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2018年・東日本大震災・津波
復旧実態調査(宮城県中部編1)

東松島市沿岸2

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2019年5月20日 2020年3月11日第2次公開
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◆東松島市沿岸


出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会配付資料

東松島市


出典:グーグルマップ

 ところで、2011年9月以降、私たちは何度か東松島市の松島町側の海岸を詳細に調査している。そこは航空自衛隊東基地の滑走路の西側の一角である。

 それは下のグーグルマップの調査地点と書いた沿岸地域である。

 ちょうど、川を挟んで自衛隊基地の滑走路の西側にあるが、僅かに基地の敷地から外れているため、進入禁止とはなっていない。


出典:グーグルマップ

 とくに3.11の津波の大きな被害を受けたのは地図上で洲崎海岸の背後地である。この洲崎海岸には1996年6月に造成された堤防があったが、この堤防は低く、3.11の津波によって軽く超えられ、背後地の住宅が壊滅的な被害を受けていた。


出典:グーグルマップ

 下がその洲崎海岸の堤防である。この程度の堤防は3.11の津波であれば簡単に超えてしまう。この写真の撮影は、2011年9月である。


撮影鷹取敦 カシオ EX-H20G   2011年9月17日

 下は洲崎堤防の上に乗り、竣工年のプレートを青山、池田がチェックしているところである。堤防自身は堅牢にできており、写真でわかるように、3.11の津波でもびくともしなかったが、高さが低すぎ、簡単に乗り越えられてしまったのである。


撮影鷹取敦 カシオ EX-H20G 
 2011年9月17日

 下はその竣工年が書かれたプレートである。1996年6月とある。


撮影鷹取敦 カシオ EX-H20G   2011年9月17日


撮影鷹取敦 カシオ EX-H20G  2011-9-18

 ところで、おそらくそれほど知られていないが、この洲崎堤防の背後地にある住宅地は、壊滅的な影響、被害を受けていたのである。

 というのも、東松島市では、
3.11の津波によって1035人もの犠牲者(死亡者)が出ていたからだが、おそらくその多くはこの地域に住んでいた人々のはずである。この犠牲者数は、宮城県内では、石巻市に次いで2番目に多いのである。

 東松山市洲崎の堤防だが、その後、まったく堤防を高くするなどの対策は行われていないことが、2013年5月に撮影された以下の写真から分かる。


出典:グーグルマップストリートビュー 2013年5月撮影

 一方、低い堤防の背後を見ると、建築規制措置もとられていないようだ。

 以下のように住宅が建っている。これらの住宅は、堤防から約1km背後にある東名地区であるが、堤防が低く、津波が容易にここまで押し寄せていたことがわかる。

 堤防から東名住宅地までは600m-1km離れているものの、その間、地形は平たんであり、3.11級の津波が襲来すると、この辺りまで海水は押し寄せるものと推察される。


出典:グーグルマップストリートビュー 2013年5月撮影


出典:グーグルマップストリートビュー 2013年5月撮影

 以下は、旧野蒜駅跡で低い堤防から600mほどの位置にある。


出典:グーグルマップストリートビュー 2013年5月撮影


東松島市3つづく