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建築物耐震構造計算書偽造
の問題点

 
阿部賢一
海外情報研究室主宰

掲載日2005年11月29日



 1112日から22日まで、タイに旅行していたが、現地で観ていた衛星テレビNHKWorldではマンションの構造計算偽造問題を連日トップで取り上げていた。帰国後、この問題はさらに拡大・拡散している。

青山貞一氏が、Alternative Media 「今日のコラム」に、1123日『耐震偽造マンションが「優秀賞」を受けていた!』をアップしていたので早速読んだ。

青山氏はその中で『「安易な「官から民へ」、「民でできることは民へ」がもたらした典型的な悪例でもあろう」』と糾弾している。

私は、この問題は「官から民へ」がもたらした悪例」ということに引っかかった。では、「官がやっていれば」安心なのかと、直感的に大いに疑問を持った。そしたら、予想通り、平塚市のホテルの問題でついに「官」の検査もいい加減であることが明らかになった。平塚市長が「厚さ10cmもある構造計算書をチェックするのは時間もかかり大変だ」と言い訳していた。担当職員らしき男も「名前を出した建築士の書類だから信用した」などと、「建築士」というだけで信用して、さっぱりチェックをしていないようなインタビューへの回答だった。その後、長野県その他でホテル物件について、「官」の確認許可物件にも同様な偽造が発見された。「官」の確認物件でも、「確認申請」を本当にチェックしたのかどうか疑われる事例が続々と露呈し、全国的な広がりとなっている。

1995(平成7)117日早朝に発生した阪神・淡路地震で、多数のビルが崩壊し、手抜き工事があったのではないか、と問題化した。崩壊した建物の隣でほとんど損害のない建物があったことも事実である。衝撃的であったのは「官」である阪神高速道路公団の神戸線の橋桁群がもろくも崩壊して、国内は勿論、世界中に報道されたことを思い出した。鉄筋コンクリート(RC)造の短柱の橋脚の崩壊は道路延長635mに及んだ。橋脚はすべて山側に倒れ、上部構造の道路部分が斜めに崩壊し無残な姿を晒した。折からこの高速道路を走行中の車両運転者から死者も出た。この橋脚崩壊被害を受けた地域住民による裁判も起こされたが、公団はその個所の設計ミス、施工ミスを否定し、設計図書等の提出を拒否、書類存置期間を理由にその存在自体を否定した。橋脚崩壊箇所道路際の高層マンション、木造住宅等には大被害がほとんど確認されず、道路高架部分だけが崩壊している異様な映像を覚えている人も多いだろう。

 本件に関心のある方は、下記のサイトも参考にされることをお勧めする。

 http://www21.ocn.ne.jp/~zouri/newpage222.htm

この崩壊事故には、さらに当時の専門学者等の傲慢ともいえる発言があったことも忘れてはならない。

米国西海岸では、19891017日のサンフランシスコ地震、そして、1994117日のロサンゼルス地震の発生で、多くの高速道路や橋が崩壊した。我が国の行政・土木関係者が大挙現地調査に赴きその報告書も出され、報告会なども開催された。この米国西海岸の高速道路崩壊に関連して、我が国の行政・土木関係者たちは、「日本の道路などは耐震性があるから、関東大震災級の地震に襲われてもどうってことはない」と豪語した、と報道された。日本の耐震技術のレベルの高さを誇ったつもりだったのだろう。阪神・淡路地震前に、これらの報道を打ち消す発言は関係者からほとんどなく無視されたままだった。ロサンゼルス地震からちょうど1年目に襲った阪神・淡路地震では、阪神高速道路の崩壊、山陽新幹線の高架橋等の倒壊・落橋被害、阪神電鉄、阪急電鉄の線路の崩壊などの大損害の現実に直面し、それまで我が国でいつのまにか独り歩きしていた何の根拠のない「まぼろし」の安全神話は一瞬にして、阪神・淡路大震災とともに崩れ去った。

阪神・淡路大震災のちょうど1年前に発生したロサンゼルス地震一周年を記念して、日米の防災関係者が集まり、「第4回日米都市防災会議」が、阪神・淡路大震災発生の17日から大阪の国際会議場で開催される予定だった。関係者は会議を中止し、直ちに、神戸の震災地に赴いた、というハプニングもあった。

