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韓国公共政策現地視察

青山 貞一

 政策学校「一新塾」共同代表理事
武蔵工業大学環境情報学部教授

掲載日:2005年2月23日


 このたび2005年2月17日〜20日の四日間、「一新塾」の韓国現地視察に20名の塾生とともに参加し無事、帰国しました。

 以下のスケジュールにあるように、今回の韓国現地視察は本当に強行軍でした。視察が終わりホテルに帰ったとたん、バタンと寝てしまい、メールを送る暇すらなかったのが実態でした。もっぱら、森嶋さんはじめ半分ほどの団員は毎日、午前3時〜4時まで二新塾、三新塾をされていたようです(笑)。

 今後、順次、詳報する(される)と思いますが、以下は団長としてではなく、一参加者としての感想や印象を述べたいと思います。今回の韓国現地視察は、さまざまな意味で得るものが多く、有意義な視察であったと思います。アレンジメントをして頂いた中藤さんはじめ現地スタッフにこの場をお借りして感謝の意を表します。ありがとうございました。

 私の大学(武蔵工業大学環境情報学部)の青山ゼミには、学部、大学院とも韓国からの留学生がおり、議論する機会が多く、本日も卒業生でオーストラリアに留学していた韓国の院生が研究室に来られ、日韓関係について多面的に議論をしました。

韓国国会
韓国国会を背に

 
日本一新塾代表団、大韓民国国会 とあります。


        
日本一新塾代表団、大韓民国国会 


【全体スケジュール】2005.2.17〜2.20

●1日目(木曜)

朝  :成田発9時20分、

昼   韓国仁川(インチョン)国際空港に1時30分着、空港からリムジンバスで
     韓国国会へ

昼食 :国会議員秘書等による歓迎昼食会
    (韓国国会議員会館)

昼食後:北朝鮮拉致家族協議会会長(若い女性)との会合、彼女は会合後、東京
    で開催される拉致問題国際会議に立つ(場所:韓国国会会議室)、
    韓国国会副議長と議論(場所:韓国国会会議室)、
    国会議員(ノム・ヒョン大統領率いる与党ウリ党
    及び野党のハンナラ党議員等らと議論)
    (韓国国会会議室)、

夕方: 韓国国会見学(一院制、299名)

夜 : 国会議員補佐官(日本の政策秘書)、秘書ら30名以上が歓迎懇親会
    を開催してくれました。
    終了は午後10時すぎ


●2日目(金曜)

午前中:参与連帯(韓国の有名な”落選運動”の母胎、NPO
    弁護士100名、大学教授300名、会員1万3000人)、
    参与連帯の事務所で2時間議論、
    ソウル市内の高架道路→河川への修復現場視察

昼食時:ソウル市議会議長、ソウル市議会与野党議員らに
    よる歓迎昼食会、昼食をしながら議論
    (場所:プレスセンター)、

午後 :ソウル市副市長と面談(場所:ソウル市役所)、
    ソウル市ビデオ視聴(場所:ソウル市役所)

午後 :ソウル中心市街地から京畿道水原市にバスで1時間30分移動

午後 :京畿道副知事と議論(場所:京畿道庁議会会議室)、
    京畿道水原の世界遺産「華城」を歩いて見学、
    (マイナス2度)

夕方 :愛の声放送局視察(身障者向けインターネット放送局、
    ボランティアのインターネット放送局視察、事務所)、

夜  :韓国の若手IT関連経営者(30名近く)と懇親会

●3日目(土曜)


午前中:ハンナラ党本部で幹事長はじめ幹部らと面談
    (Q&A形式、場所はハンナラ党本部)

昼食時:韓国国会議員補佐官、秘書らによる昼食会
    (船上レストラン)

