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   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド2日目

シャー・ヒ・ジンダ霊廟群@
Sho-hi-Zinda ansambli Visit in Samarkand

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月10日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

◆シャー・ヒ・ジンダ廟群

 シャー・ヒ・ジンダ霊廟群には、11世紀に作られたティムールゆかりの人びとの40に及ぶ霊廟がほぼ一直線に建ち並ぶ「死者の通り」です。装飾の美しさ、多様さで中央アジア指折りの観光名所ともなっています。

 シャー・ヒ・ジンダとは、「生ける王」の意味です。七世紀のアラブ侵略時の伝説がもとになっています。実際、ここには多くの巡礼者や観光客が居ました。

 この霊廟に行く途中、ウズベキスタン・サマルカンド在住の三人の若い女性が私たちの近くを歩いておりました。

 挨拶すると喜んで応対しました。聞けば、三人は18歳で、ともにガレッジを卒業後社会人となっており日曜日なので何度も来ている霊廟群に再度行くとのことです。そこで、話ながら一緒に行くことにしました。

 下の写真はその三人組の女性と青山貞一です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 下は外からみたシャー・ヒ・ジンダ霊廟群です。ほぼ横一線に40もの廟などが並んでいます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 下はシャー・ヒ・ジンダ霊廟群の入場料を払っているところです。シャーヒジンダ廟群では、入場料というよりも、日本のお賽銭あるいは寄附に近いお金と感じます。
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 下がシャー・ヒ・ジンダ霊廟群の入場券です。2人分です。一人当たり8000スムは約400円です。これには入場券だけでなく写真撮影料なども含まれます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 ところで、世界的な旅行会社、トリップアドバイザー(Tripadvisor)が実施している世界各国からサマルカンドに来ている旅行者への訪問先好感度アンケートでは、何とこのシャー・ヒ・ジンダ霊廟群がずっとNo.1を獲得しています。

 下はそのランキングです。サマルカンドでは、全15のなかでシャー・ヒ・ジンダ霊廟群は1位、レギスタン広場が2位、グーリー・アミール廟が3位、ウルグ・ベグ・マドレサが4位、ビビ・ハニム・モスクが5位、ティルヤ・コリ・マドラサが6位となっています。ただし、2位、4位、6位はいずれもレギスタン広場及びそのなかにあるマドレサです。


情報提供:トリップアドバイザー(Tripadvisor)

 そのことから見ても、シャー・ヒ・ジンダ霊廟群は、名実ともにサマルカンドを代表するイスラム教の宗教的価値をもった観光資源であると言えそうです。

 ちなみに第2位以下にはレギスタン広場やそこに鎮座するマドレセ、さらにグーリ・ティモールモスク、ビビ・ハニムモスクなどが含まれています。

 以下は、シャー・ヒ・ジンダ霊廟群の概要説明です。

シャーヒジンダ霊廟群《Shohizinda ansambli》

 ウズベキスタン南東部の古都サマルカンドにある霊廟群。アフラシャブの丘の南麓に位置する。名称は「生ける王」を意味し、サマルカンドに初めてイスラム教を伝えた預言者ムハンマドの従兄弟クサム=イブン=アッバースの不死の奇跡にちなむ。11世紀から15世紀にかけて建造された、チムール帝国の創始者チムールにゆかりのある親族や将軍等を祭る10以上もの廟がある。シャーヒジンダ廟群《Shohizinda ansambli》は、ウズベキスタン南東部の古都サマルカンドにある霊廟群です。アフラシャブの丘の南麓に位置しています。

 ところで、シャー・ヒ・ジンダ霊廟の名称は「生ける王」を意味しています。

 サマルカンドに初めてイスラム教を伝えた預言者ムハンマドの従兄弟クサム・イブン・アッバースの不死の奇跡にちなんでいます。そのイブン・アッバース、11世紀のKusamの霊廟(Qusam Ibn Abbos Maqbaraasi, XI ASR)は、入り口を入って、一番奥の右側のさらに奥にあります。

 このシャー・ヒ・ジンダ霊廟には、11世紀から15世紀にかけて建造されたティムール帝国の創始者ティムールの親族、関係者、将軍などを祭る30以上の廟があります。

 サマルカンドだけでなくウズベキスタン各地においても、これだけ廟、モスクなどが比較的狭い地域に集中し、連単している場所は他にありません。そのためイスラム教とのみならず、各国からの観光旅行者にも人気のある場所となっているのだと思います。

