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   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

タラバー門
Tharabar Gate

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
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 王宮の開場までまだ時間があるので、王宮の直ぐ近くにあるタラバー門を視察しました。

 私達の滞在したホテルはオールドバガンの城壁の中にあり、マンダレーからバガンに来たとき、アーナンダ寺院などに行くとき、など頻繁にタラバー門(The Tharabar Gate)を通りました。
 
 タラバー門はバガン黄金王宮のすぐ東にあります。下はグーグルマップで見たタラバー門の位置です。


出典:グーグルマップ

  下の地図では城壁の東側(右側)にあります。
 
 ただし、現在、城壁は廃墟化して一部しか残っていません。また他のゲートで片鱗があるのは南ゲートです。これについては、南側のパゴダを視察する際通りますので、その時に撮影した写真を紹介します。


出典:バガンのホテルが出している地図



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-6-7


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2016-6-7

 下はタラバー門の概要解説です。

◆タラバー門(The Tharabar Gate)

・遺跡の種類:バガン市の古い(城)壁
・場   所:Pitakak Taik の北東
・地   域:オールドバガン
・創建した王:Pyinbya王
・年   代:紀元849年 
・遺跡番号 :−

 タラバー門は、東の壁のメインゲートで、Pyinbya王によって建設された古い町に唯一残されているものです。この門は、9世紀、紀元849年に建設されたものです。

 町の西と北の部分の壁は、川の氾濫で流されてしまいました。創建当初は、12の門があったとされています。タラバー門はパーリ語の「Sarabhanga」という言葉に由来しており、「矢から遮蔽されている(盾となっている)」という意味をもっています。

 ほとんどの建築構造物は朽ち果てていますが、漆喰で彫刻された鬼などを今でも見ることができます。門は霊的な存在によって守られているとされています。門の左側は、「巨大な山の神」と呼ばれる兄、右側は、「金の顔」と呼ばれる妹が守っていると信じられていました。

 以下は英文Wikiの解説です。

 ビルマの歴史書では、バガンのまちは紀元849年に要塞化されたと主張されていますが、放射性炭素による年代測定では、主要な壁の基礎部分が創建された年代は、紀元1020年という証拠を示しています。

 もし歴史書の主張の通り、紀元9世紀に要塞が創られたとすれば、要塞は泥のような丈夫でない(より脆弱な)素材で創られたに違いありません。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2016-6-7

 以下はトリップアドバイザーの写真です。


This photo of Tharabar Gate is courtesy of TripAdvisor


Cette photo de Tharabar Gate est fournie gracieusement par TripAdvisor


 下は1890年代のタラバー門の写真です。
 

Source: English Wikipedia



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2016-6-7


つづく