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連載 佐藤清文コラム 第十七回

歴史と心の問題

佐藤清文
Seibun Satow

2006年8月16日



「われわれの最悪の敵は心の中に潜んでいる」。

プブリウス・シルス『格言集』

 2006815日、小泉純一郎内閣総理大臣は靖国神社に参拝しました。内外からの激しい批判に対し、今回、小泉首相は「いつ参拝しても批判される」と不満を口にしています。しかし、首相就任まで参拝したことのない彼の参拝する理由は「色々」と変遷してきたのです。

 それは1度決まった公共事業が目的を変えながらも、続けられていく姿に似ています。

 加えて、小泉首相が靖国神社を参拝した同じ日、加藤紘一衆議院議員の自宅兼事務所が放火されました。犯人は右翼の男と見られ、加藤議員による小泉首相の靖国参拝やアジア外交への批判に対するテロではないかと推測されています。

 もし事実だとすれば、アメリカの「テロとの戦い」への協力は場当たりにすぎず、国内のテロとの戦いにはあまり注意を払ってこなかったのかと言われても仕方がありません。

 参拝に関する小泉首相の論理を端的に表わすのが「心の問題」でしょう。靖国神社をめぐる問題にはさまざまな歴史が蓄積されていますし、また、内閣総理大臣は、肖像権が適用されないように、公的存在です。

 しかし、小泉首相は歴史や社会よりも「心の問題」が上にあると靖国の参拝を正当化したのです。実証的・哲学的な歴史認識よりも恣意的な思いつきや思いこみに立脚して何が悪いというわけです。

 こうした歴史や社会に対する「心の問題」=自意識の優位はロマン主義特有の論理です。小泉首相の靖国参拝に世論が必ずしも反対していないのは、ロマン主義の思考様式が一般に浸透し、それに疑問を抱いていないからです。

 これは世論の右傾化よりもはるかに深刻です。と言うのも、主張や信条、イデオロギーの妥当性ではなく、思考様式に共鳴しているからです。実際、小泉首相を支持してきたのは従来の保守層ではありませんでした。

 カナダの文学研究者のノースロップ・フライは、古今東西の膨大なテキストを研究した大著『批評の解剖』の中で、ロマン主義の散文形式を「ロマンス」と定義づけ、その特徴を挙げています。

 ロマンスでは、最初に、結論が提示されます。結論が目的となり、すべての要素はそれを根拠付けるために従属させられます。それに当てはまらないものは排除されますから、非常に自己完結性が強いのです。

 作品世界は多層的で、主人公はそれらをめぐり、最後に元の世界に戻ってきます。作品はその世界がなぜこうなったのかという必然性を説明し、それにより、作者の願望、すなわち作者の自意識が反映されるのです。世界の中心はそこにあるのです。

 小説が事件や出来事が起きてからのことを扱うとすれば、ロマンスはそれに至るまでを描くのです。読後感はややこしさや複雑さがない分、スカッとしたカタルシスを味わえても、現実の持つ不可解さや曖昧さが残ることはありません。

 その意義は現実批判にあります。従来、価値があると見なされていたものを貶めるアイロニーを用いて、現実世界を革命的に転倒するのです。

 登場人物は現実の人間もしくは等身大の人間と言うよりも、時として超人的な能力を秘め、革命的事業を成し遂げるペルソナです、ただし、作者の願望に忠実ですから、心のひだがなく、薄っぺらで、人間的な魅力に乏しいのです。

 1980年代後半から現在に至るまで最も読まれてきた小説家は村上春樹です。彼の小説はまさにこうした論理に基づいています。

 作品の構造はともかくとして、村上春樹の思いつきや思い込みだけで書いていることが多く、もう少し調べてこいと編集者が書き直しを要求しないのが不思議なくらいです。

 俳優が役を貰ったら、その役作りの研究や調査をするものです。作家にも同じ姿勢が必要なはずですが、村上春樹はどうやらそういった下準備をしていないのです。挙げればきりがありませんから、小説ではありませんけれども、最も卑劣なケースを言及しましょう。

 村上春樹は、1997年、地下鉄サリン事件に遭遇した被害者と遺族、医師、精神科医、弁護士などからのインタビューを集め、「村上春樹が真相に迫るノンフィクション」として『アンダーグラウンド』を刊行しています。

 彼は、「はじめに」の中で、ある女性誌の投書欄に寄せられた「地下鉄サリン事件のために職を失った夫を持つ、一人の女性によって書かれた」手紙が『アンダーグラウンド』執筆に至る動機と記しています。ところが、この投書が、奇特な人物が国会図書館に通いつめて調査した結果、実在しないことが明らかになっているのです。

