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新春モンテネグロ紀行

モンテネグロ探訪(1)
コトル
 Kotor

青山貞一池田こみち

April  2007
無断転載禁
       

2007年3月11日

 昨日の食べ物の残りと牛乳で朝食をとる。

 今日はアパートのご主人にドブロブニク空港まで自動車で送ってもらい、空港でレンタカーを借りる。風は少しおさまったが、相変わらずの曇り空だ。

 ドブロブニク国際空港に到着。おどろいたことに、下の写真のように空港には人影がない。肝心なレンタカー屋も誰もない。

ドブロブニク国際空港 人影がほとんどないレンタカーゾーン

 やっと見つけたひとに何で人がいないのか聞く。

 すると、何でも強風で午前中の飛行機便はすべてキャンセルとなっているという。確かに昨日から今朝はすごい風だ。

 やっとのことで 観光会社の人を探し、レンタカー屋はいつくるのかと聞くと、今日はおそらく午後だという。コレはヤバイ。

 私たちはカナダなど世界のあちこちでよくワンダラー(One Doller)というレンタカー屋で超廉価なレンタカーを借りている。ドブロブニク空港にもそのワンダラーがあったのだが、何せ担当者がいないのでどうしようもない。

 観光会社のおっさんに、何とかして欲しい、と頼むと、ユーロカーに知りあいがいるので電話する、といって携帯電話で連絡を取ってくれた。

 15分で来ると言ったものの、全然来ない。

 そうこうしているうちに、ワンダラーや他社の担当者も出社してきた。

 しまったと思ったが、頼んだ以上仕方ない。20分弱まってユーロカーの担当者が2名到着。

 結局、一日1万円弱と小型車にしては割高だが、4日分のレンタカーを借りる。燃費は良さそうだ。

 ちなみにカナダでワンダラーから借りた小型車は一日当たり6500円の格安だった。1日ならたいしたことはないが、1週間近く借りれば、2万円以上違ってくる。

 さっそく一路、人気のないドブロブニク国際空港からモンテネグロに向かう。

......

 ドブロブニクに来るだけでも大変だったが、2006年6月3日に人口60万人規模で独立国家となったモンテネグロのコトルに行くのは至難の業である。

 おそらく独立後のモンテネグロに来た日本人は、そういないはずだ。観光には遠すぎるし、交通の便も良くない。ビジネスといっても??である。私の場合、以前から「都市国家」の研究をしてきたが、その場合でもせいぜい、ヴェネツィア、ドブロブニクまでで、コトルまで足を伸ばすひとはそういない、と推察する。

 さて、そのモンテネグロだが、モンテネグロはイタリア語のヴェネツィア方言で黒い山を意味する。

 英語でいえば、まさにブラック・マウンテン(Black Mountain)、すなわち黒い山という意味だ。

 ちなみに、現地語でモンテネグロ共和国はРепублика Црна Гораであり、自国ではツルナ・ゴーラЦрна Гора, Crna Gora, 黒い山)と呼んでいるそうだ。

 モンテネグロは、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビアそれにアルバニアの4カ国に接しているが、現在、セルビアにあるコソボ地域がセルビアから独立しそうなので、そうなると人口わずか約60万人の小国だが、5カ国と接することになる。

モンテネグロ概要

■独立の経緯


(1)モンテネグロは歴史的も政治的にもセルビアと密接な関係にあったが、2000年のセルビアにおけるミロシェビッチ政権の崩壊後、独立に向けた機運が高まりつつあった。EUの仲介により、昨年5月21日、住民投票を実施した結果、投票率86.5%、独立賛成案が55.5%で可決され、6月3日、モンテネグロ議会はモンテネグロの独立を宣言した。

(2)昨年9月の議会選挙では独立達成の祝賀ムードの中で連立与党が勝利した。10月初め、長年モンテネグロの政権を掌握してきたジュカノビッチ首相が辞任し、11月、シュトゥラノビッチ内閣が発足。

1.政体

共和制

2.元首

フィリップ・ブヤノビッチ大統領(2003年5月就任、任期4年)

3.議会

1院制(定数81名)

