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   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

クドードォ・パゴダ(2)
Kuthodaw Pagoda

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
(52) クドードォ・パゴダ(1) (53) クドードォ・パゴダ(2) (54) サンダムニ・パゴダ
(55) マンダレーの丘 (56) 操り人形の観劇(1) (57) 操り人形の観劇(2)


 
なお、クドードォ・パゴダはこれから行く、バガンのシュエズィーゴォン・パヤーを模して建てられたものとされています。

 下は上空から見た、クドードォ・パゴダの全景です。中央に大きなパゴダがあり、周辺に全部で729の小さなパゴダがきれいに配置されています。


出典:グーグルマップ



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay


 以下はクドードォ・パゴダの鐘楼です。


出典:English Wikipedia


 以下はすぐ北にあるマンダレー昼から見たクドードォ・パゴダです。緑の中に白いちさいパゴダで輪郭が浮かみあがっています。


出典:English Wikipedia


 以下はクドードォ・パゴダの解説です。  

クドードォ・パゴダ

 この仏塔を特徴づけているのは、境内を埋め尽くした729の小仏塔群が大きなパゴダを取り囲むようにあることです。

 それぞれの仏塔の中には、仏陀が悟りを開いてから死ぬまでの説教をまとめた経典を刻んだ石版が1枚ずつ収められているそうです。

 クドードォ・パゴダは18599年に、小さなパゴダが18600年に建設がはじまりました。ミンドン王は、「世界最大の経典」を作ろうとこの仏塔の建設にとりかかったといいます。ミンドン王は2400人もの僧を集めて、仏典を完全な形で大理石の石版に刻む作業をさせたのです。

 それらを進めてゆくうちに、小さなパゴダの数は729になったとされています。

 なお、730番目の石版には、この「世界最大の経典」が造られた経緯が刻まれています。それによると、集められた24000人が昼夜の別なく突貫作業で働き、1868年にようやく完成したとされいます。


   出典:「地球の歩き方 ミャンアマー編」
 


 以下はいずれも、英文版Wikipediaによる解説です。


The main shrine at the end of the southern approach
出典:the English language Wikipedia.

 以下は上記の写真の解説です。

南の突き当たりにある重要な寺院は、クドドゥ・パゴダです。仏像は、僧侶達、すなわち、Shin Thiwali(ヤシの葉の扇をもち、左側の小さな仏陀の後に立っている像)やShin Thariputtra(右側の非常に小さい膝を折った仏像の後ろで小さな仏像の右膝の隣)などの小さな仏像に取り囲まれています。伝統的な供え物には、花や冷たい水、油のランプ、バナナやココナッツなどがあります。この写真にあるのは、ジャスミンやキンコウボクの花鎖、ミニチュアの傘、紙のペナントや吹き流し、4色のsasanaの旗、高い高台付きの銀色のボールに入れた水(二段目の右から二つ目)です。緑色のバナナの房と無傷の緑色のココナッツが通常求められます。

Kuthodawの大理石に金で刻まれた文字、正式な題名は、Mahalawka Marazein

石碑に刻まれた文字盤のひとつ。もとは金の文字で金の枠(囲み)みがあった


Marble inscription in gold of the Kuthodaw's formal title Mahalawka Marazein 
出典:the English language Wikipedia.

 


One of the stone inscriptions, originally in gold letters and borders, at Kuthodaw
出典:the English language Wikipedia.

  ミャンマー、マンダレーのKuthodawパゴダにある、ビルマの文字による碑文あるいはKyuaksa。

 729のすべての大理石の板に書かれた上座部仏教のパーリ語の経典は、それぞれ80〜100行あり、当初は表裏とも金のインクで書かれていました。石碑の大きさは3.5フィートの幅が有り、高さ5フィート、厚さ5インチで、ひとつひとつが小さなk洞窟のような塔の中に納められています。


つづく