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むなしい干拓農地と失われた豊穣の海

池田こみち(文・写真)

掲載日:2005.6.28

無断転載禁

 昨日、福岡高等裁判所は、漁民たちの最高裁への抗告を認め、ついに司法上の争いの場は最高裁判所へと最終段階に入ることになった。

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 国営諫早湾干拓事業(長崎県)の工事差し止めを巡る仮処分申請で、佐賀地裁の差し止め決定を取り消した福岡高裁決定を不服とする漁業者側の許可抗告について、福岡高裁(中山弘幸裁判長)は27日、最高裁への抗告を認めた。今後、最高裁で書面審理される。
(読売新聞ニュース2005.06.27より)
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 1999年から6年間継続してきたグリーンコープ連合による松葉ダイオキシン調査の最終的な報告会が6月から7月にかけて、九州各地で開催されており、6月23日は長崎県諫早市内で開催されたこともあり、よい機会なので、現地で活動している方に諫早湾周辺を案内して頂いた。

 まずは、高来町の高台から、諫早湾全体の様子を眺望した。(写真1)干拓地には夏草が生い茂り、一部ではジャガイモとタマネギの試験栽培が行われているとのことで、整然と区画されているエリアも見られた。諫早湾周辺地域は台地では、以前から高付加価値の市場力のある野菜づくりが有名だ。干拓地のような低く水はけの悪い土地でのジャガイモづくりは、連作が難しい作物であることを考えても、なかなか困難が予想される。試作品のジャガイモの味は「今ひとつ美味しくなかった」とは地元の人たち感想である。干拓事業は農地を分譲して事業採算をとることが前提だが、この時代、干拓地を購入してまで入植する人がどれだけいるのだろうか。リースでの干拓地利用については、若干の問い合わせもあると言うが。



 今年の梅雨は空梅雨で、本明川から流入する水量も少なく、水質悪化が心配される。そこで、締め切り堤防近くに降りてみることにした。潮受堤防の上は道路になっているが、現在は、一般の通行は認められていない。高来町地先の北部排水門の外は写真2〜4の通り、引き潮のため、死滅した貝殻が露出してほとんど生き物の姿は見られなかった。磯の香りも以前とは全く違っているように感じられた。







 そんな中、地元の漁師さんたち家族が干潟に出て、秋に撒いたアサリの稚貝の成長を確認しながら、収穫を行っていた。これも空梅雨で水温も上がり、水質が悪化すれば赤潮が直に発生し死滅してしまうので、それまでに収穫しなければならないと話していた。(写真5、6、7)







 一方、堤防の内側の干拓地は、台地から眺望したときより以上に、その広大さに驚かされる。一面の緑、葦や雑草が人の背丈ほども生い茂っている(写真8)。対岸にはうっすらと雲仙普賢岳も臨める。2500億円の巨費を投じて生まれた農地、ここで誰がどんな農業を営もうとしているのか、なかなかイメージしずらいものがある。旧堤防の上を進むと、旧干拓地の農地では水路の整備が進み、麦の収穫を終えた畑(写真9)はすっかり乾燥して人影もなかった。ただ、旧堤防から干拓地内に入る門を挟んで、事業者側のガードマンと軽トラックで乗り付けていた地元の人々との間にはなにやら険しい空気が流れていたのが気になった。







 さらに旧堤防上を進んで、森山町を流れる二反田川河口の水門「万灯樋門」に着いた(写真10)。改修されたばかりで真新しい。水門は二つとも開かれていて、二反田川の水はゆっくりと干拓地内を抜けて締め切りられた調整池に流れ込んでいる。(写真11、12)





 あれほど生き物でにぎわった諫早湾、今は冬になれば鴨類がわずかに飛来するだけで干潟の野鳥はほとんど見られなくなっているという。訪れたときも、シロサギ、ゴイサギなどサギ類が堤防外側でわずかに見られただけだった。広大な干拓農地の草むらにはヒバリ、ツバメなど小鳥たちの声が賑やかに響き渡っていた。堤防の外の海は川からの栄養分を絶たれ、潮流が変化し(滞り)、今まで海の機能を維持してきた生き物たちが死滅したため、水質が悪化し続け漁民の生活は成り立たなくなっている。
 どんなにコンクリートと鉄を打ち込んでもきっと元のような豊穣の海は戻らない。水門を開けて一時諫早湾が汚染されることは覚悟の上で、地元漁師たちは、自然が再び諫早湾に生気を取り戻してくれることを期待し差し止め裁判を闘い続けている。

 海沿いには「アサリ、タイラギ、揚巻、ムツゴロウ」などの看板を未だに掲げた海産物店があった。地元では全く取れないこれらの魚介類を地元で売る人々の寂しさが心に浸みた。今回の短い諫早湾探訪は、諫早湾魚介類、ムツゴロウへの鎮魂の石碑を見て終わった。