阪神・淡路大震災の被害額は約9兆円〜12兆円といわれ、サンフランシスコ地震やロサンゼルス地震よりも被害は大きく、巨大都市を襲ったものとしては世界最大規模であったといわれている。

阪神・淡路大震災による建物や構造物の崩壊は、手抜き事故、杜撰な施工が明るみに出るなどしたが、崩壊原因の追求(とりわけ設計面)はいつの間にか、なされなくなってしまった。

ちなみに震災前の阪神高速道路公団のパンフレットには「南海大地震級に対しても十分耐えられる設計になっています」とあった。この橋脚崩壊による被害訴訟における2003128日付神戸地裁の判決は「設計震度を上回る地震だったと推認される」と出て、被害者側は20043月「和解」して決着した。「想定以上の地震だった」というような、なんとも素人には反駁しようもない言い訳ばかりで、直下型マグニチュード7.3の阪神・淡路地震の巨大な被害の陰に隠れてしまい、耐震設計は十分であったのか、構造物の耐震計算が果たして適切であったのかどうか、施工は適切に行われたのか、などという根本的な問題は、いつのまにかに忘れ去られ、撤去作業で検証すべき証拠も早々となくなってしまった。

今回は「建築確認検査機関」イーホームズの内部監査の結果が、構造計算書の偽造問題発覚の端緒となったが、その公開に至るまでには、イーホームズが発注者である事業主との協議や、有力政治家による国交省担当者への紹介、数回に及ぶ面談など、水面下で本件揉み消しを図ったとしか見られないようなキナ臭い動きが、つぎつぎと暴露されてきた。マンション居住者や購入者への通知がなんだか一番最後になってしまったという、まったくお粗末な成り行きに慄然とせざるを得ない。

 テレビ報道でイーホームズ側は「通常の審査業務では発見できない.........」ことをしきりに強調していた。建築プロフェッショナルならば、そんなことはないという、コメントを専門家がすかさず出ていた。震度5で崩壊するような危険な建物の構造計算内容を見抜けないようでは、審査業務に手抜きがあったとしたとしか考えられない。

1124日、イーホームズ事務所に国交省担当者の検査が入ったが、偽造発覚からすでに1ヶ月近くも経っている。これでは、証拠隠滅や証拠捏造の可能性があったではないかと指摘されても仕方があるまい。国交省担当者の検査などは最優先にやるべきことではなかったのか。本件関係者の原因追及の動きはきわめて遅い。震度5でも建物崩壊の可能性があるという、人命安全に関する最優先事柄に対処する姿勢としては、国交省関係者のアクションの遅さに愕然とせざるを得ない。

今回、マスコミ報道は、業者側(施主、設計事務所、施工会社、不動産販売会社等)を悪者として散々槍玉に挙げているが、確かに業者側は欠陥構造物を作り出したのだから悪い。しかし、筆者は、その業者側に甘く見られた確認検査機関「イーホームズ」、そして、そんないい加減な確認審査業務を「認可」しながら、然るべき監視をしてこなかった国交省の対応の方が重大であると思う。

「イーホームズ」は内部検査で構造偽造に気付き国交省に報告し、業者側に連絡したというが、同社がこれで免責されるはずはなく、むしろ彼らの責任は業者側以上に重大であり、むしろ同社も含めて、「官」であれ、「民」であれ「建築確認検査機関」機能と実態がどうなっているのかを、全国的に早急に監査する必要がある。

筆者が定期的にアクセスしているサイトに下記の投稿があったが、実に簡潔にこの問題を指摘している。

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お施主さん「早く入居者でいっぱいになるように施工してください」

