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   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

バガヤ僧院 
Bagaya Monastery

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
(64) ヤダナーシメパゴダ  (65) バガヤ僧院  (66) ナンミン塔、アヴァ王宮跡
(67) マハ・オウグミ・ボザン僧院 (68) インワの王朝遺跡リスト
(69) サガインとモンユワ  (70) マンダレーへの帰途  (71) 伝統民族音楽と操り人形


 下は、バガヤ僧院に向かう途中の写真ですが、インワの平均的な土地利用を示しています。インワではこのような草原で米作が行われています。

 他の場所で聞いたのですが、なんと二毛作ではなく、三毛作が可能とのことです。これがビルマ、ミャンマーの農業を支えてきたのでしょうね。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5

 この後、馬車の後ろから女性の声がするので振り向けば、昨日、マンダレーの僧院の本堂で会い、いろいろ議論した女性二人がバイクで追っかけてくるではありませんか! これには驚きました。

 二人はしっかりとヘルメットをかぶりバイクに乗っています! 

 今回の旅でわかったのは、ミャンマーの女性は何事にも積極的で、活発なことです。また親切で明るいことです。

 下の彼女らのくったくのない笑顔がそれを象徴しています。
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5


バガヤ僧院(Bagaya Monastery)
 
 
三つ目は、Bagaya Monasteryです。場所は下の地図でヤダナーシメパゴダを南に行ったところにあります。
 

インワ(アヴァ)の概略地図  出典:マンダレーのホテルで入手

 下は訪問したバガヤ僧院の入り口にあった案内です。

 バガヤ僧院の場所は、上の地図の左下です。Bagaya Kayung とあります。これがバガヤ僧院です。



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5

 これはバガヤ僧院の入口です。この僧院には結構、拝観や見学の人がおりました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5

 バガヤ僧院はかなり古い木造の建築物です。下は七重の塔です。マンダレー王宮やこれから行くバガンの王宮にも七層の塔がありますが、七という数字は仏教上意味ある数字だと思います。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5

 例によって、靴を脱ぐ池田です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5

 下はバガヤ僧院の解説です。 

 バガヤ僧院(BAGAYA KYAUNG)は、1834年、GAGYIDAW王の統治時代に創建されました。全体がチーク材で作られており、僧院は267本もの巨大なチーク材でできた柱で支えられています。その中で最大の柱は、60フィートの高さがあり、円周は9フィートあります。僧院は巨大な面積をもつ構造で、長さ188フィート、幅103フィートとなっています。この僧院は、ミャンマーの文化遺産の宝庫であり、古代の建築物を代表するとともに、内部の彫刻などは、僧院のその後の時代には見ることのできない非常に希少な芸術作品がいくつか残されています。

 バガヤ僧院は、ビルマ(ミャンマー)のマンダレー地方、インワにある仏教僧院で、インワ王宮の南西に建設されたものです。この壮大な僧院は、また、Maha WaiyanBontha Bagaya Monasteryとして知られています。Hsinbyushin王の時代、Maha ThiriZeya Thinkhaya、Magweの二人の役人が僧院を創り、バガヤの修道院の基礎を築き、この僧院をShin Dhammabhinanda に献上しました。ここはビルマでも魅力有る観光地の一つとなっています。
 バガヤはビルマ語ですが、モン族の言語である phea kao kih に近い言葉で、文字通り、「星形の花(スターフラワー)僧院」(白い星形の花)という意味です。

参考:Starflower Wikimedia commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Starflower.jpg

歴史
 このチーク材で創られた僧院は1593年に、現在のマンダレーからおよそ11マイル(18km)離れた場所に建てられました。Bagyidaw王の時代(1819年〜1837年)1821年4月15日に大規模な火災が発生しました。そのため、バガヤ僧院をはじめ、重要な建物が多数焼失してしまいました。政府は、1992年に再建を試み、新しく煉瓦製の建物を旧僧院の場所に建設し、仏像と蔵経の聖典(Pitaka聖典)を納めました。記録によると、この僧院は古い僧院をモデルとして建設されたとされています。

建築
 バガヤ僧院は、7層の尖塔を持っており、DhanuホールとBhawgaホールという二つの部屋を備えています。また、煉瓦製の八段の階段があります。僧院は、267本の巨大なチーク材の柱で出来ており、その建物の広さは、長さ188フィート(57m)、幅は103フィート(31m)となっています。風雨で傷んではいるものの、この壮大な建物は広々した田んぼの真ん中に建っており、周囲をヤシの木やバナナの木、そしてその周りの低い影の部分に繁っている刺の多い緑の藪に囲まれています。

 僧院は、彫刻や植物の唐草模様、人物や鳥類や動物などが彫刻された装飾品、また、壁に装飾された小さな柱などビルマ建築の優れた仕事で彩られています。これらはいずれもインワ時代の芸術作品と言えるものです。


 下はバガヤ僧院の内部にあった仏像です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-6-5


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5

 この後、馬車は西門(ゲート)に向かいます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5


つづく