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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

蓮華王山・妙宣寺B

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
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 妙宣寺@   妙宣寺A   妙宣寺B 



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 下も妙宣寺の別の来歴である。

 興味深いのは五重塔の解説が日航の東照宮の五重塔を真似てとある。先に紹介した妙宣寺の来歴では、江戸上野の寛永寺の五重塔を真似てある。推察するに、おそらく相川の大工は、寛永寺と東照宮両方の五重塔を参考にしたのではないか、と思われる。

 そういえば東京都大田区池上にある日蓮宗の本門寺にも立派な五重塔があるが、おそらくこちらは妙宣寺以降に建立されているはずである。

◆妙宣寺の来歴 

 直江兼続が奉納したと伝えられる槍の穂先などがご覧いただけます

 日蓮大聖人の直弟子阿仏房日得の自宅を阿仏寺としたものが前身です。日蓮宗佐渡三本山の一つで、城址に移転新築後に蓮華王山妙宣寺と名乗りました。境内にある五重塔は新潟県内唯一のもので、国の重要文化財に指定されています。

 江戸時代に相川の宮大工茂三右ェ門親子が二代にわたり建立したといわれ、日光東照宮の五重塔を模したとされます。 また、日野資朝の墓所があります。

【直江兼続と妙宣寺】
 直江兼続は1589年の佐渡攻めで上杉軍の戦奉行を務め、佐渡支配に深く関わったとされます。

 佐渡平定後の1589年6月29日、兼続は妙宣寺にと寺領安堵状を出しています。同寺には直江兼続が奉納したと伝えられるやりの穂先があり、穂先は長さ80センチ幅3センチ、木箱には墨で「直江山城守兼続奉納鎗」と書かれています。

 京都の妙覚寺の日典聖人と親交のあった兼続が、主君上杉景勝に願って雑田本間氏の居城址を阿仏寺10世日帝に払い下げるなど、特別の保護を加えました。

【五重塔】
 五重塔は、江戸時代後期に建てられました。相川町の大工の棟梁が親子2代、30年がかりで完成させました。高さ24.11m、1辺3.6mで柱には杉が使われ、他には松やけやきが使われています。県内で唯一の五重塔で、大変貴重な建物です。

【日蓮聖人筆書状3巻】
 この書状は3巻からなっており、いずれも日蓮が佐渡に流されていた時に、身の回りの世話をしてくれた人に対する書状です。日蓮が身延山に帰った後、親切にしてくれたことへの感謝と法華経のありがたさを教えているものです。縦30cm、横40cmの紙を継ぎ足した長い紙に一気に書かれたもので、日蓮の激しい信念と気迫をうかがうことができます。

出典:新潟県公式観光情報サイト


 以下は妙宣寺の本堂である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

【日蓮聖人筆書状3巻】

 この書状は3巻からなっており、いずれも日蓮が佐渡に流されていた時に、身の回りの世話をしてくれた人に対する書状です。日蓮が身延山に帰った後、親切にしてくれたことへの感謝と法華経のありがたさを教えているものです。縦30cm、横40cmの紙を継ぎ足した長い紙に一気に書かれたもので、日蓮の激しい信念と気迫をうかがうことができます。

出典:にいがた観光ナビ


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下は屋根をふき替えたという妙宣寺の庫裏。

 何でも屋根をふき替えには5000万円かかったという。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 ここで池田が寺の女性にこの間の庫裏の茅葺屋根の吹き替えの苦労話を伺う。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 この後、すぐ近くにある佐渡国分寺に向かう。


つづく