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若狭湾岸原発銀座視察

敦賀原子力館
青山貞一
Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2018年8月
独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁

 
 施設・訴訟概要  敦賀原子力館  ふげん  三方五湖
 美浜原子力PRセンター  もんじゅ1  もんじゅ2  もんじゅ3

 2016年9月、大阪経由で滋賀県の長浜で一般した後、レンタカーを借りて福井県の若狭湾岸にズラーッと並ぶ原子力関連施設を視察し事業者側の担当者と議論をした。

 下図は福井県の若狭湾岸地域を示したものである。
 

「若狭湾岸原発銀座」における原子力関連施設立地図
出典:グーグルマップをベースに青山が作成

 宿泊先の滋賀県長浜市の国民宿舎から敦賀市にある日本原子力研究開発機構のふげん施設までは、高速道路を使うと2時間ちょっとで行ける。午前中、長浜市やその近くにある石田三成に関連する寺などを視察したあと、午後一番にふげんに向かった。

 石田三成関連の論考17本は以下にある。

 ◆青山貞一・池田こみち: 石田三成の古里(17本)


出典:グーグルマップ

 以下は長浜から敦賀に向かう途中の車窓の風景である。ご覧のように30分走っても対向車が一台もいないほど、ひっそりとした風景が続いた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 今回、日本原子力研究開発機構関連のふげんともんじゅについては、あらかじめ東京から施設見学と議論につき、先方にアポイントをとっておいた。

 敦賀に早めに到着したので、日本原子力発電の「敦賀原子力館」を見学した。「敦賀原子力館」には受付嬢と青山、池田以外誰も入館者はいなかった。


敦賀原子力館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


敦賀原子力館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


敦賀原子力館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


出典:敦賀原子力館公式Web


敦賀原子力館から見た敦賀原発
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


敦賀原子力館から見た人原子力発電の敦賀原発
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は日本原子力発電の敦賀原発1、2号機の位置を示しているが、2号機のすぐ北に「ふげん」があることが分かる。さらに敦賀半島の突端に、敦賀原発の3,4号機の増設予定地があることも分かった。



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は、敦賀原発1号機の廃止措置計画許可申請の概要である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 この後、館内の展示物を見て回る。

 敦賀原発の原子力館内には、さまざまな原発関連の施設・設備の模型、現物などが置かれていた。

 下はそのひとつ、管内の空間放射線量率を測定するシステムである。みれば、0.193μSv/hと結構高い。ちなみに青山の東京品川区の自宅の線量は、平均して0.05μSv/hであるから、約4倍高いことになる。もっぱら、背景線量が不明なので、これが原発施設からの影響であるかどうかは不明である。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 以下は復水器管板の説明である。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 下の図は敦賀原発のものではないが、復水器の位置と役割を示す図である。


出典:系統概要図 復水器詳細図



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 敦賀原発2号機は日本初のプレストレスト・コンクリート製格納容器(PCCV)。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 プレストレスト・コンクリート(PCCV)と呼ばれる高強度の鉄筋コンクリートで作られた原子炉格納容器。プレストレスト・コンクリートは、内部にテンドンと呼ばれる鋼線を入れて予め構造物を強く締めつけ、圧縮力を与えた状態で製造した鉄筋コンクリートである。地震国の我が国では万一の場合に放射能の最終閉じ込め機能を担う原子炉格納容器には高度の耐震性能が要求されており、従来原子力発電所では肉厚の鋼製格納容器が採用されてきた。

 しかし、近年原子力発電所の単基容量が増大し、格納容器が大型化するに伴い、製作上の問題を解決するとともに、原子炉建屋を小型軽量化して耐震性を向上させるために、コンクリート製格納容器が採用されるようになってきている。特に、PWRでは原子炉冷却材喪失事故時における圧力上昇に耐えるため、格納容器の強度を増大するか、又は内容積を大きくすることが必要となり、強度の高いプレストレスト・コンクリートが使用されるようになった。我が国では大飯発電所3号、4号、玄海発電所3号、4号などの120万kW級のPWRでPCCVが採用されている。

出典:プレストレスト・コンクリート製格納容器 - ATOMICA



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 ガラス固化体(vitrified radioactive waste、radwaste)とは、高レベル放射性廃棄物をガラスとともに融解し、ステンレス製のキャニスター(容器)へ注入・固化させたものである。核燃料サイクルの最終工程である地層処分の為の最終梱包・処理形態であり、高レベル放射性廃棄物に対するこれ以降の加工処理はない。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 以下は敦賀原発に関連した調査資料(Wikipedia)である。いずれも出典はWikipediaの敦賀発電所である。