建築会社「安く仕上げて、販売価格をできるだけ下げましょう」

不動産会社「利ざやだけは下げたくないので孫請けをたたきましょう」

関係機関検査「手数料の他に別封筒を用意してください」

ようするに、全部が加害者

出典:建設業界の噂/裏情報 フリー掲示板

http://const.cool.ne.jp/uwasa/

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この投稿は、青山氏が指摘する我が国の「馴れ合い護送船団、そして談合的な日本的体質が顕著」を端的に言い表している。こんな加害者軍団に対して、「建築確認検査機関」機能が適正に働くことが、直接的には、マンション購入者・借主にとっての唯一の「正義の味方」「信頼を託する者」であり、間接的には、周辺住民にとっても、地域生活環境の安全確保を担保するものであるものでなければならない。その機能が正常に働かず、法律違反がなされ、無責任かつ粗悪な構造物がつくられ、人命安全にとって極めて危険な「凶器」となってしまった。地震多発国の我が国では、地震で壊れない、少なくとも地震で人災を最小限にする居住環境性能を守るためのチェックをするのが、「建築確認検査機関」の基本機能ではないか。

本件について、今後、早急に取り組むべき事項として、次の5項目を挙げる。

1. 「官」であれ「民」であれ、本当に信頼できる「建築確認検査機関」機能を実際に持っているのだろうか。

今回は、「民」の「建築確認検査機関」イーホームズが槍玉にあがったが、「官」である行政の「建築主事」にも本当に「建築確認検査機関」機能があるのかの検査が必要である。

今回の事件では、「官」の「建建築確認検査」にもその杜撰が発覚、その機能が働かなかった事例が、続々と明らかになってきている。さらに詳しい調査を拡大すればますます増えることが予想される。そして言い訳が、「書類が巧妙で見抜けなかった、書類が厚すぎる」では、「機能」も「能力」がないことを自ら表明しているようなものである。

「一級建築士」「二級建築士」の資格があるというだけで、ペーバードライバーならぬペーパー建築士にすぎないではないのか。海千山千の「やり手業者」の手練手管に十分に太刀打ちできるだけの「知力」「経験」を持ち「検査」に相応しい豊かな「実力」を持って「機能」を果たす「能力」を十分に発揮しているのか、が問われる。すなわち、本当に「検査」の建築プロフェッショナルといえるのか、が問われている。そんなことは無理だというのなら、「建築確認検査機関」という看板を直ちに降ろすべきである。

今後、「官」の杜撰な確認検査事例がどんどん出てくるであろう。しかし、その前提条件としては、完全な情報公開がなされて、誠実な中立の第三者である「実力」豊かなアドボケイト・エンジニア(その存在すら我が国では稀であるが)がチェックすれば、の話である。阪神・淡路大震災の際の当時の「阪神高速道路公団」の対応などを見てわかるように、そんなことはとても無理な話であろう。本件を契機に、情報隠蔽・情報破棄がどんどん進行する可能性もないとはいえない。

「民」の建築確認検査機関ではだめだから、「官」に戻せばよいという意見にはちょっと待て、といいたい。

「官」の技術や検査能力が「民」より信頼できる、あるいはレベルが高いという神話も大いに怪しい。

「官」が建築・土木を直営で「設計」「施工」「施工監理」していた時代は、昭和30年代後半から昭和40年代前半まであり、特殊なもの、先端技術を必要とする施設ものなどを除いて、そんなことは完全に終わっている。それまでの時期は、「民」は一部を除いて労力請負業が大半であった。マンション(5〜10階建)などのも、名前の通った一流ゼネコンしか、施工していなかった。それが、いつのまにか、今回のように、一般庶民にとっては無名な業者、業界関係者も一度もその名前を聞いたことがないような業者、しかも今回のような遠い地方の業者が都心にマンションを建設するという事態に至るなど、「民」の技術レベルが高くなってきたのも事実である。

「官」の技術者は「行政的(政策的/事務処理的)技術者」に移行し、現場のマネジメントはその大半が「民」に移行している。建前では、「官」が「設計」「施工」「施工監理」をやる、あるいはやっていることになっていても、その実態の大半は「民」が支えている。しかも、建設技術は日進月歩の世界である。そして、パソコンソフトの導入による様変わりも加わり、技術の進歩に追いつくのに中高年技術者は必死である。

そのような環境の中で「官」の「実力」レベルが高いと信ずるような建築現場の人間はほとんどいないはずだ。ただし、先端技術研究部分を除く。この場合も、官民混成が実態ではないか。「官」のいうもいわれぬ「お上意識」「権限」という妖怪に対して、面従腹背して利益を稼ぐ「民」の方がはるかに上手である。

