞いた後、それぞれ自分の漁船を沖合に出すことで、船舶の損害は防げたものの、住宅地や市街地、国道6号線、常磐線の軌道は壊滅的被害を受けた。 とくに残された家族が亡くなるという悲劇となった。

◆3.11後の現地調査 2011年9月19日

 2011年9月19日に、青山貞一、池田こみち、鷹取敦の3名で現地調査を行った際、町民に対し以下のインタビューを行っているのでお読みいただきたい。

福島県新地町 被災者インタビュー(1)
 青山貞一  池田こみち 鷹取敦 東京都市大学青山研究室

福島県新地町 被災者インタビュー(2)
 青山貞一  池田こみち 鷹取敦 東京都市大学青山研究室

新地町被災者から届いた一通の手紙
 青山貞一  池田こみち 鷹取敦

 以下は2011年9月19日に撮影した現地の写真である。


撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画

 3.11津波の際沖合に避難し助かった漁船。全体の70%が助かったという。


撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画

 下は津波で破壊された漁港近くの防潮堤。


撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画

 津波では無きされた自動車


撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画


撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画



撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画



撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画

 下はJR常磐線の新地町駅の周辺。すべて流されていた。


撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画

 新地町のがれきの山。


撮影:青山貞一 5OX HD VideoCamera動画より切り出した静止画

 下は津波で流された新地町の沿岸側の住宅地。


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G



撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G

 下は津波で破壊された後のJR常磐線の軌道。


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G

 下は津波で流された新地町の沿岸側の住宅地などの震災がれき。


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G



撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G

 下は津波で流された市街地にあった吉田博氏の奥様が経営する仮店舗の美容院。新地町役場前にある。


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G

 下は津波で破壊された新地町の沿岸部の堤防。


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G

 下は津波で破壊されたた新地町の漁港。


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


つづっく