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群馬県内古墳群探訪(高崎・前橋編)

はじめに

青山貞一 Teiichi Aoyama   池田こみち Komichi Ikeda
視察
2019-8-13/15  公開 2020-2-20
独立系メディア
E-wave Tokyo

無断転載禁
1日目 はじめに  八幡塚古墳  二子山古墳 薬師塚古墳 大鶴巻古墳  浅間山古墳 観音塚古墳
 上野国一社八幡宮 八幡宮2 八幡宮3 達磨寺1 達磨寺2 達磨寺3 達磨寺4  達磨寺5
2日目 小栗の里 大室公園  前二子古墳  中二子古墳  後二子古墳  小二子古墳  民家園1
 民家園2 民家園3 民家園4 民家園5 民家園6 民家園7 民家園8 埴輪1 埴輪2 
 はにわ館 宝塔山古墳  秋元氏歴代墓地 虻穴山古墳 総社歴史資料館1 資料館2 資料館3
 資料館4  資料館5  資料館6  資料館7  資料館8  資料館9  資料館10  資料館11
 愛宕山古墳 遠見山古墳 山王廃寺 まとめ

◆はじめに

 ひょんなことから2019年初夏、環境総合研究所の保養所(別荘)がある群馬県に、多くの古墳があることが分かりました。保養所を北軽沢に置いて20年弱、私達は群馬県内の自然公園、名峰、山脈、名所旧跡、寺社仏閣、世界遺産、日本史上の激戦地、明治以降の養蚕地域などに足を運び続けてきました。

 しかし、群馬県内にそんなに多くの古墳があるとは、知りませんでした。そこで毎年出かけている夏休みの保養所行きのなかで、2019年8月は、8月13日と15日に群馬県の高崎市と前橋市にある古墳を現地視察することを決めました。8月14日は雨天なので8月13日の次は8月15日としました。

 実際、現地に行ってみてびっくりです。群馬県内にはおもに6世紀に大きな前方後円墳が多数つくられており、そのなかの比較的大きな古墳を現地視察することができました。また横穴式石窟から出土された各種の文物の実物やレプリカにも接することができました。

 本稿は群馬県高崎市、前橋市の主な古墳の視察短訪報告記です。

 ところで、半年後、現地視察報告を執筆している最中、JR東日本の大人の休日倶楽部の吉永小百合さんナレーションのテレビCMのなかに、群馬県「古墳王国群馬篇」でが取り上げられていることを知りびっくりしました。

・大人の休日倶楽部・群馬県「古墳王国群馬篇」
https://tabi-mag.jp/jreast-otona2020/

・群馬県「古墳王国群馬篇」
https://www.jreast.co.jp/otona/tvcm/kofun.html

出典:上記

 なお、本現地視察記では、古墳、埴輪などの解説は、原則としてWikipedia, 高崎市、前橋市、大室公園、同民家園、前橋市総社歴史資料館などの関連する情報を援用しています。一方、写真は現地で青山、池田が撮影したものに加え、Wikimedia Commonsなどの写真を出典をつけ表示しています。

古墳の概要

 考古学者・松本豊胤は「ため池造成や水田経営を積極的に進めた豪族たちが、自らが開発した地域を見渡せる場所に古墳を造営していった」と説明しています。

 古墳は、規模や化粧方法の違いによって類別されるほか、その平面形状、さらに埋葬の中心施設である主体部の構造や形態によって細かく分類編年されています。

 墳丘の築造にあたっては、盛り土部分を堅固にするため砂質土や粘性土を交互につき固める版築工法で築成されるものも多いこと、こうした工法は飛鳥時代や奈良時代に大規模な建物の基礎を固める工法として広く使用されていることが、修繕時の調査などで判明しています。

 北海道式古墳として末期古墳があります。7世紀から10世紀に東北地方北部や北海道で造られた墳墓で、「蝦夷塚」とも呼ばれています。

古墳とは

 古墳(こふん)とは、古代の墳墓の一種。土を高く盛り上げた墳丘を持つ墓を指し、特に東アジアにおいて位の高い者や権力者の墓として盛んに築造されました。

 日本史では一般に、3世紀半ばから7世紀代にかけて日本で築造された墓を指します。

 なお、弥生時代の墓は「墳丘墓」、奈良時代の墓は「墳墓」と呼び区別されています。

古墳の発生

 古墳は、規模・形状、およびその他の要素において、弥生時代の墓制にとって変わったものでなく、非常に変化した墓制としてあらわれていました。それは、特定少数の埋葬法であり、同時代の集団構成員の墓と大きく隔たっています。