 彼は地下鉄サリン事件について書こうと思いつき、きっとこういう投書があるはずだと思いこんだのです。村上春樹は、死者まで出た世界的事件をめぐって、でっちあげた執筆動機に則り、この本を書きあげたのです。しかも、小泉首相の国会答弁よろしく、それを編集者も読者もジャーナリストも不問に付しています。

 1990年以降、文芸誌から批評が徐々に減っていきました。その代わりに、思いつきや思い込みの印象を綴っただけの感想が恥ずかしげもなく載るようになります。批評は歴史に対する自意識の優位を揺るがしますから、批評の追放により自意識の文学は大手を振れる状況が生まれたのです。

 小泉政権が誕生し維持され続けたのはこうしたロマンス受容の世論と無縁ではありません。小泉政権が誕生した2001年に、自己嫌悪と自己憐憫に辟易とさせられる自己完結性の強い片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーとなったのは象徴的でしょう。これまでの小泉首相の言動はロマンスの見本です。

 もちろん、その反歴史的傾向にもかかわらず、ロマンスが読まれるのは歴史的・社会的背景があります。それは政治的停滞です。

 ロマン主義が最も受容されたのが19世紀のドイツです。19世紀初頭、フランス革命が全欧州に影響を与えていました。革命に触発されて、ドイツの若者の間で自由主義的な思想が流行し、精神的高揚が生まれています。

 けれども、当時のドイツは
40余の小国に分かれ、フリードリヒ・フォン・シラーが小説『招霊妖術師』で諷刺したように、時代遅れの宮廷政治に支配されていました。政治的停滞への苛立ちが精神的高揚につながったのです。老害と気紛れ、嫉妬、前例主義、迷信深さが政治に蔓延し、絶望的な停滞に陥っていました。才能ある者はそれだけで疎まれ、排除されたのです。

 冷や飯を食わされたシラーは、『素朴文学と感傷文学について』(1795-96)において、かつての「素朴」な時代と違い、現実と理想が乖離した近代を生きているのであり、現実を言葉によって理想化しなければならないとして、それを「感傷」と呼んでいます。感傷は自己憐憫を意味しているわけではないのです。理想は芸術の中にのみあることを自覚しなければなりません。

 死の前年に発表された『ヴィルヘルム・テル』も彼の感傷主義に基づいています。舞台は「素朴」の時代であり、主人公は伝説上の人物です。しかも、シラーはスイスに足を踏み入れたことさえありません。スイスの地図と風俗画を眺めて、想像して書いたのです。

 シラー自身は必ずしもロマン主義者ではありません。しかし、彼の後のロマン主義者は自意識の理想を現実の優位へと持ち上げたのです。それは、さらに、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』のような自分の民族の優越を唱えた狭量なナショナリズムを派生させていくのです。

 小泉首相が「心の問題」を振りかざして、歴史を無視する姿勢を世論が支持してきたのは、当時のドイツに勝るとも劣らない政治的停滞が原因でしょう。いわゆる「失われた10年」の間、政治的変化を世論は求めていたにもかかわらず、改革への願望は裏切られてきました。その過程で、歴史に対して自意識は肥大し続け、思いつきや思いこみで現実を短絡的に裁断する認識が支配的になってしまいました。この驕り高ぶった自意識が自意識の政治家である小泉首相を支えてきたのです。

 けれども、その小泉首相は、先の訪米やロシア・サミットで、ジョージ・W・ブッシュ大統領にさえ呆れられる浅はかな行動をとりました。あれが自意識至上主義の末路です。「人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである」(カール・マルクス『資本論』)。

 自民党の次期総裁選挙に向けた動きがありますが、自民党議員の中にややこしいことに眼を背ける傾向が見られます。でも、そろそろ自意識に対する歴史の復権を考えるべきでしょう。

 確かに、歴史は複雑で、さまざまな物事がややこしく絡まっています。しかし、そうしたややこしさとしたたかにつきあっていなければ、そもそも社会を変えたり、歴史をつくったりできないのです。

 人間は自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分で勝手に選んだ状況の下で歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、与えられた、過去から受け継いだ状況の下でつくるのである。あらゆる死んだ世代の伝統が、生きている人間の頭の上に悪魔のようにのしかかっている。

 そこで、人間は、自分自身と事物とを変革する仕事、これまでにまだなかったものをつくりだす仕事にたずさわっているように見えるちょうどそのときに、まさにそういう革命的危機の時期に、気づかわしげに過去の幽霊を呼びだして自分の用事をさせ、その名前や、戦いの合い言葉や、衣装を借りうけて、そういう由緒ある衣装をつけ、そういう借り物の台詞を使って、世界史の新しい場面を演じるのである。

(カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』)