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第二次世界大戦 国別ナチス・ドイツの強制収容所 (概要、写真)
Nazis Germany built Consentoration and Extermination Camps by Coutry in WW2


青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda共編
Feb 25, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁
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ナチスドイツの人体実験
 ナチスドイツ強制収容所の歴史  強制収容所の組織体制  アウシュヴィッツTUV共通解説
 ナチスドイツの人体実験  *アンネ・フランク  個別収容所詳細ヘ 
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 本稿は、ナチスドイツの医師らが強制収容所、絶滅収容所などで行ってきたいわゆる「人体実験」の概要について、主にアウシュヴィッツT、U、Vを中心に解説します。それ以外の強制収容所などでも人体実験が行われてきましたが、それらについては、池田こみちの以下の論考やDVD、ビデオライブラリーなどを参照ください。

◆集:ナチスドイツ「科学と卍:おそるべき人体実験」
◆池田こみち(環境総合研究所顧問)ナチスドイツ、ホロコーストにみる医師達の狂気
ナチスドイツ「科学と卍:恐るべき人体実験」 Science and the Swastika :The Deadly Experiment  訳:池田こみち(環境総合研究所顧問
Science and the Swastika :The Deadly Experiment

解説
 ナチス・ドイツの人体実験は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにより強制収容所で行われた、一連の医学的な人体実験である。収容者は実験に参加することが強要され、自発的な参加は無く、実験に関するインフォームド・コンセント(事前説明)はされていなかった。通常、被験者は死亡するか、醜悪な外観が残るか、あるいはその後一生涯にわたる障害が残った。

 アウシュヴィッツ強制収容所では、医務長であったエドゥアルト・ヴィルツ (en) の指示により、選別された収容者に対して、その成果が、戦闘状態にあるドイツ軍人を助けたり、新兵器を開発したり、負傷した兵士の回復を助けたり、あるいはナチズムに後押しされた合理的なイデオロギーを推進すると考えられていたため、様々な危険な実験が施された。

 また、アリベルト・ハイムは、マウトハウゼン強制収容所において、同様の実験を行った。カール・フェルネット (en) は、同性愛者に対して、その治療を試みたことで知られている。戦後、これらの戦争犯罪は、医者裁判として知られている裁判によって裁かれ、この残虐行為に対する憎悪や嫌悪感が、医療倫理に関するニュルンベルク綱領の発展へと繋がった。

実験
 ニュルンベルク継続裁判における起訴状によると、人体実験には以下のような実験が含まれていた。実際には、ナチス・ドイツによってさらに多くの人体実験が行われたと考えられている。

双子への実験
 強制収容所にいた双子の子供に対して行われた実験の目的は、人体を人為的に操作できるかどうかを観察するのと同様に、双子の遺伝子の類似性と相違性を示すためであった。実験の中心的なリーダーはヨーゼフ・メンゲレであり、彼は1943年から1944年にかけて、アウシュヴィッツに収容されていた双子1,500体に対して実験を行った。わずか100人の被験者のみが生き残った。

 彼はルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンで、哲学や人類学や古生物学に重点を置いた医学を学ぶ間に、「(ファシズムという)簡潔な政治概念が、遂には私の人生において決定的な要素となった」と述べたと言われている。メンゲレは、「簡潔な政治的概念」に新たな関心を示し、医学と政治の融合が、彼のキャリアの選択において大きな要素となった。

 メンゲレは、「4種の人種グループを対象とした下顎部分の人種的形態学的研究 (Racial Morphological Research on the Lower Jaw Section of Four Racial Groups)」というタイトルの論文により博士号 (PhD) を取得した。この論文は人種は顎の形によって識別が可能であることを提起していた。

 ナチスによって彼は研究の才能を見出され、1943年5月30日、彼は占領下のポーランドに位置するアウシュヴィッツ強制収容所に異動となった。

 彼は、一般的に考えられているところとは異なり、アウシュヴィッツで唯一の医者であったわけではなく、高い地位にいたわけでもない(親衛隊の大尉であったエドゥアルト・ヴィルツ (en:Eduard Wirths) が、アウシュヴィッツにおける医師の責任者であった)。

 メンゲレは、双子に対する遺伝学的実験を組織した。双子は年齢と性別によって分けられ、実験の合間はバラックに収容されており、異なる薬品が双子の目から注入され、色の変化があるかどうかを確認され、双子を文字通り縫い合わせて結合双生児を作ることが試された。

マラリア実験
 1942年2月から1945年の4月くらいまで、マラリア治療に関する免疫調査のために、ダッハウ強制収容所においてマラリア実験が行われた。この実験はクラウス・シリング博士の指揮下で行われ、健康な収容者が蚊によって直接、あるいはメスの蚊の粘液腺からの抽出物を注射され、マラリアに感染させられた。マラリア感染後、被験者には薬剤の相対的な効力をテストするため、様々な薬物が投与された。1000人以上がこれらの実験に動員され、その半数以上が死亡した。

マスタードガス実験
 1939年9月と1945年4月の間、ザクセンハウゼン強制収容所やナッツヴァイラー強制収容所などで、マスタードガスによる負傷者の最も効果的な治療を調査するために、数多くの実験が行われた。被験者は、酷い化学火傷 (en:Chemical burn) を引き起こす物質であるマスタードガスやルイサイトなどの糜爛剤に意図的に暴露された後、マスタードガスによる火傷の最も効果的な治療法を見出すために、実験が施された。

 スルフォンアミド(サルファ剤)の実験
 1942年7月頃から1943年9月頃まで、人工の抗菌剤である、スルフォンアミドの有効性を調査するための実験が、ラーフェンスブリュック強制収容所にて行われていた。被験者は、負わされた傷口に、連鎖球菌やウェルシュ菌 (ガス壊疽の原因物質)や破傷風の原因菌である破傷風菌などのバクテリアを感染させられた。

 戦場における負傷時と似通った条件を作り出すために、傷の両端の血管が結紮されて、血流が阻害させられた。木を削ることや、ガラスを傷口の中に入れることを強いられたりして、感染状態は悪化した。有効性を決定するために、スルフォンアミドや他の薬品で、処置された。

海水実験
 1944年7月頃より1944年9月頃まで、海水を飲むことを可能にするための様々な方法を調査するために、ダッハウ強制収容所にて実験が行われた。一つには、約90人のロマのグループが、ハンス・エッピンガー (en:Hans Eppinger) 博士によって、食べ物を奪われて海水だけを飲まされた。

 被験者は博士により重度な傷を負った状態となった。被験者は、ひどい脱水症状になり、飲み水を得ようと、新しくモップがけされた床を舐めるところが目撃された。

出典:Wikipedia

◆集:ナチスドイツ「科学と卍:おそるべき人体実験」
◆池田こみち(環境総合研究所顧問)ナチスドイツ、ホロコーストにみる医師達の狂気
ナチスドイツ「科学と卍:恐るべき人体実験」 Science and the Swastika :The Deadly Experiment  訳:池田こみち(環境総合研究所顧問
Science and the Swastika :The Deadly Experiment