午後 :西大門刑務所歴史博物館見学
    (日本軍が韓国人を虐待、処刑した刑務所を詳細視察)
    その後、ソウル市内を徒歩で視察

夕方 :韓国長老議員らによる歓迎夕食会
    (場所:ソウル市内レストラン)
    終了後、KBS(韓国のNHKのようなテレビ局)の部長が参加。

夜  :韓国のインターネット民主主義を実践している学生、
    若者らと懇親会(大学路のカフェレストラン)


●4日目(日曜)

午前中:午前7時にホテル出発→地下鉄でソウル駅→北朝鮮と
    接するDMZ(非武装地帯)でもっとも北朝鮮に近い
    場所に汽車で移動

昼食時:簡単に昼食後、さらに北朝鮮に近いイムジン河畔の
    展望台に列車とタクシーで移動、マイナス8度

夕方 :ホテルに一端戻り、インチョン国際空港にタクシーで
    移動→5時10分初のアシアナ航空で成田に帰国


◆総合的印象

 実質3日の大変短かい視察でした。しかし、連日、韓国の国、道、市の政治、行政分野の首脳、市民団体、企業のキーパーソンと会合し議論できました。同時に可能な限り現場を視察しました。これは現場主義、政策提言をモットーとする一新塾の設立趣旨に合致するものです。

 とくに感心したのは、今の韓国では学生、若者が高い社会意識と政治意識をもち、インターネットなど媒体やツールを駆使して具体的、自律的、自主的に政治経済、社会分野で活動していることです。

 自分たちが社会を変える、そのために政治を変える、と言う強い認識と意志をもち、同時に私たちが言う「観客民主主義」や単なる「手続民主主義」を超え具体的にコンテンツに踏み込み活動していることです。これが、何ともすばらしいものでした。

 かかる潮流は、ビジネスやNPOの世界でも同じであると思えます。愚痴、文句、批判、揚げ足取りに暮れているのではなく、活発に議論しつつも具体的に社会変革を実践している、しようとしているな、と感じました。

 一番多くの時間を費やしたのは政治分野です。

 国から道(日本の県に近い)、政令市まで政治家や政治そのものが若者のダイナミックでドラスチックな活動の”うねり”の波をもろに受けています。その痕跡が国会議員から市議会議員まで、あちこちで確認できました。これは与党、野党共通のことです。

 とくに高齢や当選回数の多い政治家は、若者のそれらの動きにオロオロしているのが印象的でした。さらに与野党それぞれが、さまざまな分野で具体的に競いあっている様も今の日本ではあまりお目にかかれないものです。

 一方、市民団体は、後述する「参与連帯」に象徴されるように、韓国では、市民レベルでの政治家の「落選運動」、相互交流のための「電子民主主義」など、政治、行政、司法への参加とともに、シビアーな監視運動が広まっています。


木曜日(1日目)

 昼にインチョン国際空港に到着し、リムジンバスで一路、韓国国会へ。


議員会館での昼食

 国会議員補佐官(政策秘書ら)による歓迎昼食会。場所は、韓国国会議員会館です。昼食後、国会の会議室で北朝鮮拉致家族協議会会長の若い女性(催祐英さん)
と会合。彼女は父親を北朝鮮に拉致されています。

 今回の現地視察の最後で後で分かったことですが、韓国では与党(ウリ党)は北朝鮮問題では金大中氏らの太陽政策を引き継いでおり、野党(ハンナラ党)は、その前身が大量に北朝鮮に拉致された韓国人が韓国から解放された際、500人以上に及ぶそれらの人々をスパイの疑いで弾圧したそうです。

 そんなこともあり、現在、国レベルでは与野党とも、北朝鮮拉致問題に積極的に触れたがらない政治状況があるようです。これはあちこちで実感しました。現に日本では連日、北朝鮮拉致問題をテレビが放映しており拉致家族への理解がありますが、韓国では催祐英さんらへの支援は日本に比べると少ないようです。

