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2018年・東日本大震災
復旧実態調査(岩手県編)

釜石市両石湾3

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載:2019年3月20日 2020年3月11日第2次公開
 独立系メディア E-wave Tokyo
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釜石小白浜1  釜石小白浜2  釜石小白浜3  釜石小白浜4  釜石1
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釜石鵜住居3  釜石鵜住居4  釜石鵜住居5


◆釜石市両石湾3



出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に
関する専門調査会配付資料

 以下は三陸地域に現存する津波石碑の数々である


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ

 釜石市の鵜住居地区近くの両石には、以下に示す三陸津波伝承施設~両石津波記念碑~がある。

◆三陸津波伝承施設~両石津波記念碑~



 釜石市両石町は、かつては岩手県初の捕鯨会社が建設された港であり、また橋野町から釜石に鉄鉱石を運ぶ港として重要な町であった。

 三陸のリアス式海岸の複雑な地形はすばらしい景観や良好な漁場を提供したが、明治29年、昭和8年の三陸大津波ではその地形により、多大な被害をもたらすこととなった。

 両石町の国道45号沿いに3基の石碑がある。この石碑のうち中央と右側の2基は、明治29年の津浪の記念碑で、中央は、南部盛岡藩最後の藩主南部利恭による書の碑である。

 右側は『両石海嘯記念碑』として津浪の悲惨さを漢文で記述している。この2基はもともとは、明治29年の津浪の波が押し寄せた場所で、現在の位置より100mほど北西にあったといわれている。

 左側の碑は昭和8年の碑で、当時の県知事石黒英彦の書による「大地震の後には津波が来る」と刻まれている。この石碑と同型のものは、釜石市内の沿岸部に何基かあり、被災地域に対して県が建立したものであろう。

 この碑も津浪の到達地点に置いてあったとされ、現在のJR山田線と国道45号の交差する付近にあったとされる。各地に点在してあった石碑を、現在の場所へ移設して、合祀したものである。

 津浪の恐ろしい体験を教訓とし、後世に語り継ぎ生かすものとして未来に残さなくてはならない資料である。



 

出典:国土交通省

 以下は、岩手県釜石市両石町に残る津波の碑である。







出典:国土交通省、地区 所在 岩手県釜石市両石町 石碑 岩手 116・117・118 津波石碑の位置


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つづく