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旧軽井沢に新たな交流の場
St.Cousair!

〜建築設計は團紀彦氏〜

青山貞一

掲載日:2006.6.20
 
  長野県軽井沢町、旧軽井沢地区にある23万坪という途方もない広大な別荘地の一角に、今まで日本になかった倶楽部ハウスが完成した。たまたま設立記念の会合への招待を受けたこともあって、2006年6月17日午後、でかけてみた。

 旧軽にできた倶楽部ハウスは、4人のクリスチャンでオーナー&経営者が、建築家の團紀彦氏に設計を依頼してできた施設。本格オープンは7月上旬だが今回はそれに先駆け、主催者がお披露目のパーティーを開催したことになる。

 團さん設計の自然と共生する倶楽部ハウスと聞けば、建築家ならずとも、ぜひ一度は見てみたい、ということになる。

 私たちのシンクタンク、株式会社環境総合研究所(本社、東京都品川区)の保養所が近くにあり、たまたまその維持管理で軽井沢にでかけていた。そんなことで、当日は車で約20分南下し旧軽井沢の三笠地区にある倶楽部ハウスを訪問した。

 
        別荘地の入り口

 当初送付されてきた案内状によれば、この倶楽部ハウスを設立する趣旨は、三笠地区一帯にある旧軽井沢倶楽部と言う別荘地の別荘のオーナーやゲストのために日本にかつてなかった英国式の倶楽部ハウスをひとつのモデルとしてホスピタリティーの溢れる質の高い倶楽部経営を目指す、とある。

  日本の別荘地には、さまざまな倶楽部ハウスがあるが、現存しているものは、残念ながら一方で成金やお金もちグループの会員制で高額なもの、他方で施設、運営ともおよそ倶楽部ハウスなどと言える代物ではないものが多い。

 上記の経営者の弁は信じたい。しかし、この種のものの質や機能は、倶楽部ハウスと言う建築物の外見だけで分からない。今回は、團さんが設計したと言うことに加え、経営者が強調する「ホスピタリティーが溢れる」と言う文言にほだされ、とにかく向かってみたのである。


       車寄せ方向から見た倶楽部ハウス


             倶楽部ハウスの正面玄関


             周辺は新緑の森

 行って見てまずびっくりしたのは、やはり團さん設計の建物である。外観は傾斜地にインテグレートされる形で下の写真にあるような奇抜な建築となっている。。建物そのものが、そっくり谷戸田に横穴式住宅ではないが入れ込まれている。
 
 色やデザインは、瀟洒なだけでなく、景観上も周辺の自然環境とほどよく調和している。

 倶楽部ハウスのエントランスには、ワインの大樽がおいてある。そこを通り抜けると、フロントがある。そこで記帳をすませ右に行くと、下の写真にあるラウンジが下方に見えてくる。

 そのラウンジだが、大きなガラス数枚で外界と一線を画しているが、ガラスが大きい。そのデカイ・ガラス越しに外の壮大な自然景観が楽しめる。

 今回公開された施設の運営は、株式会社サンクゼール(St.Cousair)があたっていると言う。当日は主催者の関係者、別荘のオーナー、それに各地から招待を受けたひとびとが参加していた。どこかで見たなぁと言う感じの著名な女優もさりげなく参加していた。


       エントランスから入ってすぐ下にラウンジがある


            外からラウンジを見る


       外のテニスコートでは、気球上げも

 午後2時頃になって各地から三々五々集まった人々が、思い思いに交流、午後3時過ぎから主催者のオープニング挨拶がはじまった。そのあと、軽井沢町の佐藤町長ら来賓の挨拶があった。

 参加してみて分かったのだが、倶楽部ハウスそのものは、旧軽井沢倶楽部ホールディングスLLC(英文名 KaruizawaClub Holdings LLC)と言って、それぞれ別々の分野にいる4名のクリスチャンの経営者が共同で出資し2006年6月1日に合同会社をつくり運営にあたっている。

 ことさら興味深かったのは、4人のオーナー・経営者がいずれもクリスチャン、おそらくプロテスタント系であったことだ。これは、招待状やオープニング・セレモニーのなかでも繰り返し述べられている。

 オープニングで挨拶に立った経営者の代表(合同会社の代表取締役社長)である木下岩男氏は、これからの時代、経営者は利益追求、お金儲けではなく、さまざまな人々に奉仕する社会的活動が重要である、とミッションを力説された。

