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廃プラリサイクル施設周辺の
健康被害事件(杉並・寝屋川)
をどう捉えるか


池田こみち・鷹取敦
 
2009年1月23日 無断転載禁


 東京都二十三区の家庭ごみの処理・処分は、2000年3月までは「東京都清掃局」が一括して行い、2000年4月以降は各区が収集し、「東京二十三区清掃一部事務組合」が焼却等の中間処理を行い、焼却灰・飛灰と燃やさないゴミが、東京湾中央防波堤にある「東京都」の最終処分場に、埋め立てられている。

 杉並区の不燃ごみ(主にプラスチック類)は、杉並区井草4丁目の区立井草森公園に設置された中継所(杉並中継所)に集められ、圧縮されて、大型のトラックに積み替えられ、最終処分場に搬入されている。

 杉並中継所の周辺では、施設の稼働直後から深刻な健康影響の訴えが多発した。

 この問題については、青山貞一教授(武蔵工業大学環境情報学部教授)が、以前に独立系メディア「今日のコラム」(以下の3つのURL)に紹介しているので、本稿末尾で紹介する記事と合わせてご覧頂きたい。
■「杉並病」を風化させないために〜研究者らで現場を実査〜その1
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col9901.html

■「杉並病」を風化させないために〜研究者らによる調査を巡る議論〜その2
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col9902.html

■<今日の一枚>「杉並病」発症の現場
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-todayone11.html
 2008年より「東京二十三区清掃一部事務組合」では、廃プラを「不燃ごみ」から「可燃ごみ」に変更することとなった(開始時期は区によって異なる)。多くの区では容器リサイクル法による一部のプラスチックの資源物としての回収を始めたため、一部のプラスチックはリサイクルされ、残りのプラスチックが焼却処理されている。廃プラ焼却の問題については別途大きな問題があり、以前から何度も紹介してきた。

 いずれにしても東京都二十三区では廃プラがそのまま最終処分場に搬入されることはなくなるため、杉並中継所で圧縮・積み替えを行う必要は無くなった。そのため杉並中継施設は、この2009年3月に廃止されることとなっている。これを報じる毎日新聞の記事によると、杉並中継所周辺では、今でも健康影響に苦しんでいる人がいるという。

 一方、大阪府寝屋川市では廃プラリサイクル施設の周辺で、杉並中継所周辺と似たような健康被害の訴えが多発して裁判となり報道でも何度か紹介されている。杉並中継所同様にプラスチックの圧縮過程に起因するものではないかと疑われており、同じ毎日新聞の記事に報じられているので、以下に紹介する。

 記事にもあるように、廃棄物はリサイクルすることが「いいこと」とされ、全国各地に同様のリサイクル施設が多数建設されている。しかし、少数派とはいえ、杉並や寝屋川で被害者が出ていることに目を向けずに、リサイクルは「是」としてこうした施設をつくり続けることには問題がある。昨今の廃プラスチック焼却の是非を巡る議論と一緒になって、焼却かリサイクルかが二者択一のように言われるのも問題だ。

 消費した後の製品を焼却してもリサイクルしても環境への影響は少なからず発生する。根本的な問題は、いかにごみ処理(焼却・破砕・圧縮等を経たリサイクルなど)をしなくて済む製品作りを進めるか、そのための仕組み作り、制度づくりが不可欠であり、本来の生産者責任(いわゆる拡大生産者責任)こそしっかりと問われるべきである。現状のように、すべてを消費者や自治体の「処理」に依存できるシステムは早急に見直しが必要である。

 この種の施設建設をめぐり地域分断や地域紛争が起こることは不幸なことであり、地域住民の闘いがより本質的なごみ政策の見直しにつながっていくことを望みたい。なお、寝屋川事件では、原判決があまりにも不公正かつ不見識であるとして原告側が控訴している。杉並でも寝屋川でも、裁判では施設の建設や稼働を認めた行政がその背後にあって、被害実態や被害者の救済に対する判断が軽視されがちであることが課題である。その意味でも、第三者的に被害者を支援する研究者や専門家の関与が鍵となる。


毎日新聞
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20090118ddm041040094000c.html
ニッポン密着:「杉並病」ごみ施設3月廃止、被害今も 鈍い行政、住民不信感

 東京都杉並区で、多数の周辺住民が健康被害を訴えた「杉並病」の原因となった不燃ごみ中間処理施設「杉並中継所」が今年3月廃止される。稼働から13年、被害者の苦しみは続くが、杉並と同様に廃プラスチックを扱う大阪府内の施設周辺では、杉並病に酷似した症状を訴える住民が続出して問題化している。ごみを大量に生み続けるニッポン。杉並病問題は終わりではなく、始まりだったのではないか−−。

