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  厳寒のロシア2大都市短訪

ツァールスコエ・セロー

概要


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁
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 ツァールスコエ・セロー
  概要    歴史1   歴史2


◆サンクトペテルブルグ市


サンクトペテルブルグ市の紋章

  現地視察、実質2日目、サンクトペテルブルグの南部にあるエカテリーナ宮殿、さらにその南にあるパヴロフスク宮殿を中心に視察します。宿泊したホテルはサンクトペテルブルグの南部にあったので、専用車で25分ほどで旧ツァールスコエ・セロー、現在のサンクトペテルブルグ市プーシキン地区に行けました。

◆ツァールスコエ・セローとは

 今回私たちが視察したエカテリーナ宮殿などがある地域一帯は、下図にあるように、ロマノフ王朝時代、ツァールスコエ・セロー(Царское Село、Tsarskoe Selo)と呼ばれていました。これらの地域は宮殿などだけでなく、著名な避暑地、別荘地にもなっており、現在でも多くの史跡がのこっています。


ツァールスコエ・セローの位置   出典:グーグルマップ

  ところで、ツァールスコエ・セローはロマノフ王朝以前、この地域はスウェーデン貴族のものだったそうです。ツァールスコエ・セローでは、ロマノフ王朝の夏の宮殿であるエカテリーナ宮殿やエカテリーナ公園などが開発されますが、それらのツァールスコエ・セロー地域の開発が進むと、サンクトペテルブルグからツァールスコエ・セローまでは鉄道が引かれ、立派な駅もできました。

 以下はかつてのツァールスコエ・セロー の景観、イメージです。


作者不明の影絵(シルエット):エカテリーナ2世がロシア皇帝パーヴェル・ペトロヴィッチの家族と一緒にツァールスコエ・セロー公園に居る様子。1790年代の作品で紙にインクで描かれています。
Source:Wikimedia Commons
Johann Jakob Meyer - http://anticvarium.ru/lot/show/5639, パブリック・ドメイン, リンクによる



ツァールスコエ・セロー(ロシア)、ニコラエヴスカヤ体育館
Source:Wikimedia Commons
不明 - http://www.oldsp.ru/photo/tag/Павловский%20дворец/1, パブリック・ドメイン, リンクによる


 なお、上の地図にあるようにツァールスコエ・セローの町の南に位置し、行政的には現在サンクトペテルブルク市プーシキン区に属するパヴロフスク(Павловск、 Pavlovsk)があります。パヴロフスクは私達がエカテリーナ宮殿のあと視察したパヴロフスク宮殿(Pavlovsk Palace)がある場所です。

 このパヴロフスクのまちには、パヴロフスク宮殿があり、かつてロシア皇族の夏の邸宅のひとつとして発展したまちです。現在このパヴロフスク宮殿はユネスコの世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の一部となっています。これについては、パヴロフスク宮殿のところで詳細に紹介いたします。

 下はパヴロフスク宮殿の景観イメージです。


パブロフスク宮殿
Source:Wikimedia Commons
Johann Jakob Meyer - http://anticvarium.ru/lot/show/5639, パブリック・ドメイン, リンクによる



パブロフスク(ロシア)、パブロフスク公園
Source:Wikimedia Commons
不明 - http://www.oldsp.ru/photo/tag/Павловский%20дворец/1, パブリック・ドメイン, リンクによる


 私たちのこの日の視察は、かつての「ツァールスコエ・セロー」地域のうち、とくにエカテリーナ宮殿、エカテリーナ公園、さらにその南にあるパヴロフスク宮殿です。

 ここでは、まず「ツァールスコエ・セロー」について外観いたします。


つづく