(構成)(2006年9月選挙。任期4年)
 与党連立(社会主義者民主党、社会民主党) 41議席
 セルビア人のリスト 12議席
 市民グループ 11議席
 変革運動 11議席
 その他 6議席

4.政府

社会主義者民主党及び社会民主党から成る連立政権
首相:ジェリコ・シュトゥラノビッチ社会主義者民主党幹部会員(2006年11月就任)


■外交・国防

1.外交基本方針

EUへの加盟を最優先課題とし、欧州諸国との関係強化に努めていく方針。

2.軍事力

総兵力数は約3,000名

経済

1.主要産業

観光業、製造業(アルミニウム等)

2.GDP

16億ユーロ(2005年)

3.一人当たりGDP

2,638ユーロ(2005年)

4.経済成長率

4.1%(2005年)

5.物価上昇率

1.8%(2005年)

6.失業率

17%(2005年)

7.貿易額(2005年)

(輸出)7.5億ドル (輸入)10.6億ドル

8.主要貿易品目

(輸出)アルミニウム、鉄鋼、木工品
(輸入)自動車、機械、食料品

9.主要貿易相手国

(輸出)セルビア、イタリア、ギリシャ
(輸入)セルビア、イタリア、スロベニア

10.通貨

ユーロ

11.経済概要

 近年、経済成長とインフレの抑制が見られ、マクロ経済状況は良好。観光は外資の導入によって成長部門となっており、インフラ整備、施設の充実、サービス向上が重要になっている。高い失業率、大幅な貿易赤字の中、民営化、国営企業の構造改革に加え、密輸等組織犯罪対策が課題とされている。


出典:外務省



モンテネグロ全図。首都は、Podgorica(ポドゴリツァ)


モンテネグロ共和国の国旗


モンテネグロ共和国の国章

 実際、来てみて分かったのだが、モンテネグロは黒い山だらけ、色は黒というよりは灰色だ。

 ドブロブニ国際空港からやはり人気というか車にほとんど出会わない道路を車で走り、20分足らずで、クロアチアのパスポート・コントロールに到着した。

 出国審査を受けニュートラル・ゾーンを数分行くと、今度はモンテネグロのパスポート・コントロールだ。だが、前にいる貨物車がひっかかっていて、なかなかモンテネグロに入れない。麻薬検査も犬がうろうろしている。

 10分ほど待って、モンテネグロに入った。


 モンテネグロの検問所から10分ほど車を飛ばすと、最初の目的地、ヘルセグ・ノビ(Herceg Novi)に着いた。ツァヴザットからヘルセグ・ノビは30分足らずで、すごく近い。

 このまちは600年以上に発見されたというから、中世からこの地にあったわけだ。ヘルセグ・ノビはコトル湾の入り口に位置し、何でも世界で最も一美しい湾のひとつだそうだ。様々な伝統あるフェスティバルが開催され、近くには温泉もあるという。

 このヘルセグ・ノビには、私の趣味の友人がいて、着いたらぜひ会おうと携帯電話番号をくる前にもらっていた。

 そこでまずは彼に連絡しようということで、ヘルセグ・ノビのバスセンターで電話を探す。しかし、電話はカード用しかない。カードを買うにもどこで売っているか分からない。バスセンターのさして綺麗でもないトイレにはいったら、出口におばさんがいて0.5ユーロとられびっくり。前にも後にも今回の旅で有料トイレはここだけ。

 友人のランコから住所を聞いていたが、車にはGPS(ナビゲータ)も着いておらず、詳細地図がなくてどこに行けばよいか分からず仕舞い。

 結局、連絡を取れないまま、モンテネグロにある古い「都市国家」、コトル(Kotor)に車で向かうこととする。ヘルセグ・ノビからコトルまでは、下の地図にあるように、湾沿いの道を相当行かねばならない。一番奥の奥が、目的地のコトルである。


ヘルセグノビからコトルへの経路。入り江(湾)沿いに1時間以上車で走る
ヘルセグノビの北西30kmがドブロブニク国際空港。
衛星情報より作成
コトールは東(右)側の湾(コトル湾)の一番奥(南、下)にある。

 この時刻でもまだ風は強い。天気も曇りでどんよりだ。

 アドリア海から入り組んだコトル湾(入り江、上の地図参照)添いに1時間弱自動車を飛ばす。途中以下の標識に出会う。私たちは直進したが、右折してフェリーにのる手もある。ただし、フェリーでショートカットすると古都、パレストには行けなくなる。



