エントランスへはここをクリック!          

 最近の2つのコラムを読んで   津川 敬

掲載日:2004.5.12

 二つのメッセージ、きわめて重たい中身だったので、予想外の衝撃を受けています。ひとつは「年金の積立金があと80兆円あり、それを官僚と政治家が食い物にしたいため情報開示をしていない」という報告です。

 なぜこんなすさまじい情報が表にでないのか、そのこと自体に驚きを禁じ得ません。「整合性のとれないデータを出して、実際以上に『危機だ、危機だ』と騒いで保険料の値上げと給付の引き下げを納得させようとしている」という事実があるのなら、なんでマスコミが徹底的にそれを調べあげ、報道しないのか(少なくとも朝日新聞本体がそれをやらないのか)、そうなると「朝日ニュースター」なるメディアは堕落した「朝日新聞株式会社」のアリバイづくり装置なのかとすら疑ってしまいます。

 これらの情報が事実なら、「我々の子供や孫」に過度の負担を強いなくとも「老後安心して暮らせるだけの給付」が保障できる筈なのです。紺谷典子さんや二木啓孝氏は小生も日ごろから信用しているまともな論客です。この事実を巨大メディアが公にできるなら、今回「脇が甘く、潮目が読めないために自滅した菅直人という、きわめて得がたい政治家を弔うにふさわしい」葬送歌になるにちがいないと思っています。

 次に「日本:元イラク人質に思いやりなし」にも驚きました。今井さんや高遠さんたちが受けたいわれなき迫害・罵声に憤りを感じるとともに日本人(自分も含め)はどうしてこうも「異端を排し、弱いものいじめをする」性癖から抜けられないのかと、恥ずかしさを禁じ得ません。「水に落ちた犬は打て」という箴言があります。

 しかしこれは絶大な権力を持った為政者に対して向けられるべき行為だった筈です。しかし日本では今井、高遠さんら、「常に自ら何ができるかを自問自答し、、ピュアに生きてきた若者」に対し「法の秩序を乱した」といういいがかりをつけ、異物排除の論理で弱いものいじめをする格好の論拠に(この箴言が)されてしまったのです。

 3年前、小生が「週刊金曜日」から「9・11以後のメッセージ」を頼まれたとき、二つのことを書きました。ひとつは「アメリカという国はかつて外国から本土攻撃を受けたことがない」という事実から国民が想像以上にパニックになってしまったこと(小生はアメリカB29の空襲を浅草と大森で2回受け、2度も死にはぐっているのです)。その恐怖をブッシュがに巧みに利用し、「イラク撲滅」に国民を駆り立てたという事実。もうひとつは「異常事態を迎え、昨日まで普通の市民だった人間が、突如権力の一員になったとき、徹底して市民をいたぶる側に回る」という悲しいほどの現実です。

 ふだん、誰からもバカにされていた「足袋づくりの職人」だった初老の男が町の委嘱を受け、隣組長になった途端、威張りちらして、これまで自分をバカにしていた隣人を軍部(憲兵隊)に告発するという復讐をやってのけたのです。小生の母も病弱のため勤労動員に出なかったというだけでその男から「非国民」呼ばわりされました。

 話は違いますが今回の菅直人バッシング、なんで彼ばかりをたたくのですか。それができる権利は我々だけにあるのです。いまの腐敗したマスコミやタレント風情にそんな権利は断じてないのです。