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   厳寒のロシア2大都市短訪
 

スターリンビル
外観3  中国、北朝鮮のスターリンビル 

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

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・モスクワシティ・大学
 
モスクワ・シティ    モスクワ大学概要     モスクワ大学学部
・スターリン様式建築物
  スターリンビル概要・歴史     スターリンビル外観1(ロシア、セブンスターズ)
  スターリンビル外観2(東欧)   スターリンビル外観3(中国、北朝鮮)
 

◆モスクワ市

スターリンビル 外観

 以下にスターリンビル、スターリン様式の典型となるビルの外観を紹介します。

<中国>

 この上海展覧センターのスターリンの影響を受け、重厚さはありますが、それほど権威主義、権力の象徴というよりは、やはり商業大都市、上海の影響を受けてか、なかなかユニークなビルと言えます。

・上海展覧センター

 上海展覧センターは、中華人民共和国上海市静安区延安西路に位置する展示場でし。ソビエト連邦の経済的・技術的援助を受け、「中ソ友好記念会館」として1954年5月4日に着工、1955年3月5日に竣工しました。

 敷地は、元々は英国籍のユダヤ系(セファルディム)富豪、シラス・アーロン・ハードゥーン(en:Silas Aaron Hardoon、1849-1931年)の私有の庭園「アイリー・ガーデン」(1904年着工、1910年竣工)でした。1915年、ハードゥーンは中国古代文学を主に教える教育施設「倉聖明智大学」をここに設立しましたが、ハードゥーン夫妻の死と太平洋戦争の勃発に伴う日本軍の占領(1941年)等によって、その後荒廃しました。

 1959年に上海市の決定により常設の工業展示場とされ、1968年に「上海展覧館」、1978年に「上海市工業展覧館」と順次改名され、1984年に現在の「上海展覧中心」とされました。

 先細りの塔状の中央ホールを中心軸上に配置した典型的なスターリン様式となっています。両翼部には展示室、映画館、会議室等があります。設計はソ連の建築家が行いましたが、中国現地の対応は華東建築設計研究院が担当しました。敷地面積93,000m2、延床面積80,000m2の規模があります。同時期にソビエト連邦の援助を受けた建物に、北京市の北京展覧館があります。


上海展覧センター
Source:Wikimedia Commons



北京ホテル(中国)
Source:Wikimedia Commons
Vladimir OKC - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる


・人民大会堂

 人民大会堂は、中華人民共和国北京市の天安門広場西側に位置する建築物です。全国人民代表大会などの議場として用いられるほか、外国使節・賓客の接受の場所としても使用されています。

 人民大会堂は、中華人民共和国の建国10周年を記念した建設事業である十大建築の一つで、ボランティアの手によって、1958年から1959年にかけてわずか10ヶ月で建造されました。その際、李瑞環が木工青年突撃隊長として建築を担当しています。中央に万人大会堂、北側に宴会ホール、南に全国人民代表大会常務委員会事務所ビルと、3つの部分から構成され、合計17万平方メートルを超える床面積と300室の部屋を有しています。33室ある会議場には中国の行政区分にちなんだ名前が付けられており、各地の風土にちなんだ装飾がなされている。その中には中華民国の領土であり中華人民共和国が領有を主張している台湾に因んだ部屋もあります。

 人民大会堂では毎年3月、全国人民代表大会(全人代)と中国人民政治協商会議が、2週間から3週間の期間で行われまあす。全人代は10000席を備えた大会議場において開催され、その別室では全国人民代表大会常務委員会が開かれます。また、人民大会堂の中央ホールでは5年に1度、中国共産党の総会が開かれています。前述のとおり突貫工事で完成したため、近年天井や壁の崩落や電気配線の故障が起こり始め、改修工事が数回行われています。


人民公会堂(中国)
Source:Wikimedia Commons
By Yinan Chen - www.goodfreephotos.com (gallery, image), Public Domain, Link


