エントランスへはここをクリック     世界紀行へ戻る

欧州紀行奮闘記
(その5:ザルツブルグ

青山 貞一、池田こみち
 環境総合研究所



8月17日 バルセロナからザルツブルグへ


 朝食後、チェックアウト。今回の旅では現地から日本から持参した超小型パソコンとローミング方式でさんざんインターネットを使った。しかし、利用したのは現地の市内電話なので、31回分のアクセスで700円程度だった。それ以外は毎朝食を含めバウチャーに含まれているので出費なし。

 ロカフォルト駅から国鉄駅があるサンツ駅に行く、途中、スペイン広場があるエスパニア駅で乗り換える。私が20kg近く、池田さんも15kg近い重い荷物をもっているので、エスカレータがないと大変。バルセロナ空港駅までは、到着したとき同様、国鉄列車を利用する。安くて良いが、ラテン系の常か電車が時間通りに来ない。30分ほどまってやっと空港行き列車が到着。結構混んでいる。

 降りてからも大変。バルセロナ空港駅から空港までは長い渡り廊下があるからだ。しかも、エスカレータが故障している部分もある。空港で午後2時過ぎのウィーン行きのオーストリア航空の便にチェックインしようとすると、ダイオキシン・モニタリング・システム社の技術者が同じ便でウィーンに帰るためにそこにいた。彼はオーストリア航空のカードを持っており、長蛇の列となっているエコノミーではなく、ほどんど誰もいないファーストクラスでチェックインが完了。

 ウィーン空港でザルツブルグのホテルに電話を入れた。当然、予約はできていた。ザルツブルグの洪水被害も思ったほどのこともなく、問題なく行けることとなった。これで最大の懸案だったザルツブルグへの旅も第一歩を記すこととなった。駐車場にとめていた彼の車でウィーン空港から、ウィーン西駅に送ってもらった。ザルツブルグへはこのウィーン西駅から列車がでる。

ザルツブル行き列車の車窓から

 当初予定より1時間ほどよけいに時間がかかった。しかし、無事ウィーン西駅に到着。まずコインロッカーを探す。大きなロッカーをみつけ荷物を入れる。次はザルツブルグまでのキップを買う。2人、往復で1万円程度だ。片道3−4時間の列車の旅だからまあまあである。ザルツブルグ行きの列車はウィーン西駅を午後6時30分に発車。途中、リンツまで3駅、リンツからザルツブルグまで3駅途中停車する。

 午後10時頃ザルツブルグ中央駅に到着した。当然外は真っ暗である。駅を降りると大きなバス停があるので、そこまで歩いて行く。重い荷物はコインロッカーに置いてきたものの、何しろ初めての土地、ホテルの場所も定かでないので不安が募る。バス停にいる若者に英語でエアポート行きのバス停はと訪ねると親切に77番と指を指してくれた。77番に行くと数名が待っている。15分ほど待ってバスが出発した。キップは乗車時に2名分を買う。二人で3ユーロ程度だ。

 駅は暗いが出発すると途中、まだ店は結構やっていて明るい。橋を渡った。ドナウ川の上流で例の大洪水が起きた川の上流だ。橋は問題なくある。そうこうしているうちに発車後、16分で空港の滑走路の下をバスが通過し、インスブルック通りにあるバス停に止まった。

 そこで降りるが、この辺は暗くホテルの明かりらしきものと簡単な地図を頼りにインスブルック通りを空港を背に100mほど進むと、エアポート・センターと言うネオンサインが見えてきた。ネオンを頼りに行くと、そこはレストラン、ホテルなどが集中する一角だった。イタリアンレストランでホテルの名前を見せて聞く。宿泊先ホテルはそのすぐ裏だった。何と午後11時近くだ。チェックインをすませ遅い食事ととろうとおもてにでる。しかし、すべて閉店している。ホテルに戻りレストランに行くと、そこも終了しており、やむなく食事をとらず寝る。

8月18日 ザルツブルグ

 8時過ぎ起床。エアポートセンターホテルザルツブルグの1階レストランで食事を取る。
 重たい荷物はすべてウィーン西駅のコインロッカーにあずけているので、移動は楽だ。午後9時頃ホテルをチェックアウトし、バス停を探す。外で地元の人に聞くと、ショッピングセンター前からザルツブルグ経由で列車の中央駅行きの77番のバスがでると言う。昨日深夜に乗ったバスだ。

 待つこと10分、トロリーバスが来た。ひとりあたり1.5ユーロを払い乗車する。しかし、一体どの辺で降りればよいか、さっぱり分からない。すると、ショッピングセンターで一緒にバスに乗った家族ずれの3人のうち、父親とおぼしきひげ面のおっさんが自分たちはイタリアから自動車を運転してきてエアポートセンターホテルにと泊まり、車はホテルにおいてこれからザルツブルグを歩いて回ると言う。これ幸いとばかりその家族連れについてバスを降り、次のバスに乗り換える。乗り換えは先に買った切符でOKだ。