 かなりゆくと、コトル湾のなかに離れコジマが2つある。さらに本道からはずれる道がある。看板がありパレスト(Perast)という古都があると書いてある。確か、日本でグーグル・アースで調べていたとき、コトル湾沿いにパレストと言う小さな古都があった。



 パレストは、グーグルアースなどでその存在を確認していたわけだが、実際に来てみると、まさに中世の古いまちをそっくり今に残している。

 しかも、まったく観光地ずれがない。質素なアドリア海のコトル湾ぞいにひっそりと貼りつついているといった感じだ。とはいえ、フィルム・コミッションでこの町は有名な映画の舞台になったそうだ。


パレストの町並み



 せっかくなのでパレストに30分ほどとどまる。昼飯どきだが、お昼はコトルですることとし、一気にコトルに向かう。

 モンテネグロはその名の通り、どこもかしこも黒やグレーの色をした山また山である。しかも、海や湾すれすれまでその黒い山が落ち込んでいるのが地形上の大きな特徴だ。海に落ちる山の高さは結構高いのも特徴だ。1500m級の山が一気にコトル湾に落ち込むのである。





 そうこうしているうちに、コトルに到着。

 下にあるグーグル・アースの衛星画像で見ていたときは、コトルは旧市街だけの小さな街かとおもっていたが、来てみたらコトルの新市街は結構大きい。

 リゾート客用のホテルやレストランもあり少々びっくり。下はグーグルアースで検索したコトルの衛星画像。三角形の部分がコトル旧市街(Kotor Old Town)だ。


衛星画像から見たコトール旧市街。三角形の部分。出典:グーグル

 車を公設駐車場に置き旧市街に入る。下の写真にあるように、コトルもドブロブニク同様城壁、要塞都市で結構高い壁で全体がめぐらされている。


コトールの入り口。下の図の▲部分。

 入場料は無料だが、ドブログニクのような城壁巡りはできない。

 下の掲示板に書かれているコトルの歴史を見ると、どうもこちらの方が町としての歴史は古いようだ。しかも場所が場所だけに、諸外国からの攻撃や侵略は少なく、オスマントルコからの攻撃も受けていないようだ。他方、17世紀の大地震ではドブロブニク同様、甚大な被害を受けている。

 なお、1979年、コトルは、ユネスコの世界文化遺産に「コトルの自然と文化-歴史地域」として登録されている。




 山から落ちてきた水が旧市街の両はじを通ってコトル湾に流れ込むのだが、その水の綺麗なこと。透明度が高い。







 コトル旧市街のすぐ後ろは高い黒い山が迫っているが、よく見ると旧市街から裏山の頂上まで万里の長城のように城壁が連なっていて頂上まで歩いて行けるようになっている。

 残念ながら今回は見合わせた。

 コレを登ると写真にあったコトル旧市街が一望できるはずだ。









 昼食を旧市街のなかにあるピザ屋でとる。一人当たり清涼飲料を含め約300円なり。安い。しかし結構このピザおいしい。コトルの公式案内にもこのピザ屋が出ていたので、結構コトールで有名なようだ。



 ドブロブニク旧市街同様、コトル旧市街にもなぜか猫が多い。旧市街を歩いているとあちこちに猫がいる。すごくひとに慣れていてよってくるものもいる。いずれの旧市街も自動車が全面シャットアウトなので、猫が自動車にひかれることなく、猫の天国となっているのだろう。餌をやっている住民もいる。いわゆるコミュニティ猫というのだろうか。







 ところで、この季節、ドブロブニクでも日本人の観光客はそれほどいないが、コトルとなるとほとんど日本人はいなかった。 それほど人里離れており、来るだけでも相当大変だ。