北朝鮮拉致家族協議会会長の若い女性(催祐英さん)
一新塾訪韓団を歓迎する韓国議会有志

 その後、国会の会議室で韓国議会の副議長、与党ウリ党議員、野党ハンナラ党議員と議論しました。ウリ党、ハンナラ党の政治理念と手法、経済政策、社会政策などの本質的、決定的なな違いがどこにあるのかなどを聞きたかったのですが、時間の関係でごく一部しか聞けなかったのが残念でした。出席したウリ党の若手議員はいずれも学生運動出身者とのことでした。

 夕方から韓国の国会議事堂を見学しました。韓国議会は一院制で議員数は現在、299名です。ご承知のように韓国は大統領制であり、日本の議院内閣制とはさまざまな意味で違いがあります。議事堂見学では、大韓民国の議会の歴史についても女性の通訳兼解説者から詳しく説明を受けました。

日本一新塾代表団、大韓民国国会 
国会での議論 韓国議会副議長の挨拶
一新塾の団員(一部)
全員で 質問する一新塾メンバー(渡辺さん)

 夜は国会議員の補佐官(日本の政策秘書)や秘書ら30名以上が私たちの歓迎懇親会を開催してくれました。おそらく3時間ほど、食事とお酒を飲みながら議論しました。私はハンナラ党の朴補佐官の隣に座ったのですが、朴さんはおそらく補佐官で一番の酒豪。喘息でまったく飲めない私は、大変でしたが、共通語の英語と前に座られた女性のバスガイドさんの通訳で日本と韓国の政治状況を徹底議論することができました。

補佐官らが開催してくれた懇親会
(マイクを持っているのが朴補佐官)
屋台にて

 バスでホテルへ帰ったのは午後10時30分過ぎだったと思います。その後、午前3時過ぎまでホテルの隣の屋台で飲んでいた塾生が多数いたようです。

●金曜日(2日目)

 午前最初に訪問しましたのは、今や世界的に有名になった「参与連帯」です。このNPOは、現在100名の弁護士、300名の大学教授、1万数千名の会員を持っています。参与連帯は、国民の支援のもと、まさに体を張った運動を連日展開しているようです。

参与連帯本部にて
参与連帯事務所、若い人が多い

 名誉毀損裁判を受け、損害賠償がかかることもあるそうですが、それをはねのけ、議会、行政、司法の常時監視をしています。もっとも有名な活動は2000年及び2004年の国会議員選挙での落選運動で、多くの実績をもち国民の指示を得ているそうです。

 このNPOは行政、企業から一切資金の援助を受けず、国民、市民ひとりひとりからの会費で運営されています。ちなみに予算規模は日本円で1億円近くに達しています。また参与連帯の提案がきっかけとなり韓国の政治制度や政治資金制度(法)ができているとのことです。参与連帯に関しては、私のHPで詳細を紹介します。

 参与連帯のあと、ソウル市の副市長と接見し議論しました。


ソウル市副市長

 私の専門分野であります公共政策、環境政策の分野でも、たとえば1000万都市ソウル市の中心部の高速道路を壊し、河川として蘇生、復元させている事業にも議論が及びました。前澤理事から復元工事に際して沿道にあった露天等の扱いについての質問もでました。この事業の工事現場はバスから何度となく視察することができました。

 下は当時、建設工事中の清蹊川再生事業の現場です。バスの車窓から撮影しています。


建設工事中の清蹊川再生事業の現場

ソウル市議会議長との会食

 ちなみに、数年前韓国に国際学会で行ったときは仁川国際空港近くの大規模干潟をつぶしてつくった淡水湖(ダム)により水質が極度に悪化し、一端つくったダムの水門を開けていましたが、今回はさらにドラスチックな都市の環境再生を目の当たりにみたことになります。

 昼は1030万の人口を擁するソウル市議会議長そしてハンナラ党、ウリ党の市議会議員らとプレスセンターのレストランで会食をしました。食事をしながら議論を行いました。ここでは片岡代表理事が、議員定数の削減や報酬のカットなどを質問するなかで、地方議会のありかたについて有意義な議論が行えました。

