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   ウズベキスタン現地予備調査

ブハラの「私立学芸員」

The Private Curator of Bukhara

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
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 アルク城のところで述べたように、ブハラ1日目、私達がアルク城を視察していると、黒ずくめの男性が英語で話しかけてきました。

 すごく親切なこと、説明が詳しいこと、さらに流ちょうな英語を話すことから、私達はすっかりアルク城専属の学芸員かと思い込みました。

 下の写真の左側の男性がその「学芸員」です(笑)。


アルク城にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-26

 しかし、アルク城視察後、昼食のレストランを教えてくれたまでのはよかったのです(笑い)が、レストランまでついてきました。彼は私達の隣に座り、一緒に食べ出しました(笑)。

 さらに食事中に、突如「明日の予定は?」と聞いてきました!

 そこで「私達は自分たちであちこち視察する」と言うと、自分の車で一日案内すると言い出しました! 

  この時点で、この黒ずくめの男性は公設学芸員ではなく、アルク城を訪問する観光客などを相手に「一日単位のオプショナルツアー」を提案する私立学芸員であることが分かりました。

 その私立学芸員君から、「通常の観光では行かない、ブハラの隠れた名所を丸一日かけて案内する」と提案を受けたので、当然のこととして、「行っては見たいが、いくら掛かるのか」と率直に聞いてみました。

 すると私立学芸員が当初示した額があまりにも現地相場で高額だったので、にべもなく断りました(笑)。

 というのも、事前にウズベキスタンの平均年収などを調べて頭に入れておいたので、提示した額は相場の最低でも2倍、ひょっとすると数倍高いと即時に考えたからです。

 もちろん、日本の旅行代理店などが1名、2名の客を案内する場合、運転手付きの車、詳しい日本語ガイド、昼食付きのオプショナルツアーの費用に比べれば高額なものではないかも知れません。とはいえ、経験上、現地調達の場合は、だいたいその半分以下が普通なのです。

 私立学芸員君は、その後、「いくらならOKなのか?」としつこく言ってきます。

 青山は「半分ならしかたない」と言うと、こんな日本人初めてだという顔をしています(笑)。

 私立学芸員君は、 「自分でレンタカーを借りれば、ガソリン代もかかかるし・・・」と言い出すので、そもそも、貴方が勝手に私達に提案してきたことなので、半分で嫌なら、とっととお帰りください!と告げました。ここで強く出ないと、交渉にならないからです。

 さらに「半分でだめらな、自分たちで勝手に行くので結構」と言ってホテルに帰るそぶりをしました。

 この種の交渉は、私達にとっては当たり前のことです。多くの日本人は相手の言いなりの額を支払うので、日本人とみれば「鴨が葱をしょって自分の方に歩いてくる」と思われているのです(笑)。

 下の写真の左端の黒ずくめの男性がその「私立学芸員」です(笑)。


死の町、チョルパクルにて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-26

 当然ですが、彼は現地の歴史、文化、宗教、生活にもの凄く詳しく、しかも流ちょうな英語を話します。しかし、日本語は一切話せないので、英語が通用する日本人や欧米人などの外国人がカモネギの対象となっているようです。

 最終的に、私立学芸員が当初示した額の半分で交渉成立となりました(笑)。

 私立学芸員は何と「前金で支払って欲しい」と言い出しましたが、トンデモありません。翌日の現地視察がすべて終わった段階で支払いしますと、釘を刺しました。

 交渉の内容は、午前9時にホテル前に車で迎えに来てもらい、通常外国人がほとんど行かない場所を含め10数カ所を詳細なガイド(英語)付きで訪問し、夕方5時頃、ホテルの玄関まで送ってくれること、車の手配、ガソリン料金、詳細説明(英語)、ホテル送迎を契約内容としたのです。

 これに含まれないものとしては、昼食、王宮などの入場料です。もっぱら、今まで入場料を取られたのは、ブハラハーンの夏の王宮のみでした。また昼食を食べていると時間がもったいないので、昼食抜きで視察することにしました。

 かくしてブハラ2日目の現地視察の交渉が終わり、朝から夕方まで私立学芸員の案内で、通常の観光客、まして日本人が行かないモスク、王宮、メドレセなどを徹底的に案内してもらい、昼食は一切なしです。

 そんな背景もあり、昼食を取っていると通常観光客が行かないブハラの隠れた名所行きの時間が減ります。昼食抜きで朝から夕方までびっしりと現地視察をすることになったのです。

 ブハラ2日目、最初に訪問したのが死の町、チョルパクル、最後に訪問したのがブハラ空港近くの「もうひとつのメッカ」と呼ばれるバハウッディン‐ナクシュバンド廟です。私立学芸員君が言われてた通り、いずれも見応えのあるすばらしいモスクなどでした。


つづく