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『太陽の季節』と石原慎太郎

佐藤清文
Seibun Satow

2007年2月16日


無断転載禁
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「悪いのはたぶん、石原慎太郎だ。湘南の海で、さんさんとふり注ぐ陽光を浴びながらヨットで金を使うのが若者だなどと押しつけたからいけない、いまでも、慎太郎の青春像が、抑圧になっているような気がする」。

森毅『石原慎太郎さん、こんな青春の責任とってよ』


 石原慎太郎東京都知事と言えば、今や、トルクメニスタンの故サパルムラト・アタイェヴィッチ・ニヤゾフ大統領ばりの権威主義的政治を行っていることで知られています。

 伝えられるスキャンダルは、東京という日本最大の都市圏に似つかわしくない垢抜けないものばかりで、「華のお江戸」はどこへ行ったのかと嘆いている人も少なくないに違いありません。

 なのに、三選を目指しているのです。その石原知事が現在の立場にあるのに、小説『太陽の季節』の商業的成功がきっかけとなったことは否定できないでしょう。

 この短編は、1955年、第一回文学界新人賞に選ばれた後、第34回芥川賞を受賞しました。他の候補作は、中野繁雄の「暗い驟雨」、佐村芳之の「残夢」、小島直記も「人間勘定」、藤枝静男の「痩我慢の説」、原誠の「春雷」です。

 雑誌掲載時には一般からの関心はさしてありませんでしたが、次代を担う若手作家に贈られる文学賞の選考が紛糾し、その模様などが新聞で報道されると、俄然、世間の好奇心を刺戟し始めました。新潮社から単行本が出版されるやいなや、またたく間に
25万部のベストセラーとなったのです。

 そのプロットは次の通りです。ボクシングに熱中する学生津川竜哉は、仲間と酒・バクチ・女・喧嘩に明け暮れています。ある夜、盛り場で英子と知り合い、彼女に惹かれます。相手に抵抗されて、打ちのめす快感の点で、ボクシングと英子は似ているのです。

 また、裕福な家庭に育ち、目標もなく、退屈さを紛らわすように生きているところは二人に共通しています。よく似た二人は東京や湘南で遊び続けるのです。けれども、次第に竜哉は英子を煩わしく感じ始め、彼女に関心を示した兄道久に
5千円で売り渡してしまいます。

 それを知った英子は怒り、道久に金を送りつけ、
3人の間で金のやり取りが繰り返されます。ところが、英子が竜哉の子を身籠ったことが判明します。しかし、彼は煮え切らない態度をとり続け、挙げ句の果てに、「別に生めとは言わないよ」と口走ります。彼女は妊娠中絶手術を受けますが、命を落としてしまいます。

 葬式で、竜哉は、これが英子の自分に対する一番残酷な復讐だったのではないかと感じ、遺影に香炉を投げつけ、初めて涙を見せるのです。

 大人たちには非難されたものの、思春期を戦後の混乱期の中ですごした「アプレ・ゲール」と呼ばれる若者に、圧倒的な人気で迎えられました。しかし、舞台は高度経済成長の前ですから、家庭の事情もあり、中卒者も多かった時代です。本質的な問題への掘り下げもなく、金持ちの道楽息子たちの刹那的な風俗を描いたこの小説は、同時代的に同世代の共有した問題を扱っているわけではないのです。

 友達からこの本を借り、「こんな世界もあるのか」と漏らすような少年も多かったことでしょう。受容されたのは作品自体と言うよりも、そこで言及される小道具の方です。ヨットや水着など高嶺の花でした。

 無軌道な行動や奔放な性衝動の描写が話題になりましたが、実際にこの作品に目を通すと、あまりの稚拙な文体に驚かされます。彼の直前に芥川賞を受賞した吉行淳之介や小島信夫、庄野潤三、遠藤周作とは比較になりません。当時の若者は、おそらく、長門祐之・南田洋子主演の映画で読んだ気になったというのは実情でしょう。

 一橋大学在学の作者は『太陽の季節』を次のような文体で綴っています。

 彼が始めて拳闘のグラブを嵌めたのは二年の一学期であった。
 ある日、午後からの休講続きに、彼は思い出した麻雀の賭での貸金を、拳闘クラブのマネージャーをしている友人の江田から取り立てがてら、ジムを覗きに行ったのだ。
 練習時間前のジムはがらんとしていた。

 これは、出来の悪い高校生による英語の長文読解の答案ではありません。引用箇所に限らず、全般的に、意味や用法を照らし合わせると、使用している単語が適切ではなかったり、テニヲハや句読点が不適当だったりと文学作品読解以前の作文の添削に属する問題点が多すぎるのです。

 先行世代を批判するために崩れた言語を用いるのは、無頼派がすでに試みています。この
23歳の作家の文体は、そうした作品群に見られる企てと異なり、明確な意図が伝わってこないのです。今時の若手作家の方が、綴り方の点では、はるかにましだと言わざるを得ません。