 一通り旧市街を視察した後、私たちは自動車でコトル湾の対岸から旧市街を見てみようと、ぐるーっと対岸に行ってみた。


対岸から見たコトル。背後の山がコトル湾に迫っていることが分かる。

 まだ相変わらず風が強いが、望遠レンズでみると、背後の急峻な山と旧市街との関係がそれなりに見えるが、天気も悪く、下のパンフレットの写真のようには見えない。


背後の急峻な山と旧市街との関係 出典:コトルのパンフより


衛星画像から見たコトール旧市街。三角形の部分。出典:グーグル

 この特異な地形をもっとよく写せないだろうか、と言うことになり、裏山の背後にある1800m級の山に自動車でのぼろうと考えた。

 実はこの目的を達成するためには、本来、コトルの裏山に徒歩で登るべきであったのだが、これはあとで分かったこと、私たちは無謀にもその背後にある高い山にのぼってしまった。


コトルの一部が見える

 簡単に登ってしまったと言っても、もちろん簡単ではない。


コトルそのものが相当標高が高いが、そこから数100mほどあがったところ

 信じられないことだが、モンテネグロはどこもかしこも高い山ばかり、そこには私たちでは考えも及ばないことだが、いわば天空まで舗装されたそこそこ良い道があったのだ。

 何度となく、もう引き返そうと思ったが、猪突猛進、どんどん深みに入ってしまった。一時間以上行くと、どうみても登っている場所がコトルが眼下に見えない地域であることが分かってきた。何しろ1500mを超すと、おしりの辺がむずむずしてくる。とくに曲がり角はそのまま天空につっこんでしまうのではないかと、びびって来る。


1500m以上上った地点から。真ん中がコトル夕闇が迫り、ぼやーとしか見えない

 さらに夕暮れはまだだが、天気は悪く暗い。走っていると、私たちがたまたま選んだ道は何と黒く高い山の頂上近くまで道路があることがわかった。もうやけくそ? 尾根を超して少々ゆっくと、1600mほどの高さのところに小さな村があった。


これはグーグルアースを使ったコトル湾の3次元景観シミュレーション

 その村にコンビニ的な小さな店があったので、町の名前を聞こうと寄る。何とか英語を話す女性がいて聞くと、およそ聞いたこともない村だ。そして今まで来た道をさらに行くとモンテネグロの首都であるポドゴリツァに到着するという。あらかじめ調べたところによれば、この首都はコトルから1,000から2,000m級の山をいくつか越してアルバニア方面に行ったところにあるようだ。

 とんでもないところに来てしまい、しばし呆然。気を取り戻し、来た道をコトルまで戻ることに決めた!! ただ帰りは当然下りが90%以上なので来たときより早い。どんどん一心不乱に山道を降りた。暗くなる前に降りないと、もっと恐ろしい目に遭ってしまうと一目散に降りてきた。こうして何とか無事に山から下りることができた。全くの異国の地、それも日本人にとって人跡未踏の地をよく登ったものだ。

 夕闇までまだ時間があったので、来るとき寄ったパレストに再び寄り、古い建物の一部にあるカフェでエスプレッソを一杯飲み、入り組んだ湾沿いにヘルセグ・ノビに向かい、モンテネグロのパスポートコントロール、そしてクロアチアのパスポートコントロールを通過して宿に戻ることとなる。




パレストの古いカフェにて


パレストの古いカフェにて



 この国境沿いには両国とも、ほとんどまともなレストラン、ホテル、店がない。わずかに両国の間のニュートラルゾーンに小さな免税店があるのみだ。理由はいくつか考え得られるが、最も有力なのはこの地域はクロアチアとセルビアモンテネグロの間で内戦が続いたとき、モンテネグロ側が戦車でドブロブニク攻撃に使った道路のはずである。そう、ニュートラル地域前後の沿道は両軍がつばぜり合いを演じた場所なのである。

 実は今回の旅のひとつのキーワードは、内戦・戦争である。これについては都市国家、ドブロブニクに詳述しているので読んで欲しい。

 バルカン半島にある6つの地域、すなわちクロアチア、スロベニア、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、ボスニアヘルツェゴビナは、歴史的に離合集散を繰り返しているが、どうもドブロブニクがあるクロアチアと60万人規模で昨年独立したモンテネグロはとりわけ仲が悪いようだ。

 それはアパートの主人の言葉にも表れていた。 この日はクロアチアからツァヴアトに向かう途中にあったラム肉の焼き肉家庭料理をを食べさせる旅籠で夕食を取り、アパートにもどる。

つづく