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NHKドキュメント 「731部隊の真実」-4

~エリート医学者と人体実験~


・京大戸田正三・戸田正三研究報告・少年隊員証言
 
青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編

August 29, 2017
独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁

1)・全体概要・731部隊概要・ハバロフスク裁判記録軍医兵士の証言・人体実験概要
2)・731部隊の概要 ・石井部隊概要・ハバロフスク裁判と証言 ・匪賊とはなど
3)・731部隊 元少年隊員 三角 武の証言・元少年隊員 須永 鬼久太氏証言・智院医師名簿

4)・京大戸田正三 ・戸田研究報告・東大総長 長與又郎・日本の大学医学部エリート呼集め
5)・凍傷実験 ・吉村論文・第一課(チフス)課長田部井和・憲兵班 倉員証人証言・野外演習
6)・野外実験・日中戦争勃発・染色体人体実験・三角武証言・細菌研究部長川島清証言
7)・ソ連満州侵攻・部隊撤退証拠隠滅 ・ 三角証言(死体処理)・米へのデータ提供と訴追逃れ
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 以下は2017年8月に2度放映されたNHKドキュメント「731部隊の真実」の本編のその3です。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<4人の写真>

人体実験をしていたという田部井、同じ時期京大からは医学者7人が部隊に赴任していました。取材を進めると、教え子たちを部隊へ送ったと見られる教授たちの存在が浮かび上がってきました。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<戸田正三のアップ>

 大きな影響力を持っていたのが医学部長を二度にわたって務めた戸田正三です。

 戸田は軍と結びつくことで多額の研究費を集めていたことがわかりました。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<戸田正三の研究報告書 1943年>

 それを裏付ける戸田の研究報告書です。陸軍などから委託された防寒服の研究で8000円。軍の進出先での衛生状態の研究で7000円。現在の額にして併せて2億5000万円にも上る研究費を得ていました。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<満州事変(年表)>

 軍と関係を深めていた戸田。そのきっかけとなったのが満州事変でした。傀儡国家満州国が建国されると国民はそれを支持します。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<防疫活動>

 こうした世論の中で大学は満州の病院などに医師を派遣。現地の人々を病気から守る貿易活動としてポスト争いを始めます。戸田が所属する京大からも多くの医師が派遣されます。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<地図> 

  京大37人(1936年)⇒75人(1942年)
  東大35人(1933年)⇒48人(1940年)
  慶応40人(1936年)⇒54人(1940年)

 東大や慶応大と競いながら、京大はその数を倍増させていきました。当時、戸田は、医学者も国の満州進出に貢献すべきだと語っていました。

出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<戸田の発言:満州日日新聞(1936年)「移民衛生調査委員会議」>

 戸田発言「今まで未開であったところの東洋の北部を開く指導者となることは、我々に与えられた一大試金石である。」


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<731部隊の集合写真>

 こうした中、大学への影響力を拡大したのが731部隊です。巨額の国家予算を与えられていたと言います。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<証言>

裁判官「部隊の研究費としていくらぐらい供給されていましたか」

証言「確実な数字はただいま記憶しておりませんが、大体の数字を申しますと、昭和15年度におきましては、大体1000万円(現在の金額で約300億円)に近い予算が使われておったように記憶しております。」


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<731部隊 部隊長 軍医 石井四郎>

 今の金額で年間300億円の予算。それを動かしていたのが731部隊の部隊長 石井四郎でした。

 京大医学部出身の石井は、母校の指導教官の一人だった戸田と関係を深めていました。

 戸田は石井と人事の話もしていたといいます。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<戸田の弟子の回想録>

 「戸田先生が東京へ出てこられ、石井君と三人でよく会談をした。研究の件もあれば人事の件もある。

 先生はよく京大や若い人のために奔走された。そのため、よく占領地の支那本土へも旅行された。」

 戸田が部隊の研究内容を把握していたことをうかがわせる文書も見つかっています。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<国民衛生 第30巻 第3-4号 故 戸田正三先生追悼号>

 教え子が書いた回顧録に寄れば、戸田は中国の731部隊の関連施設を繰り返し訪れていたと記されています。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<論文フォーカス>

 「戸田先生がくると、さっそく高等官、将校一同を集めての学術講演会が開かれ、和気藹々として部隊の研究を推進された」


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<9名の写真>

 戸田と関係の深い研究室からは八人の医学者が、京大全体では11人が731部隊へ赴任したことがわかっています。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<東京大学正門>

 京大に次いで多くの研究者が731部隊に集められた東京大学。取材に対し、組織として積極的に関わったとは認識していないと回答しています。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<東京帝国大学総長 長與又郎>

 取材を進めると、東大の幹部が石井と交流していた事実が明らかになりました。

 医学者で東大の総長を務めた長與又郎です。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<昭和十五年 資料コピー>

 遺族の許可を得て入手した長與の日記です。そこには総長時代から石井と接点があったこと、そして退任後の昭和15年、731部隊の本部を視察していたことが記されていました。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<731部隊本部跡 長與又労の日記>

 「関東軍司令部に赴き、軍医部長を訪い、さらに司令官に面会す。

 平房に石井部隊を訪い石井大佐の案内にて授業の一般を見学。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<長與又労の日記 水炊きの饗応>

 ・・水炊きの饗応を受く。」


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<名簿 石井四郎 石光技師 江島技士 のフォーカス>

 このときの記録には、東大から赴任した研究者たちの名前が、記されていました。

 東大からは戦時中、少なくとも6人が集められたことがわかっています。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<集合写真>

 東大で開かれた微生物学会の集合写真。石井を囲んでいるのは全国から集まった名だたる教授たちです。大学の幹部と石井が結びつく中で、優秀な医学者が集められていったのです。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<京都帝国大学 医学部講師 吉村寿人>

 医学者の中には731部隊に送られた経緯を詳細に描き残していた人も居ました。京大医学部の講師、吉村寿人(ひさと)です。基礎医学の研究で多くの命を救いたいと医学者を志したと言います。


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<顕微鏡とフラスコ>

 国内で研究を続けたいと思いながらも、教授の命令にはあらがえなったと改装しています


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映

<吉村の階層「喜寿回顧」>
 
 「軍の方と既に約束済みのような様子であった。先生は突然、満州の陸軍の技術援助をせよと命令された。

 折角今まで熱を上げてきた研究を捨てることは、身を切るほどつらいことであるから私は即座に断った。

 ところが先生は、今の日本の現状からこれを断るのはもってのほかである。もし軍に入らねば、破門するから出て行けと言われた。」


出典:NHKドキュメント「731部隊の真実」、2017年8月13日、放映


つづく