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歴史短訪、新羅の首都慶州 4

Histric short visit to Gyeongju, Hometown of Silla


新羅王宮別宮と雁鴨池@

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2015年8月30日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
歴史短訪、新羅の首都慶州 2015.6.23-25
1 日程概要 8 石窟庵 15 仏国寺伽藍@ 22 海印寺の歴史 29 八万大蔵経A
2 新羅の古墳群 9 如来坐像 16 仏国寺伽藍A 23 海印寺の周辺 30 八万大蔵経B
3 皇帝パン 10 修復問題 17 境内風景 24 伽藍の概要 31 八万大蔵経C
4 雁鴨池@ 11 仏国寺概要 18 慶州で青磁 25 大寂光殿 32 釜山へ
5 雁鴨池A 12 仏国寺の門 19 海印寺へ 26 大毘慮殿 33 釜山臨海部@
6 雁鴨池B 13 仏国寺石橋 20 トレッキング 27 梵鐘閣 34 釜山臨海部A
7 雁鴨池C 14 多宝塔と釈迦塔 21 海印寺の門 28 八万大蔵経@

 夕食の後、夜景が美しいという月城地区の雁鴨地(臨海殿址)を訪問しました。

 ホテルからの行方は,以下のグーグルマップの通りです。私達は空港から来たワンボックスの自動車で添乗員(学芸員)と一緒に行きました。


ホテルからの雁鴨池への行方
出典:グーグルマップ

 下はグーグルアースで上空から見た月城地区の雁鴨地(臨海殿址)です。入口は左下となります。


グーグルアースで上空から見た月城地区の雁鴨地(臨海殿址)

 月城地区は新羅の王宮のあった月城を中心に、瞻星台、臨海殿址、鶏林、奈勿王陵などが集まる歴史地区です。

 慶州が新羅の千年首都としてその座を守ってきた上で王宮である月城は、政治の中心地としてその役目を果たしてきました。今は建物一つなくがらんとしていますが、新羅の都だった時代には、全く状況が違っていました。

 『三国遺事』の新羅第49代憲康王(886)に関する記録を見ると、「王が楼に登って眺めると、藁葺きの家は一つもなく、家の軒と垣が隣の家と互いに連なっていた。道端には歌と笛の音が溢れ、昼夜続いていた」と書かれています。

 そんななか、月城地区の雁鴨地(臨海殿址)は、新羅王宮の離宮(別宮)であり、現在、世界遺産として再建が進められています。この離宮の特徴は、雁鴨地という人工池をもち、すばらしい景観美を創造していることです。

 現在、月城地区の雁鴨地(臨海殿址)は、慶州歴史地区の一環として世界遺産に登録され、さらなる再建、修景が進められています。

 下は夕闇迫る月城地区の雁鴨地(臨海殿址)の入口です。左側に移っている女性は随行の学芸員です。



月城地区の雁鴨地(臨海殿址)の入口
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-23

 下の写真は月城地区の雁鴨地(臨海殿址)の入口に立つ青山貞一です。


月城地区の雁鴨地(臨海殿址)の入口
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23

 月城地区の雁鴨地(アナッチ)地区は、4,730坪の広さを誇る池には、3つの島と12の小山がありますが、往事ここでは美しい花や樹木が植えられ、また珍しい鳥なども放し飼いにされていたと伝えられています。

 下は雁鴨地(臨海殿址)の入口からすぐのところで撮影したものです。女性は今回の現地視察の同行学芸員の女性です。


雁鴨地(臨海殿址)の入口からすぐのところで撮影
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23

 しかし新羅滅亡後、廃墟となった池には雁や鴨が住み着き、朝鮮時代になってから「雁鴨池」と呼ばれるようになりました。この雁鴨池は、新羅時代最大の人工池で、本来の名を「月池(ウォルチ)」といいます。674年、新羅の三国統一を記念し、ときの文武(ムンム)王により造成されました。現在は往事の約4分の1の広さしか残っていないとのことです。

 以下の写真は往事の建築物が建っていた場所にある礎石です。


新羅王宮別宮跡に残る礎石
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8   2015-6-23


新羅王宮別宮
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-23

 雁鴨池の西側には、新羅王宮の別宮があり、皇太子が生活していた「臨海殿(イメジョン)」の跡地、「臨海殿址(イメジョンジ)」があります。臨海殿は国家の慶事や国賓の接待に用いられた場所で、宴会は3月または9月と雁鴨池の景色が最も美しく見える時期に行われました。

 後に実施された雁鴨池の発掘調査では、生活用品や鹿・白鳥といった動物の骨に加え、カヌーに似た木製の船などが出土されました。新羅の王族・貴族は、雁鴨池に船を浮かべ、出土した遺物は、国立慶州博物館の「雁鴨池館」で見ることができます。
 
 下の3枚の写真は、雁鴨池の西側にあった新羅王宮の別宮のジオラマ(模型)です。


雁鴨池の西側にあった新羅王宮の別宮のジオラマ(模型)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23


雁鴨池の西側にあった新羅王宮の別宮のジオラマ(模型)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23


雁鴨池の西側にあった新羅王宮の別宮のジオラマ(模型)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23

 下の写真は再建なった新羅王宮の別宮の一部です。


再建された新羅王宮別宮
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23


再建された新羅王宮別宮
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23


再建なった新羅王宮の別宮の一部
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23


再建なった新羅王宮の別宮の一部
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23


再建なった新羅王宮の別宮の一部
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23



つづく