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末期的症状を呈する自民
 その10  民主主義を壊す大メディア

青山貞一
 
掲載日2005.8.23

 東京新聞2005年8月26日号の「メディアを読む」で立教大学の服部孝章教授(メディア論)は、昨今の小泉郵政民営化問題に、メディア論の観点から次のような辛辣な批判を浴びせかけている。

 「今こそ冷静な視座が必要なのに、『刺客』『マドンナ』など劇場型選挙が小泉政権中枢によって演出・展開され、テレビはワイドショー枠も定時ニュース枠も追随している。テレビジャーナリズムの危機だ。

 現政権は9月11日実施の総選挙で、行政改革の本丸とする『郵政民営化』の是非を最大争点に掲げる。しかし、後にこの9月11日を検証する際、日本の社会と政治が民主主義を放逐してしまったなどといえるようなことになるかもしれないほど、日本社会は分岐点にある。」

さらに

 「今こそテレビ報道は、『小泉政治』の4年間を徹底して検証すべきだ。『刺客』らを追っかける取材陣のコストは、そのまま日本のジャーナリズムを弱体させるだけだ。

 『刺客』の動向を自民党広報機関のように伝える姿勢は、報道の自由をとはかけ離れ、この国の将来を決定する選挙を一時のお祭りにしているだけにすぎない。

 今こそ必要なのは、現状の政治の真の争点の掘り起こしと、戦後60年にしてこの国の『民主主義』の脆弱さを乗り越える報道姿勢ではないのか。」

 まさにその通りである。 

 一方、友人のフリージャーナリスト、横田一氏も昨今の異常なテレビ報道に対し環境行政改革フォーラムのメーリングリストの私とのやりとりのなかで次のように具体的例をあげ述べている。

 「マスコミが『郵政民営化賛成派=改革派、反対派=守旧派』という一面的な物差しを押し付け、小泉首相の広報機関と化しているのは全く同感です。

 先週のテレビ・タックルでは、賛成派のコメンテーターが勢ぞろいし、反対派の側に立って反論するのが福岡教授だけという不公平な人選でした。ワッツ・ニッポンでも、猪瀬直樹氏やテリー伊藤氏や日経ウーマン編集長が三人とも郵政民営化賛成派で、反対派の議員を詰問するというやりとりもありました。

 放送法の多角的視点の提示からすると、スタジオには、少なくとも一人は反対派に近い立場のコメンテーターがいないとバランスに欠けると思います。

 猪瀬直樹が出るなら、反対派寄りのコメンテーターが出ないとおかしいと思います。こうした偏向報道ぶりについては、あまりに酷い。

生き残り懸け「イメージ新党」=裏に「小沢一郎氏」との見方も
 ただ、結党の記者会見で田中氏は抽象的な理念を繰り返すばかりで、政策は語らなかった。「合言葉は信じられる日本へ」などとした結党宣言が「当面の理念と公約」(荒井広幸参院議員)という状況だ。窮余の策とはいえ、どこまで有権者の理解を得られるかは不透明だ。
(時事通信) - 8月21日22時9分更新


 この(上の)時事通信の記事も小泉首相寄りにみえます。

 田中知事は「抽象的な理念を繰り返す」だけではなく、長野県の財政が健全化していることを紹介した上で、小泉政権下で日本の借金が膨らんでいることを指摘(小泉首相が「聖域なき構造改革」を訴えても効果なし)、また道路公団民営化についてもイタリアの高速道路料金が日本の4分の1であると紹介(ちなみに小泉首相の道路公団民営化では1割しか料金は下がらない)、「民営化した後、どうなるか」を問題提起したいと語っていました。

 これは、形だけの「民営化」をしても具体的な効果(国民へのプラス)が伴うのかという”小泉口先政治”への批判に聞こえます。

 こうした具体的な対立軸を時事通信の記者は感じないというのは、よっぽどセンスがないか、上司から小泉批判はするな」といわれているのかのどちらかとしか思えません。

 抽象的な理念を繰り返すばかり』というのは、『民営化』『民営化』と叫ぶだけで、官から民へ資金の流れがどう変わるのか、出口の特殊法人の無駄遣いがどう減っているのかを説明しない小泉首相に向けられる批判ではないかと思います。」
 
 おそらく圧倒的多くの読者も横田氏の上記のコメントに賛同する事と思う。それほどここ数週間の大メディア、とくにテレビ報道は常軌を逸していたと思える。

 ところで、私が末期的症状を呈する自民シリーズの最初の号で指摘した「月刊現代9月号が提起したもの!」で指摘した、朝日新聞の安倍、中川の両代議士による番組制作への政治介入問題だが、武部自民党幹事長らは、朝日新聞に本当に取材拒否を通知した。

  ※ 青山貞一 末期的症状を呈する自民 その1 月刊現代9月号が提起したもの!
  
 本来、政権与党である自民党の朝日新聞取材拒否に対しメディア全体で自民党に抗議すべきなのに、当事者の朝日新聞が及び腰なのに加え、他の大ジャーナリズムは抗議するどころか沈黙を守っている。新聞によっては自業自得とばかり高見の見物を決め込んでいる大メディアもいる。

 2005年8月10日の東京新聞の「メディア新事情」で篠田博之氏は、これについて次のように述べている。

 「政権政党である自民党がこんな形で取材拒否を行うのは、どう見ても論点のすり替えであり、嫌がらせでしかない。だが驚いたのは、この取材拒否に対してメディア界全体で抗議や反論を行う空気があまり見られないことであだ。」

 日本の大メディアは、イラク戦争勃発直前でも朝日新聞がろくに検証もせず、ブッシュ大統領の大量破壊兵器論にひっぱられ、イラク戦争を容認するような社説「イラク政府は恐れよ」(2002年12月21日)を堂々と掲載していた。これについては、写真ジャーナリストの広河隆一氏が秀逸なコメントを出している。
 
 ブッシュ大統領の「イエス」か「ノー」かの二項対立論と小泉首相の郵政民営化に「賛成」か「反対」かの二項対立論もきわめて酷似している。共通しているのは、国民を思考停止とさせ、メディアを自分たちの側に引き入れることである。この間の日本の大メディアは、まさにそれに国民を誘導するよう先導してきたといえまいか。
 
 イラク戦争では、後にブッシュ政権のあちこちの側近から大量破壊兵器の不存在が示されたが、日本のマスコミはベタで報道するだけで、社説などで明確に自分たちがしてきたことを反省している新聞社それにテレビ局はごくごくわずかである。

 日本の世論は、マスコミによってつくられることは周知の事実だ。

 独裁的為政者のメディア戦略に簡単に乗せられ、追随する昨今の大マスコミをみていると、この国の民主主義はまさに大メディアによって破壊されていると思うのは私一人ではないだろう。

 本当に日本の行く末を危惧するものである!