 入口で入場料と撮影料を支払い、全部で40ほどある霊廟をひとつひとつゆっくりと回り視察しました。もっぱら、彼女らはすでに何回か来ているそうです。

 シャー・ヒ・ジンダ霊廟群は、サマルカンドのアフラシャブ(Afrosoiab)の丘の南にありますが、その丘はサマルカンド隋一の聖地となっており、何とシャー・ヒ・ジンダ霊廟群に二度礼拝に来ると、サウジアラビアにあるメッカに一度行ったのと同じとみなされるそうです。なかなか興味深い話しです。そのシャー・ヒ・ジンダ霊廟群は、、「生ける王」とともに『死者の通り』ともよばれています。

 道路から入ると、まず、立派な入口があります。

 この入口は、天文台をつくったことでも有名なティムールの孫、ウルグ・ベク建てたそうです。この入口の門をくぐると、『天国への階段』と呼ばれる階段があります。この階段は下の写真のように上りの急な階段になっています。


『天国への階段』
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-34

 青山は重度な気管支喘息なので、体調が悪化していると登れませんが、今回は問題なく登れました。


『天国への階段』
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-34

 なお、そのウルグ・ベクがつくった天文台跡には、シャー・ヒ・ジンダ霊廟群を視察した後、向かう予定です。

 さらに、この天国への階段の段数を数えながら登り下りし、行きと帰りで同数だったなら天国へと行くことができるそうです。これもなかなか興味深いです。下は3人組と池田が登っている写真です。果たして段数を勘定しているのかな?

◆メッカ(アラビア語:Makkah )

 
  
 メッカは、サウジアラビアのマッカ州(歴史的にいえばヒジャーズ地域)の州都です。正式名はマッカ・アル=ムカッラマ( Makkah al-Mukarramah 「栄光あるメッカ」)。別名、ウンム・アル=クラー(Umm al-Qur? 「町々の母」)です。

 サウジアラビア政府は、1980年代に当市の名前の公式な英語表記を、西洋人が以前から一般に用いてきた綴りである Meccaから Makkah に改めたました。

 人口は1,294,167人(2004年国勢調査)。ジェッダから73km内陸に入った狭い砂地のアブラハムの谷にあり、海抜は280mです。紅海からは80km離れています。

 メッカは、イスラム教最大の聖地であり、祈りを捧げるところです。イスラム教徒は一日に五回決まった時刻になると、メッカの方向に向かって三度礼拝を行います。

 携帯電話のGPS機能などにより、遠くにいてもおおよそのメッカの方角を知る事が可能になっています。

 メッカはイスラム教最大の聖地とされており、当地へのハッジ(巡礼)は体力と財力が許す限りあらゆるムスリム(イスラム教徒)が一生に一度は果たすべき義務です。

 これは聖典クルアーン (Q 3:97) の記述を根拠とするもので、イスラーム暦の第12月にあたるズー・アル=ヒッジャ月の8-10日に行われる巡礼である「ハッジ」のことを指しまる。

 この期間には世界中からハッジの行事に参加するため集まる。その期間以外で随時個々に行われている巡礼「ウムラ」も多くのムスリムが財力や体力の許す限り行っているため、メッカとカアバの周辺には一年を通じて絶えず巡礼者が訪れています。

 ムスリムはマスジド・ハラーム(聖なるモスク。カアバを保護する)を地上で最も神聖な場所と考えています。マディーナと並んでイスラム教二大聖域(メッカ、マディーナを併称する場合、「2つの聖なる禁域」という意味で、アラビア語で「ハラマイン」とも呼ばれる)とされているため、マディーナ同様イスラム教徒以外の入場はできず、通じる道路の手前にある検問所より先に行くことができません。古くから異教徒がイスラム教徒に変装しメッカを訪れる者がおり、中には処刑された者もいます。

出典:Wikipedia

 下はシャー・ヒ・ジンダ霊廟群の右端が入口で、左端が出口であり、実に40近くの霊廟、石棺、モスク、礼拝所、ドームなどが配置されていることが分かります。


つづく