2. 今回の事件では、マンション購入者や借主が、事前に自分であるいは適切な助言者などによる物件調査、それが出来なければ、しかるべき第三者による査定をしてもらう、助言をもらうという、あるいはそれらの書類を確認するというシステムが完全に欠如していることを露呈した。

米国などでは、中古建物の売買などにも、その道のプロフェッショナルが物件を検査して、問題点を明らかにして、改善策を提案し、お墨付きを出すというシステムがある。そのため、中古建物の流通も盛んである。それがリスクマネジメントとして当然視されている。

今回の事件では、「買う側」「借りる側」があまりにも無防備であることの実態も明らかになった。よく言えば「性善説」である。大金を投じて物件を購入するにしては、あまりにもリスクに対して鈍感である。衣服を買うのとあまり違わない感覚に近い。家電製品などのクレーム対策のような、欠陥建売住宅に対するクレーム対策も不完全で、クレームが長期化したり、泣き寝入りという事態には事欠かない。しかし、このようなリスクを担保するセーフティネットのシステムの拠り所のひとつであるはずなのが「「建築確認検査機関」機能であったはずだが、それが、全くの網目の大きな役立たずのザル以外の何物でもないことに怒りを覚える。

3. 1125日、国交省は「建築士法」の問題を再検討するとの報道があった。我が国の免許制度は、一度免許を出したら「一生もの」である。これだけ日進月歩の技術の進歩があり、さらに専門細分化する中で、古色蒼然たる不思議な制度である。我が国の免許の欠陥は、免許を与えた技術の「質」や時代の進化については何もチェックされず、価値が付加されないことである。これは医師など他の免許についても、同様のことがいわれているが、既得権とも絡み、改善は遅々として進まない。

米国のProject Manager認定では、実際に実績を積み重ねているエンジニアの認定更新システムがあり、経営スタッフや営業スタッフへ転進して、実際にProject Manager実務から離れた場合は、簡単には再認定されない仕組みにはなっている。だからProject Managerプロフェッショナルは、一生実務で実績を積み重ねて、その実力を「発揮」させるシステムである。「試験」に通っただけのペーパー認定(免許)など誰も信用しない。「知力」に「経験」と「実績評価」が加わった本当の「実力」が最重視される米国らしいシステムである。これが世界の常識であり、社会的に信用されるシステムである。

世界では、建築技術者も土木技術者も、同じカテゴリーのエンジニアであり、いわゆる建築家は英語で言うArchitectであり、我が国でいう建築士という意味あいとは大分違う。その上、構造物の設計や施工に「建築」「土木」の区分はない。

我が国では、「建築」「土木」で同じ事柄をなぜかいまだに使い分けている。一例を挙げれば、土木では「コンクリート配合」であるが、建築では同じ事を「コンクリート調合」という。土木の「基礎工事」は、建築では「地業工事」という。

我が国の建築士には「意匠」と「構造」の区分けがあり、今回「構造」が問題になっている。「意匠」は芸術性( Art)?があるということで、自他共に一段と高い存在とされ、そちらを志望し、実務とする者が多い。我が国でいわゆる有名建築家と称するのはこの「意匠」担当者である。今回の偽造事件でもそうだが、「外観」「見栄え」「華麗」、「流行の先端性」に関心が向きすぎて、奇抜な構想を「創造」することを得意とする傾向がなきにしもあらず、である。その「意匠」を具体化する「構造」担当者は、いわば「縁の下の力持ち」的地味な存在である。我が国のような地震多発国では、「構造」がしっかりしていなければ、構造物は本当に砂上の楼閣であり、建築においてはもっと重要視されるべき役割である。そして、最近複雑化してきた「設備」にも重要な役割がある。

我が国では建築家としてジャーナリズムを賑わす有名人には事欠かないが、先進諸外国では、現在でもむしろ、伝統的に土木エンジニアの方が尊敬され、知名度も社会的地位も高い。日本ではまったく逆である。建築家は華やかでもてはやされるが、土木家は明治時代の我が国インフラ近代化の推進時代には尊敬されたが、最近は、談合、無駄な公共予算を使うなどと、イメージが悪くなり、「土木」に対する不信感は高まる一方である。「土木」では学生が集まらないと、学科名を変える大学も出る始末だ。