 ここ数年のITバブルによる新たな経営者の行状をみていると、成金者や錬金術師が新たな社交の場づくりなどを提案、実施しているが、その種の人々がいくらかっこつけてもダメ、結局は文化活動、社会活動ではなく、自分たちの商売、経済活動が優先され、しかも同業者の集まりにしかなっていない。しっかりとしたミッション、理念を持ち、それなりの仕掛けをつくらなければ、各種の「インサイダー取引の場」となりかねない。

 ところで、木下代表は、格差社会化する今の日本で、「誰でもが容易に使え、楽しめる英国流の社交、交流の場を創りたい」とも述べた。それはその通りだ。一部の富裕層の社交の場と言うだけでは、彼らのミッションは生かせない。

 だが、彼らが「英国式の倶楽部ハウス」にこだわるとすれば、そこには大きな隘路が待ち受けていると思う。それは英国社会がもつ伝統的な「格差社会」の弊害を同時に引き継ぐことがあるからだ。

 今日本では小泉改革とやらの結果、未だかつてない「格差社会」が顕在化しつつある。

 周知のように、英国では歴史的な経路を経て今でも上流階級と下流階級と言う歴然とした社会格差が固定化し存在している。

 その英国における保守政治は、エドマンド・バーク以来、歴史的に下流階級の社会的不満や憤りが臨界状態に達する前に察知し、率先してよりよい社会へと改良すべきだと語っている。簡単に言えば、政治家が先回りして市民の社会的不満や怒り、すなわち革命的な爆発を事前にコントロールしてきたと言うことだ。

 その背景には、フランス語に言うノーブレス・オブリージュ、すなわち身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観がある。高い地位や身分に伴う者の義務として貴族など高い身分の者にはそれに相応した重い責任・義務があるとする考え方だ。この考え方は、フランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意味だ。

 だが、このノーブレス・オブリージュと言う考え方は、本場、英仏で破綻を来たしつつある。それをベースにする保守政治は、一歩間違えば国民を二つの階級に固定化するだけでなく、上流階級や保守政治家がもつさまざまな利権や既得権益を追認する危険性をはらんでいるからである。

 そもそも、エドマンド・バーク流の保守政治の理念と手法は、フランス革命など市民革命への憎悪、反感から成り立っている。

 近代史のなかで市民革命を一度も経験してこなかった日本が見習うべきは、英国式の「二つの国民」の固定化とそれを誘導してきた保守政治ではないはずである。木下氏らも、ぜひ、そこのところを学んで欲しいと思う。ノーブレス・オブリージュでも、ほどこしでもない、格差社会を前提としない第三の社交・交流こそが今、日本に求められていると思う。

  英国における「二つの国民」については、以下にある批評者、佐藤清文氏の最新論考に詳述してあるので、読んで欲しい。

 佐藤清文氏 「二つの国民と貧民墓地」

 さらに、米国では、ゾーニング(土地利用規制)が格差の空間的固定化手法として援用されてきたが、英国では倶楽部ハウスなどの施設が格差の空間的固定化手法として使われてきたきらいがある。都市計画や建築は一歩間違えると、まさに格差社会を社会的に固定化させる危険性をもっていることを私たちが肝に銘ずる必要がある。 

 
 閑話休題........


  ところで、肝心なパーティーだが、来賓挨拶のあと、立食形式で自由な社交・交流が2時間以上繰り広げられた。


            西村あきこさんのゴスペル・ライブ


 立食パーティーのさなかのメイン・イベントは、ピアノ伴奏付きで西村あきこさんによるゴスペルソングのライブである。これが、筆舌に尽くせないほどすばらしかった。すばらしいのは彼女の声量あるライブの歌のみならず、参加者を巻き込み全員で音楽を楽しみ、ミッションを各自が自分のものにしているからだ。

 あとで分かったのだが、彼女は軽井沢や上田など長野県内でゴスペルや教会音楽をライブで次々に歌っている。何しろそのアルトには迫力がある!上の写真を見て頂ければ分かるが、皆一緒に歌っているのである。

庭でも数々の社交・交流の輪が
宴もたけなわ 筆者

 室内ラウンジから外に簡単に出られる。しかも、両者は大きなガラスを隔て隣り合わせとなっている。土曜の午後は、終了直前まで曇りで雨もなく、写真のように、室外でも社交があちこちで繰り広げられた。

 いずれにしても、忙中閑あり、楽しい6月の土曜の午後のひとときであった。