 乗り換え後10分も行かないうちに、ザルツブルグの旧市街にバスが入る。そこで降りた。降りてあたりを見渡すと、すでにザルツブルグ観光の中心地近くにいることが分かった。ザルツブルグは聞いていたように、すごく小さなこじんまりした町だ。イタリア人親子と別れて歩くと、中世さながらの町並みのなかに、いくつもの教会などの古い建築物がつづく。

 そのうちモーツアルトの生家とおぼしき建物にぶつかる。どうもこの辺がザルツブルグ旧市街の中心地のようだ。さらに歩くとレジデンツという由緒ある建物や大聖堂などが広がる。プラハの旧市街地やバルセロナのゴシック街にも共通する狭い路地の両側に中世の町並みが展開している。

モールアルトの生まれた家

 大聖堂からでると、ホーエンザルツブルグ城が直前に見える。お城には、土産物店の裏手の小さな駅からケーブルカーで上ることができる。往復買うと一人8ユーロと結構高いので、我々は片道券を買って帰りは歩くことにした。ケーブルカーはわずか数分でお城の駅に着く。お城は中世の時代をそのままに今も高台から市内を見下ろしている。

 お天気は上々で、テラスのようになっている数カ所の見晴台からは眼下にザルツブルグの町並みが臨めた。まん中に川が流れているが、穏やかな様子で、数日前の洪水は名残も感じられなかった。お城の中の美術館もあるが、時間がかかりそうなので外側だけを見学した。城内には各所にレストランや休憩所、カフェなどがあるが、ここもプラハ城同様に、観光地価格となっていてコーラ一本が240円くらいと高い。ただ、ここでは値段が表示されているので、納得した人だけが飲めばよいので、私たちは遠慮した。

ホーエンザルツブルグ城
ホーエンザルツブルグ城からみた旧市街
ザルツブルグ旧市街の一角で
 このあと、川を挟みザルツブルグ駅側にある新市街地に向かって炎天下をあるいた。ザルツブルグは標高が高く、夜はすごく気温が下がるが、それでも日中は気温が高い。歩き出すとすぐ、私たちが来る前に氾濫したザルツアッハ川にであう。ドナウ川の一支流だが、結構幅員も広い。メヌキのスターツ橋を渡たってリンツ通りをまっすぐ行くと、モーツアルトの親のお墓があるという、セント・セバスチャン寺院がある。中に入るが、ミサなどはしていない。この通りからフランツ・ジョセフ通りを抜けると、ザルツブルグ駅が見えてきた。

ドナウ川の支流のザルザッハ川。この川は、
8月上旬に氾濫している。
モーツアルトの親の墓があるという
セバスチャン寺院

 午後3時30数分の列車でウィーンに戻る。ウィーン行きはICという特急が毎時1本は出ているが、たまたま15時37分発の国際特急列車ECがくるというのでそれを待つことにした。停車駅が少なく、ICよりも早く着くという。それが、いつになってもウィーン行きの列車が来ない。30分ほど遅れてザルツブルグ駅にスイスからの国際列車が到着する。行きは3時間40分ほど時間がかかったが、帰りは約3時間でウィーン西駅に到着した。午後7時、ウィーン西駅に到着し、さっそくロッカーから重い荷物を出し、今や慣れたウィーンの地下鉄でステファンプラッツ駅に行く。

ウィーン西駅に無事到着!

 予約してあるグラーベンホテルは、これ以上便利な場所はないという場所にある古いホテルだ。
 荷物を置いて食事にでる。8時を過ぎていたがまだ町の人並みは多く、観光客でにぎわいを見せている。
 路上のカフェは満杯の状況である。これがウィーンで最後の夕食となるので、塩辛い中華やイタリアンはやめてウィーンらしい食事をとることとした。ぶらぶら歩いて、ホーフブルグ王宮の門の前のすばらしい場所にあるレストランの屋外席に着いた。王宮の門は美しくライトアップされており、この上ない雰囲気で食事をすることができた。料理は、例の仔牛のカツレツウィーン風とサラダ、野菜スープとパスタの鮭とマッシュルームのクリームソースあえを選んだ。とてもおいしくて満足。値段は、37ユーロほど、場所を考えれば高くはない。

ホーフブルグ王宮のエントランス
ホーフブルグ王宮の夜景

8月19日 再びウィーンへ。そして帰途

 8時過ぎに起床、グラーベンホテルの粗末なコンチネンタルの朝食をとる。今日はどういうわけか、日本人客が多い。帰国の飛行機は午後2時10分出発なのでホテルは11時にでれば十分だ。ホテル周辺を散歩する。グラーベンホテルはステファン寺院から50mと離れていないウィーンの中心地にある。ステファン寺院の朝のミサを見学したあと、寺院の裏側に回る。改修工事中だ。寺院に沿って散歩する。たくさんの馬車がスタンバイしている。ちょっと早めにホテルに戻り、チェックアウトする。


