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「自白」関連記事(1)

「週刊ポスト」 2001.4.27

2006年11月19日


白衣の恋人(元同僚看護婦)が
「守大助」の冤罪6時間証言

「私は少女点滴の現場に立ち会っていた」

「週刊ポスト」 2001.4.27

 冤罪――無実の罪を意味するこの言葉の「冤」という文字には、「無理に押しつけられること」という意味がある。「どう考えても、あの気の弱い大助と、刑事さんや検事さんがいう殺人犯のイメージが結びつかないんです」――沈黙を破った守大助被告の恋人はこう主張する。看護婦として患者の「急変の現場」にも居合わせ、自身、警察、検察の聴取を受けた彼女の貴重な証言から、仙台「冤罪疑惑」を徹底検証する。

「動機」に一切触れない「起訴状」

 世情を震撼させた筋弛緩剤殺人事件。仙台市内の北陵クリニックに准看護士として勤務していた守大助被告(29)の逮捕容疑は殺人と殺人未遂で計5件、うち4件が起訴されている。(4月12日時点)

守大助被告 逮捕・起訴の経緯
1月6日 昨年10月31日、少女A子ちゃん(11)に殺害目的で筋弛緩剤入りの点滴を投与したとして、殺人未遂容疑で1回目の逮捕
1月26日 A子ちゃんへの殺人未遂罪で1回目の起訴
同日 昨年11月24日、下山雪子さん(89)に殺害目的で筋弛緩剤入りの点滴を投与したとして、殺人容疑で2回目の逮捕
2月16日 下山雪子さんへの殺人罪で2回目の起訴
同日 昨年2月2日、女児B子ちゃん(1)に殺害目的で筋弛緩剤入りの溶液を注入したとして、殺人未遂容疑で3回目の逮捕
3月9日 B子ちゃんへの殺人未遂罪で3回目の起訴
同日 昨年11月24日、団体職員の男性Cさん(45)に殺害目的で筋弛緩剤入りの点滴を投与したとして、殺人未遂容疑で4回目の逮捕
3月30日 Cさんへの殺人未遂罪で4回目の起訴
同日 昨年11月13日、男児Dちゃん(4)に殺害目的で筋弛緩剤入りの点滴を投与したとして、殺人未遂容疑で5回目の逮捕

 これまでの調べによれば、守被告は、いずれも殺害を目的に呼吸停止を引き起こす筋弛緩剤『マスキュラックス』を点滴等に混入した上で投与したとされている。

 事件の真実が、警察・検察が発表した容疑・起訴事実の通りであれば、守被告は、罪のない人を、次々と殺そうとした希代の不条理殺人鬼ということになる。

 しかし、守被告自身は現在、容疑・起訴事実をすべて否認している。逮捕直後の1月6日から8日にかけては、容疑を認める方向で供述したものの、9日からは否認に転じ、警察・検察の取り調べに対して黙秘を貫いているのだ。

 公開の場で、彼の主張が初めて明らかになったのは、1月23日に仙台簡易裁判所で行なわれた拘置理由開示の法廷である。彼は、こう訴えた。

「(1回目の逮捕となった)A子ちゃんに対して筋弛緩剤を投与していないのに、警察の取り調べで犯人扱いされ、ウソ発見器にかけられるなどして、頭が混乱しました。取り調べの苦痛から、認めれば精神的に楽になれると思い、いったんは調書に署名してしまったが、まったく身に覚えのないことなので、無実、潔白を訴えます」

 守被告の弁護団も、この事件は冤罪事件であると強く主張している。弁護団団長の阿部泰雄弁護士は、こう語る。

「検察側は後半を先延ばしにして、証拠開示も行なわない。本当に証拠があるのか、現時点ではきわめて疑わしい。逮捕当初の自白は、強引な取り調べでむりやり強要されたものです。捜査当局は、はじめから守くんを犯人と決めつけて見込み捜査を行ない、逮捕・起訴してしまったため、引っ込みがつかなくなり、次々と容疑事実を拡大して拘留を延長し、彼を精神的に追いつめようとしている。これは、典型的な冤罪事件のパターンです」

