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福田辞任と首相の辞め方


佐藤清文

Seibun Satow

2008年9月2日


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「がんばれば、誰でも首相になれる」。

                            鈴木善幸

 2008年9月1日夜、福田康夫内閣総理大臣は辞任を発表しました。前任者同様の突然の辞任に対し、有権者は辞職よりも解散総選挙で民意を問えと言いたいところでしょう。補選を別にすれば、任期中に国政選挙がなかった極めて珍しい政権でした。

 1955年の保守合同により自民党が誕生して以来、福田首相を含め24人の内閣送致大臣が登場しました。実際の理由はともかく、表面上ですが、首相の退陣理由は次の6種類に分類できます。

1 選挙の敗北
・国政選挙
田中角栄、三木武夫、宇野宗佑、宮澤喜一、橋本龍太郎、森嘉朗
・総裁選挙
福田赳夫

2 重要な政治課題の実現
鳩山一郎、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、竹下登

3 総裁任期の満了
中曽根康弘、小泉純一郎

4 病気
石橋湛山、大平正芳、小渕恵三

5 政治力学
海部俊樹、羽田孜

6 不明
鈴木善幸、細川護煕、村山富市、安倍晋三、福田康夫

 1〜4は、有権者にとって、目に見えるわかりやすい理由です。首相が選挙で敗北したら、責任をとるのは当たり前でしょう。重要課題を実現したのを契機ないしそれと引き換えに職を辞するというのもその重みを考えれば、納得のいくところです。また、政党政治である以上、政党のトップではない政治家が首班指名を受けるのも、道理ではありません。さらに、深刻な病状では、ここという時に適切な政治判断を下せません。有権者も首相退陣を受け入れる。死を含めて、首相として有権者への説明を。有権者とのコミュニケーションが不十分。

 他方、5と6は有権者には見えにくい辞任理由です。

 5の政治力学は、首相本人としては総選挙にうって出る意欲を持ちながらも、与党内の政治力学によって辞職に追いこまれたケースです。辞任会見は奥歯に何かがはさまっているような感じで、有権者とすれば、辞任の決定が密室内で行われたという印象があります。

 6は、会見を聞いても、いったいなぜこの時期に辞任しなければならないのかがまったくわからず、有権者には唐突さだけが残り、後味が悪くなります。このタイプは首相になるための準備や資質が不足していた結果、政権運営に行き詰まりを感じ、個人的な判断として政権を放棄したように思われます。辞めることにとりつかれ、それ以外を考慮する余裕がなくなってしまったのでしょう。辞任という強迫観念に突き動かされていると言っていいかもしれません。

 準備不足でも首相を務め上げたケースもあります。三木武夫は、自民党総裁に選ばれたとき、「青天の霹靂」と漏らしました。党内最左派の少数派閥の領袖である三木は社会的公正さを目指すという抽象的な政治目標だけを掲げ、国会対策の経験が乏しかったため、法案がなかなか通過しませんでした。しかし、三木は「バルカン政治家」の異名を持つ老練でしたたかな政治家でしたから、党内の「三木おろし」をかわし続け、世論の支持があったことはありますが、自ら政権を投げ出すことはありませんでした。首相になる用意はできていませんでしたが、三木は首相としての資質を持っていたのです。

 福田首相の辞任は、ある意味で、細川政権の崩壊と似ています。鈴木善幸と村山富市は、与党の事情によって、首班指名されたのに対し、他三名は世論の動向から選ばれ、発足当初の支持率も高かったのです。人気先行のファームのピッチャーを日本シリーズ第一戦に先発させたようなものです。また、安倍晋三が辞めなければならない時にその座に居座り続け、その挙げ句、最悪のタイミングで投げ出しましたが、細川同様、福田首相は世論からの辞任圧力は決して強くはありません。支持率は低迷していましたけれども、冒頭に述べた通り、世論は解散総選挙の決断を福田首相に要求していました。

 政治のリーダーは、さまざまな利害を持った人の集団とめまぐるしく変わる状況を前提とする以上、機敏ながらも、粘り強く対処していかなければなりませんが、福田首相はそれを欠いていました。いわゆる「ねじれ国会」の現状では、したたかなやりくり上手が求められているのに、国会答弁で泣き言を口にする有様でした。

 戦前にも政権を突然放り出した首相はいました。田中義一は軍に対する手ぬるい態度を昭和天皇に叱責されたのがショックで辞任していますし、平沼騏一郎は独ソ不可侵条約の締結に驚き、「欧州の天地は複雑怪奇」という迷言と共に辞職しています。田中は軍人、平沼は法曹人としての評価が高かったのですが、政治の指導者としては不向きでした。

 竹下登は、小渕恵三の後にはもう人材がいないと嘆いていたと伝えられています。自民党は下野しないことにエネルギーを集中させ、人材育成をおろそかにしていると映っていたようです。さらに、党と言うよりも、かつては派閥が人材を育成していましたが、それも機能しなくなりました。二代続いた政権放棄は自民党の人材育成のシステムが崩壊した現れでしょう。そもそも、森嘉朗がキングメーカーとして振舞っているくらいですから、育てられる政治家も不在です。

 ポスト福田として、落ち着きのない際物政治家の名前がいくつかメディア上で挙がっています。しかし、あまり有権者を小馬鹿にするものではありません。次期政権は、どう渋ったところで一年以内に選挙があるわけですから、選挙管理内閣に徹するべきでしょう。その意味で、今首相に求められるのは、入院した大平首相の臨時代理を務めた時の伊東正義のような政治家なのです。

〈了〉