 さらに、地域的にも不均等に出現しています。古墳の発生は、墓制の単なる変化や葬送観念の変化にとどまらず、社会・政治の全般に関わる問題として現れました。
 
古墳数

 さて、以下は文化庁調べの『平成28年度 都道府県別古墳数です。古墳は関西以遠が圧倒的に多いのですが、群馬県は首都圏では千葉県に次いで第二位、日本全体でも11位となっています。しかも3993か所もあります。まさに群馬県は「古墳王国」のひとつなのです。

『平成28年度 都道府県別古墳数
 
周知の埋蔵文化財包蔵地数(古墳・横穴)』(文化庁調べ)
 ※現存と消滅を合算した数です

総数:159636
  1位)兵庫県:18851
  2位)鳥取県:13486
  3位)京都府:13016
  4位)千葉県:12765
  5位)岡山県:11810
  6位)広島県:11311
  7位)福岡県:10754
  8位)奈良県:9700
  9位)三重県:7025
 10位)岐阜県:5140
 11位)群馬県:3993
 12位)静岡県:3829
 13位)大阪府:3427
 14位)愛知県:3101
 15位)埼玉県:3100
 16位)長野県:2831
 17位)島根県:2571
 18位)香川県:2256
 19位)石川県:2107
 20位)茨城県:1862 

 以下は、群馬県内の主な古墳と2019年8月に視察した古墳です。黄色にしているのは、視察した古墳です。

群馬県の古墳

・保渡田古墳群(高崎市、国の史跡)
 井出二子山古墳(前方後円墳)
 八幡塚古墳(前方後円墳、前橋市にある、国の史跡、東日本最大の前方後方墳)


 八幡観音塚古墳(高崎市、前方後円墳、群馬県最後の前方後円墳といわれている。国史跡)
 浅間山古墳(高崎市、前方後円墳、国の史跡)
 大鶴巻古墳(高崎市、前方後円墳、国の史跡)


・大室古墳群(前橋市国の史跡)
 前二子古墳(前橋市、前方後円墳、国史跡
 中二子古墳(前橋市、前方後円墳、国史跡
 後二子古墳(前橋市、前方後円墳、国の史跡
 小二子古墳(前橋市、前方後円墳、国の史跡


・総社古墳群(前橋市、国の史跡)

 二子山古墳(前橋市、前方後円墳、国の史跡
 宝塔山古墳(前橋市、方墳、国の史跡
 蛇穴山古墳(前橋市、方墳、国の史跡、群馬県最後の古墳
 遠見山古墳(前橋市、前方後円墳、市史跡

