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真田の里、信州旧真田町

「古城緑地広場」と

「歴史の丘


青山貞一  池田こみち  鷹取敦
September 5 2016
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真田の里、信州上田 2015-5, 2015-7
@ 大笹の関 E 角間と真田史跡 J 真田信綱と真田昌輝 O 幸隆と昌輝の墓
A 角間渓谷 F 山家神社 K 信綱寺の黒門 P 真田昌幸
B 岩屋観音 G 真田神社 L 馬頭観音とねじ行事 Q 実相院
C 猿飛岩 H 長谷寺 M 歴史の丘 R 実相院の観音堂
D 真田十勇士 I 真田幸隆 N 信綱寺 S 瀧水寺と観音堂

◆古城緑地広場

 馬頭観音を通り橋を渡りさらに進むと古城緑地公園と歴史の丘に出ます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW

 この時期、古城緑地公園と歴史の丘の桜は満開です。2015年5月のGWに出かけたときは下の写真のようにサクラは満開でした。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW

 古城緑地公園にある下の門は、ロータリクラブからあ寄贈されたものです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-5-GW


◆歴史の丘

 下は歴史の丘です。ここでもサクラが満開です。

 信綱寺の真ん前にある「歴史の丘」には六連銭のモニュメントが建つ古城緑地公園があります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-5-GW


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-5-GW


 またその中央に流れる小川は真田氏の歴史を貫く時間軸を示し、真田氏の発祥から大坂の役までを表現しているとのことです。

 なお、古城緑地広場一帯は「内小屋城」という旧い城の一部を遺公園としたものです。この公園にある「赤石の六文銭旗」は、大坂冬の陣における真田隊の「赤備え」を表現しただそうです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW

 以下は上図の解説の拡大です。

  

  



 さらに以下も上の図の解説です。 歴史は上から下に流れます。

 <1575年の長篠の合戦>→<1600年の関ヶ原の合戦>→<大坂の役(冬の陣、夏の陣)>とつづきます。それに合わせて主たる武将名があります。

 それに並行して、真田が仕えた戦国時代の武将名が、<武田信玄>→<武田勝頼>→<徳川家康>→<豊臣秀吉>→<豊臣秀頼>とあります。

 さらに真田家の武将として、<真田幸隆>→<真田信綱>→<真田信之>→<真田昌幸>→<真田信繁(幸村)>とあります。

 そして最後に発祥の地として、<真田>→<上田>→<沼田>→<高野山>→<大坂(真田丸)>とあります。

 高野山とあるのは、関ヶ原の戦いで西軍が負け、西軍として戦い負けた後、真田昌幸と真田信繁(幸村)親子は高野山近くの九度山に14年間蟄居させられます。14年目の大阪冬の陣で真田信繁(幸村)に豊臣秀頼から援軍の依頼があり、真田信繁(幸村)は大坂に向かうことになります。


つづく