 警察・検察と、被告および弁護団の主張は、真っ向から対立し、まさに全面対決の様相を帯びている。

 なぜ、「冤罪」なのか――。解明にはほど遠い事件の”謎”部分について整理してみる。

 まず、犯罪の凶器として使用されたといわれている筋弛緩剤入りの証拠物件の信憑性。筋弛緩剤は患者の血液サンプルや点滴パックなどから検出されたと一部メディアは報じているが、筋弛緩剤の鑑定結果について捜査当局からの公式発表はいまだにない。また、証拠となるサンプルを、誰が、いつ、どこで手に入れ、保存してきたのかについても曖昧な点が多い。混入の現場に関する目撃証言も同様だ。目撃証人は存在するのか、存在するならば誰なのか、判然としない。

 そして決定的なのは犯行の動機だ。守被告が大量殺人に走る動機について、起訴状は一切、触れていないのである。

 これらの謎は、公判の開始とともに次第に明らかにされていくはずだった。しかし、1回目の逮捕から3ヶ月が過ぎた今でも、初公判が開かれるメドはたっていない。

 私たちは、原点に立ち返り、この事件の再検証を開始した。その過程で、公私ともに守被告をよく知る最も重要な証言者が、沈黙を破ってインタビューに応じた。

 守被告の婚約者であり、北陵クリニックにおける同僚でもあった、元看護婦の山下ユリさん(仮名・37)。守被告の素顔と、事件の舞台となった北陵クリニックの内情を知り尽くした人物である。彼女はまた、守被告が筋弛緩剤を点滴に混入したとされる患者が急変する現場に居合わせてもいた。

 仙台市内の待ち合わせ場所に、定刻よりも早く現われたユリさんは、20代後半にしか見えない、若々しい色白の女性だった。彼女は、守被告との出会いから、事件現場の詳細に至るまでの一部始終を、明晰な口調で、6時間あまりにわたって語った――。

「だんだん好きに」メール告白

「守君との出会いは、99年6月、私が北陵クリニックで看護婦として働きはじめたときです。彼はその時すでに、准看護士としてクリニックで働いていました(守被告が北陵クリニックで勤務しはじめたのは99年2月)。

 実は私は、北陵クリニックで働くのはその時が2度目でした。最初に就職したのは93年12月。前夫の転勤の都合で、他県へ引っ越さなくてはならなくなった96年3月まで、2年4か月間働いていました。

 守くんの最初の印象は、『遊び人ぽいな』という感じでした。眼鏡をかけた写真が、マスコミで頻繁に取り上げられていますが、あの写真だとネクラなオタクみたいに見えますよね。でも、本当はすごく明るいんです。普段はコンタクトにしているから、眼鏡もかけていない。髪は茶髪で、やや長くしていましたし。ネクラどころか、逆にいかにも今どきの若者っていう感じでした」

 ユリさんは、そういった財布に入れていたツーショット写真を見せてくれた。眼鏡をかけた写真とは、たしかにイメージが違う。

「最初は彼に対して、少し警戒心がありましたが、そのうち彼に対する印象は変わっていきいました。勤務態度は真面目だし、自分勝手なところがない。優しいし、まわりの人間にいつも気をつかう。私だけでなく、彼を知る人で彼のことを悪くいう人はほとんどいません。私も次第に人間的に魅かれていきました。

 そのうち、お互いに携帯の機種が同じであるとわかって、メール交換を始めたんです。はじめのうちは何でもないやりとりだけでしたが、ある日、『だんだん好きになってきました』というメールが入って。それが彼からの、最初の告白でした。

 嬉しくなかったといえば、嘘になりますが、その時には私には夫がいましたし、それをわかっていて告白するなんて、この人、遊びのつもりかな、と思って複雑でした」

 事件発覚当時、メディアには守被告の性的倒錯や人格障害が犯行の引き金となったとする報道も垣間見られた。ユリさんとの関係を「略奪愛」と書くところもあった。彼女はそうした見方を、冷静に否定してみせた。

「彼はドライブやカラオケが好きなごく普通の青年です。

 北陵クリニックに再就職した頃には、95年に結婚した前夫との仲はすでに冷え込んでいました。原因はいろいろな事柄の積み重ねです。守くんと出会った頃には、もはやお互いに単なる”同居人”でしかなかった。このままではいけないなと思いながらも、離婚のきっかけをつかめずにいたんです。

 結果的にみれば、守くんとの出会いが離婚に踏み切るきっかけになったかもしれません。でも、それはあくまできっかけです。私は、自分自身の人生を取り戻さなくてはと思っていましたし、前夫ともきちんと向き合って、お互いの関係について話し合わなくては、と思っていましたから、離婚は守くんのせいではないんです」