 朝倉・広瀬古墳群(前橋市、国史跡2基、県史跡1基、市史跡3基、未指定約4基)
 天川二子山古墳(前橋市、前方後円墳、国の史跡)
 前橋天神山古墳(前橋市、前方後円墳、県史跡)
 山王金冠塚古墳(前橋市、前方後円墳、県史跡)
 お富士山古墳(伊勢崎市、前方後円墳、市史跡)
 荒砥富士山古墳(前橋市、円墳、県史跡)
 堀越古墳(前橋市、円墳、県史跡)
 月田古墳群(前橋市、市史跡など)
 鏡手塚古墳(前橋市、前方後円墳、県史跡)
 壇塚古墳(前橋市、円墳、県史跡)
 山ノ上古墳(高崎市、円墳、国の特別史跡)
 薬師塚古墳(前方後円墳)
 綿貫古墳群(高崎市、国の史跡など)
 不動山古墳(前方後円墳、市の史跡)
 綿貫観音山古墳(前方後円墳、国の史跡、豊富な埴輪使用)
 八幡二子塚古墳(高崎市 前方後円墳、市史跡)
 平塚古墳(高崎市 前方後円墳)
 元島名将軍塚古墳(高崎市、前方後方墳、県史跡)
 しどめ塚古墳(高崎市、円墳、県史跡)
 本郷大塚古墳(高崎市、前方後円墳、県内最古の前方後円墳とされている。)
 安楽寺古墳(高崎市、円墳、県史跡)
 太田天神山古墳(太田市、国の史跡、墳丘長210メートルで京都府以東最大の前方後円墳)
 女体山古墳(太田市、国史跡、東日本最大の帆立貝形古墳)
 稲荷山古墳 (太田市)(太田市、高校敷地内に所在。学校のシンボルとなっている)
 朝子塚古墳(太田市、前方後円墳、県史跡)
 頼母子古墳(太田市、消滅)
 二ツ山古墳(太田市、前方後円墳、県史跡)
 西山古墳(太田市、前方後円墳、県史跡)
 北山古墳(太田市、円墳、県史跡)
 鶴山古墳(太田市、前方後円墳、県史跡)
 塚廻り古墳群(群馬県太田市、県史跡など)
 塚廻り4号墳(太田市、帆立貝形古墳、県史跡)
 白石古墳群(群馬県 藤岡市 国史跡他)
 白石稲荷山古墳(藤岡市、前方後円墳、国の史跡)
 七輿山古墳(藤岡市、前方後円墳、国の史跡)
 皇子塚古墳(藤岡市、円墳、県史跡)
 平井地区1号古墳(藤岡市、円墳、県史跡)
 伊勢塚古墳(藤岡市、八角墳、県史跡)
 虚空蔵塚古墳(渋川市、円墳、県史跡)
 中ノ峯古墳(渋川市、円墳、県史跡)
 高塚古墳(榛東村、前方後円墳、県史跡)
 中塚古墳(桐生市、円墳、県史跡)
 笹森古墳(甘楽町、前方後円墳、県史跡)
 北山茶臼山古墳(富岡市、円墳、市史跡)
 簗瀬二子塚古墳(安中市、前方後円墳、国史跡)
 三津屋古墳(吉岡町、八角墳、県史跡)
 古海原前1号墳(大泉町、帆立貝形古墳、県史跡)

群馬県内古墳公園・資料館
 大室公園
 前橋市総社歴史資料館




保渡田古墳群、井出二子山古墳
撮影:青山貞一 Nikon CoolpixS9900  2019-8-13

 なお、今回視察した古墳の大部分は前方後円墳一部円墳でしたが、古墳には以下の種類があります。また、大部分が横穴式の石室でした。


3DCGで見た前方後円墳
Source:Wikimedia Commos


 以下は形態別の古墳の種類です。  出典:古墳マップ

 円墳
 方墳
 前方後円墳
 前方後方墳
 双方中円墳
 双方中方墳
 帆立貝式古墳
 四隅突出墳
 双円墳
 双方墳
 八角墳
 六角墳
 上円下方墳
 長方形墳
 横穴墓
 地下式墓
 古墳群
 群集墳
 遺跡
 不明
出典:古墳マップ

 以下は、前橋市の大室公園の古墳地図です。


大室(古墳)公園 
撮影:青山貞一 Nikon CoolpixS9900  2019-8-15

◆横穴式石室

 横穴式石室とは、日本において古墳時代後期に古墳の横に穴をうがって遺体を納める玄室へつながる通路に当たる羨道(せんどう)を造りつけた石積みの墓室のことをいいます。

 英国の古墳(羨道墳、Passage grave)などヨーロッパやインドなどでも普遍的に見られる墳丘墓の内部施設ですが、特に日本の場合は、古墳時代前期の粘土槨による竪穴式の墓室や竪穴式の石室に対する概念として、中国の塼槨墓(せんかくぼ)の影響を受けながら、新羅などの朝鮮半島諸国や日本で発展・盛行した横穴式の古墳内部施設としての墓室を指す概念です。

 高句麗の影響が、5世紀頃に百済や伽耶諸国を経由して日本にも伝播したと考えられ、主に6~7世紀の古墳で盛んに造られました。奈良県の石舞台古墳のような巨石を用いるもの(石舞台の場合は墳丘が喪失している)が典型的ですが、中国の塼槨墓を意識したような切石や平石を互目積(ごのめづみ)にした磚槨式石室と呼ばれるものもあります。


宝塔宇山古墳の石窟前で
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2019-8-15


八幡古墳へつづく