・中国人民革命軍事博物館

 中国人民革命軍事博物館は中華人民共和国北京市海淀区に位置する国立博物館です。中華人民共和国建国十周年を記念して建築された十大建築の一つです。1958年10月に起工され、翌1959年7月には竣工するという、驚異的なスピードで建設されました(一般公開は1960年)。 設計を担当したのは北京市建築設計院でした。市内にある北京電報大楼と長話大楼と同様、完全なシンメトリーのプランの中央部に尖塔を頂く典型的なスターリン様式ですが、前二者は尖塔にあるシンボルが五角星形であるのに対し、当館は人民解放軍の八一軍徽となっています。


中国人民革命事博物
Source:Wikimedia Commons
Tyg728 - 自己的作品CC BY-SA 4.0链接


・北京展覧館

 北京展覧館は中華人民共和国北京市海淀区西直門に位置する展示場です。当時の友好国であったソビエト連邦の技術的援助を受け、1953年10月に着工、翌年の1954年9月に竣工しました。劇場等を併設しており、展示会やコンサート等、各種イベントが開催されています。
 
 延床面積は50,400m2。内部には総面積22,000m2、12の展示ホールをもち、他に10,000m2の野外展示場もあります。全体的な建築様式としては、中央に尖塔を頂き、強い左右対称形をもつスターリン様式であるものの、外装は淡いベージュで、尖塔や内部のシャンデリア等には繊細な装飾が施された優美な意匠をもっています。

 設計はソ連の建築家が行ったが、中国現地の対応は建築工業部建築設計研究院(現在の中国建築設計研究院)の戴念慈、毛梓尭、周永源が担当しました。同時期にソビエト連邦の援助を受けた建物に上海の上海展覧センターがあります。

 オープン時はソ連の芸術と文化を展示するための施設であり、建物名は「ソ連展覧館」でしたが、後に周恩来によって現在の名前へと改名されました。敷地内には、北側に劇場「北展劇場」、西側にロシア料理レストラン「モスクワ餐庁」、東側にホテル「北展賓館」を併設しています。2000年に2億人民元を投じて改修されました。


北京展覧館(北京)
Source:Wikimedia Commons


<朝鮮民主主義人民共和国>

・朝鮮中央歴史博物館

 朝鮮中央歴史博物館は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌市にある歴史博物館。金日成広場に隣接した場所にあります。1947年8月に完成しています。

 恐竜のジオラマに始まり、古代、原始時代の土器や青銅器、鉄器、装飾品などや李氏朝鮮時代の朝鮮絵画や陶磁器など約10万点の文化遺産が所蔵、展示されており、朝鮮半島北部の歴史を通覧できるようになっています。

 平壌に都があった高句麗と高麗に関しては、特に広いスペースを割いて展示しており、金メッキの甲冑を被った高句麗騎兵の実物大模型が展示されています。また、遼の侵攻や文禄・慶長の役、ジェネラル・シャーマン号事件などを迎え撃った朝鮮半島に対する侵攻を防いだ歴史にも大きく触れています。


朝鮮中央歴史博物館(北朝鮮)
Source:Wikimedia Commons
By Nicor - Own work, CC BY-SA 3.0, Link


・人民大学習堂

 人民大学習堂は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)平壌市中区域にある国立図書館、総合学術サービス施設です。1981年から始まった「大記念碑的創造建設」計画の下、金日成古希慶祝事業の一環として主体思想塔、凱旋門、金日成競技場とともに建設が始まり、1982年4月に完成しました。

 人民大学習堂は、朝鮮古来の建築様式を近代建築に適用したデザインで、10階建てである。6階のサロンにはテラスがあり、正面には主体思想塔が見えます。同大学習堂と路面を隔てた前面に、パレードで使用される主席壇があります。1983年4月には開館一周年を記念した70チョン切手が発行されています。


人民大学習堂(北朝鮮)
Source:Wikimedia Commons
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人民大学習堂(北朝鮮)
Source:Wikimedia Commons
Mark Fahey - Flickr: DSCF2400, CC 表示 2.0, リンクによる


つづく