 ユリさんが前夫と話し合い、離婚届を出したのは昨年の3月24日。

 翌月の4月には、ユリさんは守被告の両親に挨拶している。

 初対面の印象を、守被告の母親が振り返る。
「お付き合いしているというのは、大助から聞いていたんです。ウチは昔から、家族全員が、何でも包み隠さず話す家庭ですから。8歳年上の女性ということも知っていました。大助は気の弱いところがありますから、年上のしっかりした女性に引っ張っていってもらうほうがいいかもねって、本人にもいったんですよ。交際に反対なんかしていません。ユリさんはとてもいい方ですし、主人とも、二人仲良くやってくれればいいなと話しあっていました。二人が暮らすためのアパートの敷金も、主人が半分出したくらいです」

 間もなく二人の同棲生活はスタートした。生活は順風満帆だったが、巷のカップルと同じように喧嘩することもあった。ユリさんが続ける。

「実は、彼の浮気が発覚したことがありました。相手は、私もよく知っている北陵クリニックの同僚看護婦でした。

 この話をすると、『守は女をだます男だから、信用できない』という人が出てくるかもしれません。でも私は、飾らず、美化せずに、ありのままの守大助という人について、お話ししたいと思います。彼をかばって、嘘をつくつもりはありません。

 彼は本当に優しい人ですけれど、欠点がないわけではない。この世に完璧な人間なんて、いないでしょう。誰でも弱点や欠点をもっている。彼の弱点は、優柔不断なところや、人に嫌われたくない、という思いが強すぎるところです。

 彼が嘘をつき、二股をかけていたことは事実です。でも、彼は、嘘をつき通せるような強い人ではありません。浮気が発覚したとき、彼はしょんぼりとして、『自分が悪かった。これでユリに嫌われても仕方はないけど、許して欲しい』と謝りました。

 彼は、臆病で、気が弱い人なんです。男のくせに、お化けや幽霊も怖がる。ホラー映画も苦手で、絶対、一人では見られない。私はホラー映画が好きなので、ときどきレンタルビデオ屋で借りてくるんですけど、彼は途中で一人でトイレに行くのが怖いので、あらかじめトイレをすませておく。怖い場面ではパッと顔をおおえるように、毛布まで用意しておくんです。

 そんな彼が、お化けを怖がるような彼が、平然と人を殺せるでしょうか? 殺された人に呪われる、天罰が下ると思って、とてもできないんじゃないでしょうか。
 私にはわからない。どう考えても、あの気の弱い大助と、刑事さんや検事さんがいう殺人犯のイメージが結びつかないんです」

「急変10分後に駆けつけた」

 では、患者の容態が悪化した一連の「事件」は、何が原因で引き起こされたのだろうか。

「医療過誤の可能性は否定できないと思います」と、ユリさんは答える。

 前述した通り、ユリさんは、守被告が患者の点滴に筋弛緩剤を混入したとされる患者急変の複数の現場に、看護婦として携わっていた。もし守被告が殺人を試みていたとすれば、目撃者ともなりえた立場である。

 まず昨年10月31日、小学6年生のA子ちゃんの容態が悪化したケース。ユリさんはこう振り返る。

「夕方でした。そのとき病室にいたのは、私と守くんと半田郁子先生(当時副院長。後に院長)と看護助手の4人でした。この時は、郁子先生しかドクターがいなかったので、彼女が気道確保(※1)のために2回くらい挿管しようとしたんですが、うまく入らなかった」

 1月16日付読売新聞朝刊はこう報じている。
<女児の容態が点滴後に急変し、呼吸停止に陥ったにもかかわらず、クリニックの医師によって初動の救命措置が施されず、同市消防局の救急隊が酸素吸入などを行っていたことが十五日分かった。(中略)病室には半田郁子院長もいたが、女児には、灰に空気を送るチューブを挿入するなどの気道確保の措置が取られていないことから、(中略)同市消防局も「適切な処置が行われていなかったと思う」としている>

「気道確保ができないと、呼吸困難になり、脳に酸素が送れなくなって、低酸素性脳症になる場合があります。その後、市立病院に搬送したのですが、A子ちゃんは結局、意識不明の重体になってしまった。ですから私と守くんを含め、看護スタッフの間では、あの当時、『A子ちゃんは挿管が遅れて意識不明の重体になったのではないか。医療過誤で訴えられるかもしれない』と囁き合っていました。

