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「奪われし未来」発刊から10年、
環境ホルモン問題を問い直す
〜 John Peterson Myers 博士
の講演を聴いて〜


池田こみち
環境総合研究所副所長
長野県環境審議会委員

掲載日:2005.10.2

 
 レイチェルカーソンの「沈黙の春」、ローマクラブの「成長の限界」に次ぐ警告の書といわれた「奪われし未来:Our Stolen Future」(シーア・コルボーン、ダイアン・ダマノスキ、ジョン・ピーターソン・ マイヤーズ著)が96年に出版されてまもなく10年を迎える。日本語版も97年に初版が、そして01年には改訂版が出され多くの反響を巻き起こし、まさに衝撃の一冊となったことは記憶に新しい。



 今回、出版10年を記念して著者の一人であるジョン・P・マイヤーズ博士を招聘しての講演会が日本環境ホルモン学会によって開催された。「The aftermathof Our Stolen Future:a revolution in public health sceineces」と題し、出版後の公衆健康科学分野における変化を総括した、大変貴重な講演となった。

 講演は9月29日午後、江戸東京博物館のホールで開催されたが、満席の盛況だった。講演の要点は以下の通り。

<講演の要点>

・この10年間にEUや米国、アジアにおいて環境ホルモン物質の研究に実に数百億円の研究投資を行ってきており、数千編の論文が発表され多くの成果が出ている。

・動物実験や培養細胞を用いた実験では、「奪われし未来」で警告した多くの事実(生体におけるホルモンのかく乱作用)が確認されてきている。

・また、人を対象とした研究においても、マウスなどの動物実験で得られた結果と類似した結果、予測と一致したパターンが見られている。
・まさに環境ホルモン物質とされる化学物質は遺伝子をハイジャックして生物の発生のメカニズムに大きな影響を与えるものであるということが明らかになってきたわけである。

・こうした科学的な一連の成果は、従来の遺伝病や疾病に対する見方の革命的な概念変化をもたらしてきた。すなわち、従来、親から子へ遺伝的に伝えられたと考えられてきた病気は、「遺伝」ではなく、「環境、食品、ストレス、等々」の環境要因によって胎児期に影響を受けたことによってもたらされた可能性が高く、そのことは、いわゆる遺伝病の治療や予防の対策を考える上で大きな変化をもたらすことになった。

・高濃度ではなく、低濃度の暴露であっても遺伝子のハイジャックが起こり、胎児期の暴露によってその子供のが成長や性的成熟度に応じて発病するといったことが明らかになってきている。こうした病気は「胎児期に起源をもつ大人の病気」いわれる新しい研究領域となっている。

 事実、アスベストの影響で癌になる人よりも、生殖器の癌を発症する人の数は遙かに多く、問題の深刻さを浮き彫りにしている。それは特定の化学物質対策では解決できない問題だからである。

・こうした低用量による影響は、高用量での影響とは異なる影響を示すこと、また、低用量影響は高用量によってもたらされるる結果(影響)からは予測出来ないものである。

・化学物質による影響については、当初、生殖と不妊に焦点が当てられていたが、今では、知能の発達、行動、病気への抵抗力、免疫機能、肥満などが環境ホルモン物質によって引き起こされると考えられており、主要な研究対象となっている。

・環境ホルモン物質は身の回りのどこにでも物質であり、人は日常の暮らしの中で複数の物質から複合的な影響を受ける可能性を持っている。人の臍帯血の研究では調べた413種の汚染物質の内、287種が検出されている。

・そうした中で、いわゆる従来型の「疫学」では説明がつなかい健康影響のメカニズムや病気の発生などが見られるようになってきており、研究の領域を化学物質そのものの特性へとより拡大していくことが必要になってきている。

・そうした複合的な化学物質の影響を含め従来から指摘された実験・研究の課題を組み込んだ疫学研究はまだ進んでいない。特に、大人の病気に対する胎児期暴露の影響、多くの化学物質の影響を同時に受けること、高濃度での影響と低濃度での影響が異なることを考慮した疫学研究はない。

 また、人と動物では暴露に対する感受性が異なることや同じ集団の中で異なる場合があることなどを無視したため、疫学的な検出力を弱める失敗につながっている。

・こうしたことから、疫学研究論文は「疑い」に満ちており、安全でないものを安全と結論づけてしまっている可能性が高い。化学物質を規制するには、動物ではなく人の研究からの明確な証拠がなければならない、ということに拘ることは国民を危険にさらすことになり兼ねないのである

・実際、ビスフェノールAに関する132本の関連論文の内、11本が産業界がスポンサーとなったもの、121本が各国政府機関がスポンサーとなったものを見てみると、産業界からの11本はいずれも影響なしとするものであったのに対し、政府系の研究では111本が何らかの影響があるとし、なしとするものはわずか10本に過ぎなかった。

 このように、企業からの資金による研究は、政府資金の研究に比べて悪影響を報告することが少ないのも事実である。

・今日までのの環境ホルモン研究により、多くの製品の安全性について疑問が投げかけられるているのは事実であるが、それは同時に、未来に向けて希望を与えるものと考えることも出来る。

・これまで遺伝病としてあきらめていた病気について、化学物質への暴露を減らすことにより発現や発症を減らすことが出来るかも知れないという希望に繋がっているからである。

・また、そうした研究成果を受けて、より環境に配慮した製品づくりや工程変更へと企業が変化しているのも事実であり、消費者の環境意識も変わってきている。

・引き続き、世界の中で日本の研究が大きな役割を果たすことを期待している。

 (以上は、環境ホルモン学会主催市民交流講演会資料と池田のメモより作成)

 日本では出版当時、世界的な環境ホルモンを巡る動きにいち早く対応し、98年には「Speed'98」(戦略的環境ホルモン対策計画)を打ち出し、多額の予算を配分したこともあり、この間、多くの測定データも蓄積され、国際的にも基礎研究の面で大きな貢献をしてきたことがマイヤーズ先生からも高い評価を得た。

 一方で、多くの研究成果がある中で、一部学者や産業界、さらには環境行政当局の中でさえも、環境ホルモンとしてリストアップされた物質はダイオキシン類やPCBなどのPOPsを除いて物質はほとんど人間には影響を及ぼさないものであるとして、「環境ホルモン問題」を否定あるいは軽視する言動も多く見られるようになったのも事実である。そうした中で、今回改めてOur Stolen Futureの”aftermath”を検証することは非常に意味のあることである。

 今回の衆議院選挙で経験したように、重要であっても声なき声、小さな声、少数の声はかき消されやすい現代社会にあって、科学者の地道な研究成果に基づく警告や警鐘はとかく一般市民や行政に届きにくいものである。重要な情報提供や重要な対策が後手に回ってアスベスト問題のように、後で取り返しのつかない問題に発展してしまうことを肝に銘じておかなければならないだろう。

 少子化や医療費の高騰という問題に直面する私たちは、改めて現代社会のかかえる化学物質による汚染に目を向け、将来に向け選ぶべき道を見極める必要があるのではないだろうか。

 また、研究者科学者、専門家が研究資金の提供先におもねることのないように体質改善を図ること、行政が一部専門家を御用化して重用したり政策立案に利用することがないよう市民も十分にアンテナを張るとともに監視を行っていく必要があるだろう。

 市民と一緒に環境監視を行ってきた私自身も本来のリスクコミュニケーションの在り方について、大いに刺激と示唆をうけることができた講演会だった。