早朝のステファン寺院。馬車がお客を待っている。

 重たい荷物を持ってステファンプラッツ駅からU3の地下鉄に乗り、ウィーンミッテ駅に行く、そこから空港行きの鉄道があるからだ。しかし、ウィーンミッテで地元のひとに聞くと空港行きの電車はウィーン南駅からだという。そこでウィーンミッテからU3の地下鉄に乗り換えウィーン南駅まで行く。

 確かにウィーン南駅から空港行きの電車が出ている。ただし1時間に1本、それでも時間があるので待合室で待つ。料金はひとり3ユーロだ。1時間弱まって空港行きの列車がでる。約20分でウィーン空港に到着。台湾のエバ航空のチェックインカウンターでチェックインする。ここまでは順調だった。

 おみやげなどを買って午後1時30分過ぎに飛行機に乗る。BR62便午後3時前ウィーン空港を立ち、は一路バンコックに向かうはずだった。しかし、2時間ちょっとたった時点で機長が中国語と英語で機内にアナウンスし、ウィーン空港に引き返すという。

 事実かどうかは分からないが、後でわかったのは、気象状況把握用のレーダーの調子が悪いことが引き返しの理由らしい。一旦ウィーン国際空港に引き返す。国際線の出発ゲート前にあるヨハンシュトラウスと言うレストランで待機することになった。これが何と何と4時間にも及ぶことになる。サンドウィッチと飲み物をもらいヨハンシュトラウスで待機することになった。私達の座席の真ん前に日本人らしい女性がいた。

 話すとイギリスの大学で博士課程を修了し、夏休みでイギリスからリトアニア、ラトビアにひとりで旅行に行ってきたという。彼女もイギリスから格安キップで往復するため、ウィーン経由となり、ここで4時間待機させられていると言う。時間もあるのでいろいろ有意義な話しがはずむ。次にその席にきた一人の男性は、オーストラリアでアボリジニのための公共事業を仕事としている人で実家がマレーシアとのこと。

 仕事を終えて一人でイタリアのフローレンスに行く途中だが、満席で朝5時から空港で待機しているという。なんとものんびりした話だ。旅を終えたらマレーシアの実家に帰り、またオーストラリアの自宅にもどって仕事を探すという。自分はこのような暮らしに満足していると得意顔だった。青山さんのコンピュータやデジカメを興味深そうにのぞき込みひとしきり雑談して分かれた。国際空港だけあっていろいろな人との出会いがおもしろい。

 そうこうしているうちに、ウィーンの現地時間で午後8時過ぎになった。改めて出発する時間は9時ごろになるという。A19と言う特別ゲートから再度MD11の同じ飛行機に乗り込む。飛び立って帰ってきたのと同じ飛行機だ。こうして10時間ほどかけバンコックに飛び立った。バンコックに到着した。今度はトランジットは1時間弱で、同じMD11に乗り込んだ。

 目指すは台北だ。しかし、どう見ても日本時間で当初予定時間の20日午後7時に成田到着は無理だ。案の定、台北に着いたのは現地時間で午後6時過ぎだった。エバ航空のトランジットカウンターに行くと、21日朝9時出発のBR2198便で成田に行って欲しいという。

 そしてあらかじめ用意されていた国際機場旅館という空港のすぐそばにある大きなトランジットホテルに泊まって欲しいというのだ。まずはカスタムをでて荷物をトリに行くとすでに荷物はない。エバ航空の担当者が近寄ってきて、私達の荷物を保管していると言う。行ってみると間違いなく私達の物である。荷物を受け取り、ホテル行きのシャトル乗り場に行く。すでに5,6人がシャトルをまっている。

 シャトルに乗ると10分弱でトランジットホテルに着いた。もちろん、宿泊料や夕食、朝食の費用はエバ航空の負担である。ホテルの部屋はやたらに広くりっぱだったが、湿気が多くヨーロッパの乾燥した空気が懐かしく感じられた。

 翌朝は6時に起きて朝食をとり、7時にホテルを出発するシャトルで空港へ向い、早めにチェックインした。今度は時間通りに東京成田行きが出発した。ほとんどが地元の人で満席だった。

 ともあれ、午後4時にはERIにたどり着き、2週間にわたる長期ヨーロッパ旅行も無事に終了することができた。留守番の鷹取さんやそれぞれの家族にはお世話になりました。実り多い旅行でしたので、次の環境総合研究所の事業計画にも生かせるものが多いと思います。

おみやげに買ったガウディのドラゴン

All rights reserved