 守くんも私も、現場にいた看護スタッフとして、A子ちゃんの件には責任を感じていました。看護にかかわる人間は誰でもそうだと思うのですが、自分が担当した患者さんの容態が悪化すれば、自分に非がなくても胸が痛むし、責任を感じるものなんです。特に守くんは心配性なので、その後もくよくよと思い悩んでいました。そんな状態でしたから、とても彼がA子ちゃんを殺そうとしたなんて思えない」

 ユリさんが次に挙げるのは、昨年11月13日、クリニックの看板治療であるFES(電気的機能刺激=※2)手術を受けた直後に急変した4歳の男児D君のケースだ。この時も気道確保に手間取ったという。前述のケース同様、ユリさんと守被告は現場にいあわせた。

「4歳という小さな子供にFESの手術をするのは初めてのことだったので、私たちは随分心配しました。執刀したのは半田康延教授で、もうひとり、助手に東北大から先生が来られていました。

 Dちゃんが急変したのは、その日の夜、9時30分くらいでした。その時には守くんも私もアパートに帰っていたのですが、携帯が鳴って、病院から呼ばれ、車で10分後には駆けつけました。助手をしてくださった東北大の先生はすでに帰られてました。

 とりあえずDちゃんには酸素マスクをして、補助呼吸を施しましたが、自発呼吸がどんどん弱まってきていたから、これでは不十分で、気道確保する必要がある、と思いました。

 そこへ助手をしてくださっていた東北大の先生が到着したんです。10時10分すぎ。急変から40分が経過していましたが、その先生が挿管してくださって、Dちゃんは助かったんです」
 いずれも証言通りなら、守被告には筋弛緩剤を混入する余裕も理由もなかったことになる――。

「私をかばって嘘をついた」!?

 守被告が半田郁子元院長の夫・半田康延・東北大教授から解雇通告を受けたのは、昨年12月4日のことだ。

「半田教授がどうしてもその日のうちにやめてくれというもので、私たちはおかしいな、と思いました。守くんは私に、

『意識不明になっているA子ちゃんの処置をした自分をやめさせて責任をとらされるのではないか』

 と、いいました。彼は、『逆に、こちらが医療過誤で告発しようか』とまで考えていました。ただそこで、私が『医療事故として認められるかどうかは難しいよ』といったので、告発の話はそのまま立ち消えになりました。いつか問題になり、事情聴取を受ける可能性はあるだろうから、その時はA子ちゃんと御両親のためにも、何があったかをきちんと話そう、と二人で話しました。

 ですから、1月6日の朝8時に、警察の人がアパートを訪ねてきた時も、『やはり来たか』という感じだったんです。刑事さんも『A子ちゃんのことで、少し話を聞きたいので、署まで来てもらえませんか』と、丁寧な物腰だったので、とにかく知っていることをきちんと話せばいいんだろうと思って任意同行に従いました」

 警察官の来訪は、ある程度は予想していた。ところが、別々の取調室に入って事情聴取が始まった瞬間、ユリさんは事態が思いもよらない方向へ動いていることを知る。

「いきなり、『A子ちゃんの血液から、筋弛緩剤が出た。誰かが入れたんだ』といわれたんですよ。『はァ!?』という感じです。頭が混乱しました。そのうち、『守が、自分が混入して殺そうとしたと自供した』といわれました。

 そんなバカな!と思いながら、私の頭を一瞬かすめたのは、彼は同じ現場にいた私に嫌疑がかかるのを怖れ、私をかばおうとして、とっさに嘘をついたのではないか、ということでした。あの人だったら、そういうことをいいかねない、と思ったんです。

 だから、私は『彼に会わせてください』と何度も刑事さんに頼んだのですが、会わせてくれない。そして彼がやったと証言するように誘導し、調書に署名しろ、と迫るのです。3日間、連続で取りしらべられ、眠ることもできず、頭がおかしくなりそうでした。そんな中で、私は『守くんに会って彼の口から”自分がやった”と聞くまで、絶対に私は信じません』と、刑事さんのいう通りの調書を書くことを拒み続けたのです……」

 私たちは、半田郁子元院長に対しても質問状を出した上で取材を申し入れたが、家人が「答える必要はない」というのみ。元院長は現時点では取材に応じる姿勢をみせていない――。