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千野志麻さんと「地の塩」

青山貞一

初出:2006年4月10日、拡充2013年1月11日


独立系メディア E-wave Tokyo


 元フジテレビ女子アナの千野志麻さんが人身事故を起こし、書類送検された。以下は当人が個人ブログに書かれた詫び状である。


 この度、私、千野志麻は運転中、自らの過失により人身事故を起こしてしまいました。

 人の命を奪うという取り返しのつかない事態に言葉に尽くせぬ思いでいっぱいですが、まずはお亡くなりになられた方とそのご遺族の皆様には心より深くお詫び申し上げます。

 また関係する多くの方々には多大なるご迷惑とご心配をおかけ致しましたこと重ねて深くお詫び申し上げます。

 起こしてしまった事の重大さに向き合い、深く反省するとともに、ご遺族の皆様には誠心誠意お詫びの気持ちの限りを尽くしてまいります。

 誠に申し訳ございませんでした。

千野志麻

 ところで、環境総合研究所の非常勤研究員の斉藤真実さんの賀状に、イタリアのヴィスコンティが監督した映画「山猫」の有名な一節、We must change to remain the same が書かれていた。

 和訳すると、「変わらずに生きるためには、変わらなければならない」である。

 この「山猫と地の塩」については、独立系メディアの盟友、佐藤清文さんが2006年4月1−日に以下の論考で詳しく書かれているので、ご一読いただきたい。

◆佐藤清文:「山猫と地の塩」
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/sato-col0009.html

 さて、佐藤清文さんの論考の題は、『山猫』と地の塩である。地の塩とは何だろうか? ここからが本題である。

 地の塩には、非常に深遠な意味がある。千野志麻 という生は、この地の塩からとられていたのである。


 以下はそれに触れた、同じく2006年4月10日に書いた私の論考であえる。

 
毎日、この「今日のコラム」を読んでくれている娘の(青山)礼奈が「お父さん、今日は「地の塩」のことが書かれていたね」と言う。

 「地の塩と言えば、フジテレビ女性アナの千野志麻さんのこと知っている?」 と話しかけてきた。

 もちろん千野志麻さん、通称、チノパンのことは知っている。独立系メディアを主唱し、運用している私たち青山、池田も一時期、4年ほど、フジテレビのシンクタンクに在籍していた。 

 娘の礼奈は臨月。実家に帰っている。

 さらに娘は、「千野パンの父は、お父さん(青山貞一)の大学を卒業していたよ」と言う。

 そこまで聞いでも、まだ娘が何を言いたいのか分からなかった。

 そこで娘はそばにあるパソコンをたちあげグーグルで以下を検索し私に見せてくれた。

 
例のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)である。
 

◆千野志麻ちの しお 1977年8月9日 - )

 平成期の元フジテレビアナウンサー。 静岡県沼津市出身。AB型。不二聖心女子学院高校卒。聖心女子大学文学部歴史社会学科卒。

 「千野志麻」の名は、聖書の「地の塩」からとられ、人間にとってかかせない存在になってほしいとの願いが込められている。

 3歳から大学2年まで、クラシックバレエをやっていた。趣味は、料理や社交ダンス。

 父の千野慎一郎(1942年 世田谷区生まれ・武蔵工業大学卒)は一級建築士の資格を持つ千野建築社長、沼津市市議会議員。

 愛称は「チノパン」(2000年〜2001年に放送された本人司会のトーク番組が由来。番組の詳細は略。


 上を読んで驚いた。

 何と、フジテレビの売れっ子の女性アナウンサー、千野志麻さんのお名前は、「地の塩」にちなみ父親が名付けたのである。

 父親は、聖書の「地の塩」から、人間にとってかかせない存在になってほしいとの願いが込められている、とあるが、小沢一郎さんが「山猫」の一節を話した意味には、さらに意味深いものがあったに違いない。それについては、機会を改めて書いてみたい。

 その千野さんの父親は現在私が教員(教授)をしている武蔵工業大学の工学部(私は環境情報学部)を卒業し一級建築士を取得。その後、建築会社を設立し、沼津市で社長をしている。さらに、市議会議員をしていることも分かった。

 たまたま、小沢一郎民主代表が『山猫』について語ったこともあり、、私から佐藤清文さんにお願いして、山猫についてコラムを書いてもらった。

 そこにでてくるのが「地の塩」だ。
 
 が、まさかあのチノパンの名前が聖書に出てくる「地の塩」からとられたものであったとは知らなかった。

 千野志麻さんの同期の女性アナウンサーには、毎日、深夜のニュースを担当している滝川クリステルさんら多数がいる。

 ところで、私たちは、まさに「地の塩」となる生き方をせねばならないし、「地の塩」となければならないだろう。私と池田さんが設立しここまでやってきた環境総合研究所も、今年の7月で創立20周年となる。

 まさにこの研究所は、自分で言うのもなんだが、まさに「地の塩」を地でやってきたと思っている。 (了)