マンションを買う側、借りる側も、「外観」「見栄え」「華麗」「流行の先端性」に目を奪われがちである。ファッショナブルな衣服の選択と同じ基準で判断しているのではないか。極論すれば建物の厚化粧に「好み」が集中し、「構造」「間取り」そして一番大切と思われる「安全性」「居住性」に対する考慮は疎かになりがちである。そこに業者側の「売り」「つけめ」があり「落とし穴」があることに気付く必要がある。そんな厚化粧は時を経るごとに剥げていき、いつの間にか、失望・落胆するとともに、維持管理費用がかかり過ぎるという結果になる。今回の構造偽造問題も、「厚化粧」と「コスト削減」に力を入れすぎて、肝心の「構造」をケチって重大事態が引き起こされたものである。業者も購入者もそちらに目が行き過ぎていた。

外観的には一見すばらしい斬新的な構造物で、誰でも知っている丹下健三デザインの東京オリンピックの舞台となった国立代々木競技場は、「構造」「施工業者」泣かせの問題建物で、完成後、雨漏り対策に追われ、維持管理費用もかかる「欠陥建物」である。

4. 今回摘発された姉歯一級建築士は、建築士の資格を剥奪されるようであるが、法律違反については、最高罰金額が30万円ということであるらしい。確認検査機関であるイーホームズについては、どのような処置がとられるのか現時点では明らかではない。確認検査機関としての認定取り消しにまで進むのか、罰金はどのくらいなのか、わからない。いずれにしても、「軽い」処罰になる可能性が高い。しかし、こんな「ビジネスコンプライアンス」のない会社に対する世の中の目は厳しくて当然だ。イーホームズは、この業界の有力大手のひとつであるということであり、近く株式上場も視野に入れて準備を進めていたということだが、その社会的な責任は極めて重い。

 一例を挙げれば、産業廃棄物に不法投棄などに対する処罰も極めて軽いが、なぜ軽いのかと、行政担当者に聞いたところ、他の処罰との横並びで、一挙に厳しくすることは出来ないという、ことの重大性と時代の変化に、法律や処罰が追いついていない。

 今回の偽造事件は、人命財産に対する極めた悪質な事件であり、厳罰に処するべく、現行法令の検討・改正を急ぐべきである。

5. 今回の事件については、マスコミは業者を集中的に袋叩きにしているが、片手落ちである。建築確認検査機関と関係法律や建築確認制度を主管する国交省が、建築士や建築確認検査機関の監督・監視をいままでどのようにやっていたのか、についても追求すべきである。業者や建築士の悪(法律違反)を追及するのは当然のことだが、建築確認検査機関やそれを認可した行政の責任についても明らかにすべきである。主管官庁は、法律はつくればおしまいではないのである。法律が適正に運用されているかどうかをフォローし、監視するのも国民の「お上」ではないCivil Servant(公務員)としての重要な任務であるはずである。事件が発覚してから一ヶ月も経って、ようやく検査に入るようでは、本当の実態は掴めるはずがない。敏速な抜き打ち検査・抜き打ち監査を当然とすべきである。それでこそ、実態に迫ることが出来る。そして、結果として、国民の生命財産を守る対策を立てることになる。それが果たせないような行政組織であれば、そんな組織は必要ない。即刻廃止すべきである。

 最後に、今回の事件で強く感じたことは、行政も建築士も業者も「国民・住民の生命財産の安全」に対して、あまりにも、鈍感であり、プロフェッショナルとしての倫理意識もほとんどなく、自分の立場や利益追求だけを考えている輩や組織がいかに多いかということである。そして、その彼らを厳しく監視し、追及する、「厳正なる中立の第三者」というシステムがないという我が国の現実である。だから、彼らが鈍感でいられる。「官」イコール「公」ではない。「官」は国民のCivil Servantに過ぎない。「中立の第三者」こそ「公」である。