 ボクシングや船、タフガイと言えば、その前年にノーベル文学賞を受賞したアーネスト・ヘミングウェイを思い起こします。彼が属していたロスト・ジェネレーションは、第一次世界大戦を経験したため、理想や大義、既存の価値観に幻滅したアプレ・ゲールです。「アプレ・ゲール( apres-guerre)」は、本来、彼らのような第一次世界大戦の戦後世代指していました。

 ヘミングウェイは時系列に沿い、簡単な名詞と動詞を組み合わせた単文の文体を用いました。この簡素さにより、登場人物の内面描写や作者の意見叙述が省かれる反面、行動の記述が主体となり、場面も際立つという効果が生まれます。

 それは行動派の作家にふさわしい文体です。彼のタイトで直線的なスタイルは、ヴィクトリア朝風のいささか回りくどく、こみいった文体を駆逐し、ハード・ボイルドの手本となりました。

 ヘミングウェイと違い、『太陽の季節』には文体の冒険もありません。ただ、作者が思いつきを妄信し、思いこみの激しい未熟な若者ということがわかるだけです。リテラシー及びコミュニケーションの能力が作家として要求される段階に達していないと判断せざるを得ないでしょう。

 実は、この作家は、センテンスが長く、テニヲハがおかしいという点では、今でも変わっていません。

 東京都知事は、2006 124日発売の産経新聞にエッセイ『情報氾濫のもたらすもの』を次のような文体で記しています。 

 ある哲学者はそれを人間の本質的貧困化といったが、要するに、個人が行うべき情報の整理や分析評価を、それがあまりに過剰なためにその作業そのものをも他の情報に頼るという現象だ。

 その表象の最たるものは現代のメディアの報道の内容で、そのほとんどは報道の主体者たる記者自身の取材、判断、評価に依らず、あるあてがいぶちの情報に依るだけのことがほとんどだ。

 私は最近都のある行政に関して一方的な中傷に晒されたが、問題なのは確たる情報の精査や取材もせず、(私が直接取材を受けたのはただ一社のみ)ことの真意の曖昧なままに、ただセンセイショナルな報道を行ってしまうメディアの姿勢で、この件では2つの警告を行ったが、それで追いつく話ではない。現代メディアがいかに猖獗していようと、その実質はいかにも軽く薄く危ういものでしかない。

 センテンスの息を長くすることは、記憶を想起する過程もしくは弁証法的な正反合を体現させるといった何らかの意図がこめられているものです。ところが、この文体はたんに長いだけで、本質的に貧困なのです。依然として、出来の悪い高校生による長文読解の答案でしかありません。

 やはりこうした作者の文学的資質・能力に関する疑問の声は、芥川賞の審査委員の間でもすでに上がっています。受賞させたと言っても、選考委員も『太陽の季節』に対して必ずしも文学的に評価していたわけではないのです。

 彼らはそれぞれ次のように選評しています。


石川達三 候補作品を五篇まで読んで、今回は当選なしという事になるかと思ったが、最後に「太陽の季節」を読み、推すならばこれだという気がした。(略)欠点は沢山ある。気負ったところ、稚さの剥き出しになったところなど、非難を受けなくてはなるまい。疑問の点も少くない。倫理性について「美的節度」について、問題は残っている。しかし如何にも新人らしい新人である。

井上靖 石原慎太郎氏の「太陽の季節」は問題になるものを沢山含みながら、やはりその達者さと新鮮さには眼を瞑ることはできないといった作品であった。私自身好みとしては好きではないが、こんどの候補作中ではこれが出色であることは間違いないし、これが受賞作となる意義もはっきりしている。(略)のびのびとした筆力も、作品にみなぎるエネルギーも小気味いいものである。

宇野浩二 『太陽の季節』は、これまであまり読んだことのない、新奇のような感じがしたので読み続けていく内に、私の気持ちは、次第に、索漠としてきた、味気なくなってきた、それは、この小説は、仮に新奇な作品としても、しいて意地悪く云えば、一種の下らぬ通俗小説である。私がもっとも気になるのは、案外に常識家ではないかと思われるこの作者が、読者を意識に入れて、わざとあけすけに、なるべく、新奇な、猟奇的な、淫靡なことを、書き立てているのではないかと思われることである。

川端康成 第一に私は石原氏のような思い切り若い才能を推賞することが大好きである。「太陽の季節」ほど随所に欠点を指摘しやすい作品はないかもしれない。極論すれば若気のでたらめとも言えるかもしれない。このほかにもいろいろなんでも出来るというような若さだ。なんでも勝手にすればいいが、なにかは出来る人にはちがいないだろう。

佐藤春夫 僕は「太陽の季節」の反倫理的なのは必ずしも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸としてもっとも低級なものとみている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興業者の域を出ず、決して文学者の物ではないと思ったし、又この作品から作者の美的節度の欠如をみてもっとも嫌悪を禁じ得なかった。これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。僕にとってなんの取り柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して(略)これに感心したとあっては恥ずかしいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わない。

滝井孝作 石原慎太郎氏の「太陽の季節」は、私はこんど読みながら、小説の構成組立に、たくみすぎ、ひねりすぎの所もあるが、若々しい情熱には、惹かれるものがあった。これはしかし読後、わるふざけというような、感じのわるいものがあったが、二月号の「文学界」の「奪われぬもの」というスポーツ小説は、少し筆は弱いけれど、まともに描いた小説で、これならまあよかろうと思った。

