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  厳寒のロシア2大都市短訪

アレクサンダー宮殿

居室・内装

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁
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 アレクサンダー宮殿
  
概要・歴史    外観・景観    居室・内装     調度 


◆サンクトペテルブルグ市


サンクトペテルブルグ市の紋章

◆アレクサンダー宮殿 居室・内装

 ここではアレクサンダー宮殿の居室と内装を紹介します。いずれもきらびやかと言うよりしっとりと落ち着いた感じのデザインと色彩になっています。


ツァールスコエ・セローのアレクサンドロフスキー宮殿「深紅の間」
(ルイージ・プレマッツィ設計)
Source:Wikimedia Commons
Luigi Premazzi - uploaded by User:Ghirlandajo to English Wikipedia from http://www.tzar.ru/content/images/TS42.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる



ツァールスコエ・セローのニコライ2世の執務室
Source:Wikimedia Commons
パブリック・ドメイン, リンク


歴代当主(歴代ロシア皇帝, インペラートル) 

歴代 皇帝 在位 備考
第10代 アレクサンドル1世 1801年-1825年 パーヴェル1世の子。
第11代 ニコライ1世 1825年-1855年 パーヴェル1世の子、アレクサンドル1世の弟。
第12代 アレクサンドル2世 1855年-1881年 ニコライ1世の子。「人民の意志」派の爆弾テロ(ロシア語版)により暗殺される。
第13代 アレクサンドル3世 1881年-1894年 アレクサンドル2世の子。
第14代 ニコライ2世 1894年-1917年 アレクサンドル3世の子。二月革命により退位。1918年に家族とともに殺害される(ロマノフ家の銃殺(英語版))。
出典:Wikipediaなどから青山が作成


 下はアレクサンダー宮殿のメープルルームです。


ツァールスコエ・セローアレクサンダー宮殿のメープルルーム
Source:Wikimedia Commons
Par Branson DeCouCourtesy Special Collections, UC Santa Cruz, Domaine public, Lien


歴代当主(歴代ロシア皇帝, インペラートル) 

歴代 皇帝 在位 備考
第10代 アレクサンドル1世 1801年-1825年 パーヴェル1世の子。
第11代 ニコライ1世 1825年-1855年 パーヴェル1世の子、アレクサンドル1世の弟。
第12代 アレクサンドル2世 1855年-1881年 ニコライ1世の子。「人民の意志」派の爆弾テロ(ロシア語版)により暗殺される。
第13代 アレクサンドル3世 1881年-1894年 アレクサンドル2世の子。
第14代 ニコライ2世 1894年-1917年 アレクサンドル3世の子。二月革命により退位。1918年に家族とともに殺害される(ロマノフ家の銃殺(英語版))。
出典:Wikipediaなどから青山が作成



ツァールスコエ・セローのニコライ二世の書斎・居間
Source:Wikimedia Commons
By Vitold Muratov - Own work, CC BY-SA 3.0, Link



ツァールスコエ・セローのニコライ二世の書斎・居間
Source:Wikimedia Commons
Par Vitold MuratovTravail personnel, CC BY-SA 3.0, Lien


 以下はアレクサンダー宮殿のポートレート広間です。


ツァールスコエ・セローのポートレート広間
ツァールスコエ・セロー,アレクサンダー宮殿。1917年の肖像画の間。アンドレ・アンドレイヴィチ・ゼエストによるオートクロム(初期のカラー写真技法)は、1917年7月~8月につくられた。ツァールスコエ・セローの内装写真はG.K.ルコムスキー(ツァールスコエ・セロー宮殿の受け入れと不動産管理登録委員会の議長、暫定政府)に代わって撮影された。
Source:Wikimedia Commons
By Андрей Андреевич Зеест - http://www.tsarselo.ru/content/0/read4880.html#.VGPR_mckQTB, Public Domain, Link


 以下はアレクサンダー宮殿の肖像画の広間です。


ツァールスコエ・セローの肖像画の広間
ツァールスコエ・セロー,アレクサンダー宮殿。1917年の肖像画の間。アンドレ・アンドレイヴィチ・ゼエストによるオートクロム(初期のカラー写真技法)は、1917年7月~8月につくられた。ツァールスコエ・セローの内装写真はG.K.ルコムスキー(ツァールスコエ・セロー宮殿の受け入れと不動産管理登録委員会の議長、暫定政府)に代わって撮影された。
Source:Wikimedia Commons
By Андрей Андреевич Зеест - http://www.tsarselo.ru/content/0/read4880.html#.VGPR_mckQTB, Public Domain, Link


 以下はアレクサンダー宮殿の大理石の書斎です。


ツァールスコエ・セローにあるアレクサンダー宮殿の大理石のドローイングルーム
ツァールスコエ・セロー,アレクサンダー宮殿。1917年の肖像画の間。アンドレ・アンドレイヴィチ・ゼエストによるオートクロム(初期のカラー写真技法)は、1917年7月~8月につくられた。ツァールスコエ・セローの内装写真はG.K.ルコムスキー(ツァールスコエ・セロー宮殿の受け入れと不動産管理登録委員会の議長、暫定政府)に代わって撮影された。
Source:Wikimedia Commons
By Андрей Андреевич Зеест - http://www.tsarselo.ru/content/0/read4880.html#.VGPR_mckQTB, Public Domain, Link


 宮殿造営に当たり基礎工事の際に地下水脈にぶつかったため、これを地階に作った
半円形ホール(下の写真)の下に地下河川として残しました。


アレクサンダー宮殿の連棟型式の半円形の広間
Source:Wikimedia Commons

 以下もその半円形の広間の一部です。派手さはなく、なかなかシックな素晴らしい広間です。


つづく
 

アレクサンダー宮殿の半円形の広間の一部
Source:Wikimedia Commons
Автор: Vitold Muratov - собственная работа, CC BY-SA 3.0, Ссылка