参考

◆敦賀原発が抱えるリスクについ

 敦賀発電所1、2号機の敷地内には破砕帯(古くもろい断層)が、少なくとも約160本存在する。また、活断層の浦底―柳ケ瀬山断層帯(浦底断層)が通っている[9]。また、2号機の真下にある亀裂も活断層である可能性があり、原子力安全・保安院は調査を求めた。なお、国の原子力発電所の耐震設計指針によると、活断層の真上に重要設備の設置は認められていない。すなわち、この亀裂が活断層と確定すれば、2号機は廃炉とされる可能性がある[10]。

 2012年後半から敦賀原発の敷地の地層を調査していた原子力規制委員会の専門家チームは12月1日、浦底断層について「非常に活動的」との見方でほぼ一致した[11]。


敦賀原子力発電所周辺の過去1年間の地震の震源分布と地殻変動(防災科学技術研究所 Hi-net 高感度地震観測網の地震データと国土地理院の電子基準点の位置データより作成)。 出典:Wikimedia Commons

 2012年12月10日、原子力規制委員会の専門家調査団が原子炉直下にある断層(破砕帯)を活断層の可能性が高いと判定した、[12][13]。

 2013年5月15日、原子力規制委員会の専門家調査団は2号機直下にある断層(破砕帯)は「活断層である」と断定する評価報告書を正式にまとめた。2号機は廃炉に向かう可能性が濃厚となった[14]。

 2015年4月27日、1号機を運転停止し、法的に正式に廃止とする方針が発表された[3]

◆敦賀原発の過去の主なトラブル

1981年4月 福井県の定期モニタリング調査で、海藻から異常に高い放射能が検出された。調査の結果、敦賀発電所一号機の一般排水溝から放射性物質が漏洩したことが分かった。漏れた放射性物質はコバルト60であり、平常時の約10倍の量が検出された。さらに調査を進めたところ、一般排水路の出口に積もった土砂からも高濃度のコバルト60とマンガン54が検出された。しかし、一般排水路は放射能とは関係のない配水系統であり、ここからは放射性物質が検出されるはずがない場所であった。結局、放射性物質が検出された原因は、原子力安全委員会の調査によると放射性廃棄物処理旧建屋の設計・施工管理上の問題に、運転上のミスが重なったからとされた[15]。
しかし、コバルト60とマンガン54が検出された原因は、この漏出が判明する前月に大量の放射性廃液がタンクからあふれるという事故が起きていたからであった。そして敦賀発電所はその事実を隠蔽していたことも同時に明らかとなった。つまりいわゆる「事故隠し」が行われていたのであった。この「事故隠し」によって、これ以降の日本での原子力発電に対する不信感が大きく芽生えるきっかけになったと考えられている[16][17]。
1996年12月24日、敦賀2号機で化学体積制御系エルボの製造に問題があり、一次冷却水ホウ酸水が漏洩したため、原子炉を手動停止した[18]。
1997年10月24日、敦賀1号機、制御棒1本の動作不良で原子炉手動停止。国際原子力事象評価尺度(INES)はレベル1。原因は制御棒の製造不良だった[19]。
1999年7月12日、敦賀2号機の再生熱交換器から大量の1次冷却水漏れ。原子炉手動停止。国際原子力事象評価尺度(INES)はレベル1。[20]
1999年12月9日、定期検査中シュラウドサポートに300か所のひび割れを発見し改修[21]。
2003年9月9日、2号機加圧機逃し弁の溶接部から漏洩[22]。
2010年7月21日、日本原子力発電は、敦賀1号機で、再循環ポンプなどの溶接部分について点検が一度も行われていなかったことが明らかになったと発表した。その溶接部分は、冷却水を炉心に送り込む原子炉再循環ポンプや原子炉圧力の排水用配管の弁などである。第33回定期検査(2011年に実施する予定)で再循環ポンプ系の配管を取り替える工事の準備段階で判明したという。
2011年1月24日、経済産業省の原子力安全・保安院は、敦賀1号機で、複数ある緊急炉心冷却システムの1つが機能しない状態で約1か月間運転していたとして、日本原子力発電を厳重注意した[23]。2010年12月の検査時には正常に動作していたが、2011年1月の検査では正常に動かなかった[23]。
2011年5月2日、敦賀2号機の1次冷却水で放射能濃度上昇[24]。
2011年5月7日、敦賀2号機原子炉手動停止[25]。
2011年5月9日、敦賀2号機 放射性ガス漏洩[26]。
2011年6月3日、日本原子力発電は、敦賀2号機で5月8日に排気筒から微量の放射性ガスが漏れた問題で、放射性ガスが通る配管に33カ所の微小な穴が開いていたこと、及び、1987年の運転開始以来、この配管の点検をしていなかったことを明らかにした[27]。 


つづく