中村光夫 「太陽の季節」は未成品といえば一番ひどい未成品ですが、未完成がそのまま未知の生命力の激しさを感じさせる点で異彩を放っています。若さからくるポオズが多い、というより若さとポオズそのもののような小説で、虚飾と誇張にみちていますが、その肩肘はった大袈裟な身ぶりに意識しない真摯さがあふれていて、この背徳小説の作者は彼自身が意識しているより、ずっときれいな心の持主なのです。

丹羽文雄 石原慎太郎君の「太陽の季節」は、若さと新しさがあるというので、授賞となったが、この若さと新しさに安心して、手放しで持ちあげるわけにはいかなかった。才能は十分にあるが、同時に欠点もとり上げなければ、無責任な気がする。プラス・マイナスで、結局推す気にはなれなかった。私には何となくこの作者の手の内が判るような気がする。

舟橋聖一 「太陽の季節」は「文学界」に出たときに一度読み、更に又、こんど読み返して、やはり今回はこの一作しかないと思って、委員会に出席した。ほかの作品は、これにくらべると、見劣りがした。この作品が私をとらえたのは、達者だとか手法が映画的だとかいうことではなくて、一番純粋な「快楽」と、素直にまっ正面から取組んでいる点だった。


 以上のように、選評は相当厳しいものです。評価の定まっていない同時代の作家を読むことは難しいものですが、新人の原稿ならなおさらです。芥川賞は、将来性を重視する基準がありますので、作品の文学的評価と言うよりも、むしろ、そのおかげで選ばれたようなものです。

 このようにデビューした石原慎太郎ですが、文学史において、彼は孤立しています。当時の著名な文学者は、「無頼派」や「戦後派」、「第三の新人」など何らかの文学グループのカテゴリーに入っています。しかし、彼にはそれがありません。

 それと同時に、彼から後継者が生まれてもいません。水平方向にも垂直方向にも彼につながる作家がいないのです。『太陽の季節』は社会風俗に影響を与えましたが、文学上は芥川賞受賞作品の一つにすぎません。

 文芸批評には多種多様なアプローチがあるにしても、今日、社会現象化した作品という点以外で読むには値しません。彼は文学的評価ではなく、委員の期待を裏切り、世間からの知名度に支えられていきます。その意味で、佐藤春夫が指摘した通り、石原慎太郎は文学者ではなく、「興行者」にほかならないのです。

 「興行者」は何かあるかもしれないと期待させるものです。しかし、肝心の出し物がなければ、興行が成功したとは言えません。彼はいつまで経っても、それを用意しませんでした。興行をぶち上げるだけで、精一杯だったのかもしれません。

 翻ってみれば、政治家としての石原慎太郎もほとんど同じことが言えます。

 彼は、1968年、参議院議員に当選し、72年から衆議院議員に連続8回選ばれ、大臣もいくつか歴任しました。しかし、彼が国会で何を成し得たかと問われると、答えに窮してしまいます。しかも、領袖の死去に伴い、中川派を引き継いだものの、立ち行かなくさせてしまいます。

 また、都知事に就任しても、彼は「改革派」の一人とは見なされていません。また、個々の政策に賛同があったとしても、権威主義と身内優遇の垢抜けない彼の政治を継承する知事も登場しそうにありません。都の財政を画期的に改善させてもいません。

 それどころか、法外な金額の飲み食いと旅行に貴重な税金を使っている疑惑が持ち上がっているほどです。おまけに、登庁する回数も少なく、意欲の点でも、疑問を持たれています。

 「まばたき閣下」の話題と言えば、思いつきと思い込みに立脚した暴言、ならびに本質的な議論を欠く小道具頼りのイベント染みた構想がほとんどです。それは、「案外に常識家ではないかと思われるこの作者が、読者を意識に入れて、わざとあけすけに、なるべく、新奇な、猟奇的な、淫靡なことを、書き立てている」ようなものです。「通俗政治」にすぎません。

 腰をすえて政治について学び、実践しているという姿でもありません。政治家としての業績は、作家のそれと同じ程度しかありません。「興行者」が彼の本性なのです。「人々が当選させるという多数決に対して(略)これに感心したとあっては恥ずかしいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わない」。

 石原慎太郎に対する宇野浩二や佐藤春夫の評価は、結局、まさにその通りでした。「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しい」ものです。政治家も同様です。いい加減、作家にしろ、政治家にしろ、彼はもう将来性が期待できる年齢でもないでしょう。

〈了〉

参考文献

石原慎太郎、『太陽の季節』、新潮文庫、1957

FL・アレン、『オンリー・イエスタデイ 一九二〇年代・アメリカ』、藤久ミネ訳、研究社、1975

森毅、『変わらなきゃの話』、ワニ文庫、1996

今村楯夫編、『 アーネスト・ヘミングウェイの文学』、ミネルヴァ書房、2006

「石原慎太郎公式サイト宣戦布告」

http://www.sensenfukoku.net/

「近現代文学史年表」

http://uraaozora.jpn.org/index2.html