 ベランダに布団を干す家が多い晴天の日、木村洋子さん(67)宅の窓は閉め切られていた。干した布団で寝るとせきや湿疹(しっしん)が出る。付着物質に反応するという。月10万円の年金暮らし。「何の楽しみもない。生きているだけ」と言った。

 中継所から約500メートル離れた練馬区の2階建てに住む。夫を胃がんで亡くし1人暮らし。中継所が稼働後間もなく勤務先の百貨店で立っていられないほどの疲労感に襲われ、目がかすんだ。帰宅後は食べた物を吐き、体中に赤い斑点もできた。過労と考え、98年、定年2年前に退職した。

 00年、居間で倒れ、救急車で運ばれた。目が見えなくなり体が揺れてベッドをつかんで耐えた。めまいの診断で入院後、自宅に投げ込まれた印刷物で「杉並病」を初めて知った。木村さんは、当初、中継所問題を知らなかった「被害者」だ。区職員に病状を訴えたが、その後連絡はなかった。

 宮田幹夫・北里大名誉教授の診断は化学物質過敏症。杉並区の依頼で被害者の集団検診をした経験を持つ宮田教授は「自律神経や眼球運動、視覚検査で異常が出ており、中継所近くの被害者と同じ症状。発症時期から考えても中継所の影響は間違いない」と語る。

 杉並病の特徴の一つは、被害者がありながら原因物質はいまだに特定されていないということだ。中継所から多くの化学物質が発生しており、国の公害等調整委が「特定できない化学物質」としたのに対し、都の調査委員会が00年に報告したのは「不燃ごみを処理する際に発生した硫化水素」で、07年の東京地裁判決も追認した。

 しかし、硫化水素説は揺らぎ始めている。自殺の手段として知られるが古くから温泉で発生しており、複数の医学・化学者は「今も続く症状は説明できない」と、広く化学物質説をとる。調査委会長の柳川洋・自治医科大名誉教授(公衆衛生)は「中継所稼働後の数カ月間、硫化水素が出たのは間違いなく主因だと判断した。しかし、その後の健康被害は調べていないので分からない」と振り返る。

 原因追究も含め一連の行政側の対応に被害者側が不信感を募らせ、多くが補償を申請しなかった。そこには、科学・医学的知見が定まっていない被害にどう対
応するか、決め手を欠く行政の姿がある。

 大阪府寝屋川市。環境NGO(非政府組織)代表で地元町内会長の長野晃さん(65)は「まさか足元で」と嘆いた。知人に杉並中継所のデータ調査を依頼された際、プラスチック圧縮過程で化学物質が発生する事実に驚いた経験があった。その3年後、地元自治体などから集めた廃プラを加工する民間施設が近くにでき、寝屋川市などが共同運営する廃プラ中間処理施設も昨年稼働した。隣接する施設の間に立つと甘酸っぱいにおいが鼻につく。地元では「廃プラ臭」と呼ぶ人もいる。

 民間施設が運転を始めた翌年の06年夏、津田敏秀・岡山大教授(環境疫学)が約1500人を対象に実施した健康調査では、施設から700メートル以内の住民は2800メートル付近に比べ、湿疹の発症が12・4倍、目の痛みが5・8倍になる結果が出た。左半身がしびれたまま食べ物を吐き続けた20代の女性もいる。

 しかし、住民による2施設の運転差し止め請求訴訟は昨年9月、大阪地裁が「化学物質は排出されているが、健康被害は認められない」と棄却(住民側控訴)。市や府も一貫して被害者の存在を認めず、住民への疫学調査もしていない。

 「病因物質の特定より、施設周辺で症状が多発している事実が優先ではないか。水俣病など公害の拡大は行政の放置の歴史だった」

 津田教授の指摘が杞憂(きゆう)と言い切れるかどうか。

 廃プラの中間処理やリサイクル施設は全国で700を超え、増加を続けている。
【宍戸護】 

◇跡地に廃プラ施設、区長は「設置せず」
 山田宏・杉並区長は、中継所跡地に廃プラ中間処理など化学物質を排出する施設は設置しない方針を明らかにした。東京都から施設を移管された際、20年度まで「ごみ施設」として使用するという条件があるが「現実に健康被害に悩む人たちがおり、同じような施設では廃止の意味がない。清掃関連施設として幅広く考える」という。

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■ことば
◇杉並病の経緯

 収集車が地域で集めた不燃ごみを圧縮して東京湾岸の処理センターに運ぶための施設「杉並中継所」が96年春に稼働後、周辺住民120人以上が目やのどの痛み、皮膚炎、倦怠(けんたい)感などを訴え、「プラスチックの圧縮過程で発生した化学物質が原因で健康被害に遭った」と主張した。中継所は00年に東京都から杉並区に移管された。02年には国の公害等調整委員会が申請者18人のうち14人の健康被害との因果関係を認めたが、これまで被害補償された人はいない。