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香田証生さんの死に思う
岡本 厚
岩波書店「世界」編集長

掲載日:2004.11.1


 10月30日夜(日本時間31日未明)、バグダッドで人質になっていた香田証生さんの遺体が発見された。香田さんを人質にとった「イラク聖戦アルカイダ組織」は、日本政府に対する「自衛隊の48時間以内の撤退」要求が聞き届けられなかった時点で、ただちに殺害に及んだと思われる。

 たいへん痛ましい事態である。

 報道を見る限り、香田さんは普通のバックパッカーであり、バグダッドに知り合いや頼る人などもおらず、イラク国内の情勢には極めて無頓着にイラク入りしたようだ。4月の5人のNGOやジャーナリストの人質事件とは、明らかに様相が異なる。

 どう考えたらいいか。

 事件を知って、私自身は4月のように救援に動くことができなかった。理由は二つある。(1)本人があまりに無謀で軽率であり、入国した目的もはっきりしない(2)拉致した組織がアルカイダ系の原理主義組織(ワッハーブ派)であり、4月の事件の際の、米国占領に反対している市民の武装組織とは違う。イラク国内の混乱に乗じて入国し、イラクをイスラム帝国再興の拠点にしようとしているグループである可能性が高い――

 (1)は、4月の事件の際にしばしば言われた「自己責任」につながる。しかし本人は、その行動の責任をすでに取ったのであり、あえて責めるつもりはない。荒れ狂う山に、準備も情報もなく、止める人がいたのに振り切って登っていき、ついに遭難したのと同じだ。私もそう思う。

 ただ、それだけでいいのだろうか?この事件は、本人の無謀さ、軽率さだけの問題なのだろうか?

 荒れ狂う山は自然現象である。イラクの情勢は、自然現象ではない。「荒れ狂わせた」のものがいる。

 まず第一に責めを負うべきは、ブッシュ政権のイラク侵攻である。この一片の大義なく、無謀で軽率で残虐な戦争行動こそが、イラクを「荒れ狂う」情勢にしたのである。月に2700件もの襲撃があるというのは、生易しい事態ではない。全イラク人が、米軍を憎悪し、その撤退を要求していると考えるべきだ。秩序を崩壊させたあげく、回復する戦後構想もなく、やる気も手段もない、ブッシュ政権の無能と愚劣が、侵攻前には一人もいなかった原理主義組織を跳梁させたのである。

 第二の責任者は、小泉政権である。小泉政権の表明しているイラクの情勢は「非戦闘地域」だというものである。非戦闘地域に派遣されている自衛隊がなおサマワにいるのだから、そう考えるのが自然である。非戦闘地域になぜ渡航禁止が告げられているのか?「荒れ狂って」いませんと、看板を出していたのは、小泉政権自身ではなかったか?

 多くの新聞が、社説で「撤退しないというのは正しかった」と論じている。撤退はテロリストに屈することになるからだ、というのがその理由だ。

 おかしいのではないか。自衛隊は、テロリストと戦うためにイラクにいるのではない。

 戦闘が終結し、イラクの人々が復興を心から願っている状況が前提であり、その復興を助けるために行っているのである。そういう法律の下で、派遣されているのである。

 たまたま迷い込んだ日本人が連れ去られ、脅迫され、首を切られて殺された。あるいは、宿営地にはロケット弾が着弾し、「出て行け」と警告されている。そういう事態の中での「復興支援」とは何なのか、そうまでして行う「復興支援」とは何なのかを問わなければならない。

 現在のイラクは、到底「復興支援」ができる状態ではない、非戦闘地域というのは全くの虚構であるから、できるだけ早急に、遅くとも12月14日の期限をもって撤退する、というのが「正しい復興支援」のあり方だ。それを私たち日本の市民は要求していかなければならない。

 イラクのレジスタンスは、原理主義組織の行動に対し「占領軍の撤退を求めるイラク民衆の正当な要求とも、民衆の自由と平等を求める願いとも、何の関係もない」と非難している(10月30日、イラク失業者労働組合)。チェチェンと同様、民族派と原理主義派の間に矛盾と葛藤が生じている。

 私自身も、原理主義の台頭には懸念をもつ。ブッシュ政権の単独行動主義、先制攻撃に反対であると同時に、原理主義勢力のテロや勢力の拡大にも反対である。自由、民主主義、平等、多文化共生を求める市民的な力を世界的に強くしていかなければならないと考える。またイラクにもアフガンにも、そういう人びとは多く存在する。

 しかし、小川和久氏のように、原理主義を抑えるために自衛隊を撤退させてはならない、という意見には同意できない。自衛隊にはそのような任務はないし、能力もないからだ。国民はそのような任務を聞かされたこともなく、説得を受けたこともない。ここは、法律に基づき、撤退するべきだ。

 誤った戦争から生まれた原理主義勢力の台頭という事態は、誤った戦争をさらに強行することによっては突破できない。むしろさらにその勢力を拡大するだけだろう。

香田さんの事件を、これで終わらせるのではなく、「自衛隊の撤退」要求につなげていかなければならない。