 午後は、ソウル市から京畿道水原市までバスで1時間30分ほど移動しました。京畿道庁を訪れ、副知事と約1時間議論しました。私の関心との関連で言うと、京畿道では、環境保全のために都市の「成長管理」についても言及されました。 会談後、世界遺産に指定されている京畿道水原市の「華城」を団員皆で歩きました。寒いなかでの世界遺産見学でした。


京畿道庁

京畿道副知事への表見訪問
京畿道の副知事と


京畿道庁にて

 下は韓国の世界遺産「華城」です。水原華城(スウォンファソン)は、韓国京畿道水原市にある李氏朝鮮時代の城塞遺跡で。華城、水原城とも言います。


韓国の世界遺産「華城」


韓国の世界遺産「華城」の現地で案内を聞く団員



韓国の世界遺産「華城」


 初日、二日目で私にとって印象的だったのは、国会議員、市議会議員、副知事、副市長らとの会合で、韓国では「環境」や「環境政策」があらゆる場面でキーワードとなっていることでした。

 この日の夜は、「愛の声放送局」と言い身障者を対象としたインターネット放送局を視察し、その後、インターネットを媒体とした双方向の電子民主主義活動や、それを支えるソーホーに近いITビジネスのCEOらとソウル市内で会食しました。


愛の声放送局のスタジオ

 会食ではソウルの若手の経営者、指導者と若者がビジネスと政治で有機的な連携をしていること、また政治、NPO、ビジネスなど、あらゆる側面で女性の積極的な社会参加があることが分かりました。


土曜日(3日目)

 土曜日は午前中ハンナラ党本部で幹事長ら幹部、職員と議論しました。団員からも質問がだされ、ひとつひとつ丁寧にこたえてもらいました。

 土曜日の昼は補佐官(日本の政策秘書に近い)のはからいで船上で昼食をとなりました。

 午後は日本軍が戦前、独立運動を行う韓国人を投獄、拷問、処刑したと言う「西大門刑務所跡地歴史博物館」を視察しました。おりしもマイナス5度より低い気温。ここには2002年に小泉首相、その後日韓議員団数十名が訪問したそうです。ここでは、韓国の学生らがボランティアで通訳をしてくれました。


西大門刑務所跡地歴史博物館

 これは韓国を植民地支配した大日本帝国による治安維持法による人民弾圧のパネルです。



西大門刑務所跡地歴史博物館

 下は有名な3.1独立運動に対する大日本帝国による自民弾圧についてのパネルです。


西大門刑務所跡地歴史博物館

 これは当時の 西大門刑務所の監獄です。


西大門刑務所跡地歴史博物館



 夜は韓国の保守派で元軍人最長老の朴さんらと会食し議論しました。食後、ソウル及びその近郊に住む学生等とカフェで2時間ほど談笑しました。


日曜日(4日目)

DMZ現地視察


 最終日の日曜日は仁川国際空港の帰国時間まで空いた時間に、電車、タクシーをのりつぎ、北朝鮮に最も近い国境線(非武装地帯)を視察しました。北朝鮮問題についても、日本での議論とはまったく異なる状況、事情があることも分かりました。


韓国・北朝鮮の非武装地帯で 韓国と北朝鮮の非武装地帯(DMS)にて
鉄道で非武装地帯近くの駅で降りる。次の駅は何と209km先に平壌(ピョンヤン)とある!

 以下は現地にあった韓国と北朝鮮の最前線の絵地図です。


軍事分界ゾーン,


軍事分界ゾーン,


 下の写真は電車とタクシーを乗り継いて韓国と北朝鮮の非武装地帯まで行き、最前線のフェンス前で撮影してもらった貴重な写真です。


軍事分界線,


 この時は帰りの時刻が決まっていたので、長居はできなかったのですが、当時、DMZには板門店以外に、いくつか一般人が最前線まで行ける場所やトンネルがありました。
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韓国と北朝鮮の非武装地帯まで行き、最前線のフェンス前にて