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メアリー・ステュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破

ニュー・ラナーク4

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2018年10月30日公開予定
独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁

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Source:UNDISCOVERED SCOTLAND 知られざるスコットランド


 この村は、スコットランドに4つある世界遺産のひとつであり、ヨーロッパ産業遺産の道のアンカー・ポイントのひとつです。


ニュー・ラナーク村の紡績工場建物群と前を流れる川(クライド川)
The village of New Lanark with its associated mill buildings and the river in the foreground  Source:Wikimedia Commons

 下はクラウド川から引いた水路の脇に立つ池田こみちです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆ニュー・ラナークの歴史

 ニュー・ラナークの紡績工場は1786年にデヴィッド・デイルによって設立されました。デイルはグラスゴーのたたき上げの中産的ジェントリの一人であり、その例に漏れずキャンバスラング(Cambuslang)のローズバンクに避暑地となる土地を持っていました。そこはターナーをはじめとする多くの画家たちが描いたクライドの滝(Falls of Clyde)から遠くないところにありました。

 デイルは工場、土地、村落を19世紀初頭に6万ポンド(20年以上にわたり払い戻し可能)で、義理の息子のロバート・オウエンも名を連ねていた協同組合に売却しました。

 オウエンは工場労働には義父の博愛主義的なアプローチを維持し、後には影響力のある社会改良主義者となりました。彼の社会福祉プログラムとともに、ニュー・ラナークはオウエン的なユートピア社会主義を体現する存在となりました。

ロバート・オウエン(Robert Owen、1771年5月14日 - 1858年11月17日)


ロバート・オウエン(Robert Owen)

 イギリスの社会改革家、実業家。人間の活動が環境によって決定される、とする環境決定論を主張した。今の協同組合の基礎を作った。初めて国際的な労働者保護を唱えたとされる。

 1799年、グラスゴーの工場ニュー・ラナークを経営していたデイヴィッド・デイルの娘カロラインと結婚、のちニュー・ラナークの共同経営者となった。オウエンは、低所得の労働者階層の実情を目の当たりにし、10歳未満の子どもの工場労働を止めさせ、性格改良のための幼児の学校を工場に併設。性格形成学院と名づけた。

 幼児教育の最初の試みで、幼稚園の生みの親といわれるフリードリヒ・フレーベルよりも先んじて、就学前の子どものための学校を実践。教室での掛け軸の利用など、教育方法にも工夫を凝らした。また、大人のための夜間学校をニュー・ラナークに開校し、これが世界初の夜間学校となった。

 幼児労働の制限と、その分の時間における教育の充実を立法化しようとした。その結果、1819年の工場法が成立するが、教育面における法整備は果たされないなど、彼の望む内容からは遠いものとなった。

 また協同組合などの事業も手がける。後にアメリカに渡って私財を投じてインディアナ州において共産主義的な生活と労働の共同体(ニューハーモニー(英語版)村)の実現を目指すが失敗した。エンゲルスらから、サン=シモン、フーリエなどと共に空想的社会主義者と評されつつも、挙げた実績に関しては高い評価を受けた。

出典:Wikipedia


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