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政党のアイデンティティ

佐藤清文

Seibun Satow

2009年9月6日


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「どんな鳥も自分の翼で飛び上がるほかない」。

ウィリアム・ブレイク『天国と地獄の結婚』


 第45回衆議院議員総選挙で、民主党が308議席を獲得した結果について、各種メディア上で意見・感想・分析が表わされている。もし前回の総選挙と7月の都議会議員選挙を経験していなかったら、その衝撃はもっと大きかったに違いない。しかも、ほぼ事前の世論調通りだったため、有権者にしてもすでに心の準備ができている。

 今回の選挙で最も驚かれたのは、安倍晋三元首相が楽に当選したことだろう。経験不足でひ弱、相次ぐ閣僚不祥事に年金問題そっちのけで空気の読めない政策の優先順位、参議院選挙はそれで大敗していわゆるねじれを招き、責任をとって辞任するかと思えば続投し、内閣改造直後に政権を放り出す。恥というものを知っているのであれば、自ら政界を引退して然るべきぶざまさである。

 事前のトレンド調査の結果からより戻しが働くのではないかと考えていたとしたら、それは現行の小選挙区制をわかっていないだけである。現在の一名の名前だけを書く制度では、ある政党が選挙テーマを明確に打ち出した場合、小選挙区制度ではそこが一方的に勝つ。そのテーマが怒りもしくは驚きを喚起させられるほど結果は劇的となる。これらの感情は具体的な対象と結びついて生じるため、有権者には構図が見えやすくなるからである。

 そのテーマを有権者が受け入れれば、棄権や白票は減り、選択肢はAと非Aの二者択一になる。Aが勝ちすぎると困るから非Aに投票するとしたら、それはこのテーマを有権者が認めていないことになるので、ありえない。「政権交代」が総選挙のテーマになった瞬間、流れは決まり、結果はおのずと見えてくる。もちろん、小選挙区制でも、ランキング投票になれば、この限りではない。

 実は、小選挙区比例代表並立制で行われた最初の選挙である1996年の第41回総選挙も、得票データを見る限り、自民党が比較第一党の地位から陥落した可能性が認められる。このときは自民党と新進党と民主党の三つ巴で、小選挙区で3分の1強の得票比率をとれば当選する状況になっている。新進党と民主党が票を分け合い、両者とも得票比3分の1弱にとどまり、自民党が漁夫の利を得ている。民主党と新進党の間で候補者調整を行っていれば、自民党は第一党から陥落した可能性は高い。しかも、このときの投票率は60%を切るほど低く、明確な選挙テーマを打ち出せた政党がいない。

 小泉純一郎元首相は「自民党をぶっ壊す」と叫んで登場したが、それは神話やおとぎ話でしばしば見かける死を通じた再生の物語であって、それには自己を確認するべきアイデンティティが要る。ピノキオは、人形としての死によって、人間へと生まれ変わる。しかし、自民党には再生のためのアイデンティティが見当たらない。

 自民党は、1955年、社会党の左右が統一したことに危機感を覚えた財界などの後押しもあって、自由党と民主党が合同して結成されている。社会党への対抗政党として誕生した自民党は東西冷戦と経済成長という戦後の二つの課題に適応して政権運営を続けていく。自民党の幅広さは社会党の比ではないし、よく党内がまとまっていないと揶揄される現在の民主党も及ばない。何しろ、石橋湛山や宇都宮徳馬、岸信介、中曽根康弘が同じ政党にいる。

 とは言うものの、日本が選挙によって社会主義化する可能性は思い過ごしである。社会党が総選挙で議席の過半数を上回る候補者を立てたのは一度きりで、しかもそれは統一したばかりのため、左右両派の間で調整がつかなかったからである。社会党は政権をとる気がなく、自民党に対して抵抗し、戦後民主主義と憲法の守護者として存在意義を示している。

 もっとも、元々対抗するために誕生した経緯もあって、自民党にとって社会党は必要不可欠である。国対に長けた竹下登は社会党の効用について次のように述べている。アメリカから安全保障その他で無理な要求がされたら、社会党が反対するからそれは難しいと言い、自民党議員の失言によって中国が激怒すれば、わが国には社会党がおりますからそういう心配はご無用ですと釈明できる、また、社会党の要求する政策を三年後に採用すれば、野党の言っていることをとりこんだことになるので、政権を維持できる。

 そもそも保守主義は受動的な政治思想である。その起源は、「自由・平等・友愛」という近代の理念を掲げたフランス革命に対する批判である。現実を根拠に、理念の持つ矛盾や葛藤、摩擦を糾弾する。保守主義は独立した思想ではなく、現状依存の思想であるため、柔軟性は認められるものの、それぞれに整合性がなく、体系性に乏しい。いわゆる左翼が近代の主流であり、保守主義はその対抗勢力である。フランス革命以前に建国されたアメリカ合衆国にしても、ベンジャミン・フランクリンやトマス・ジェファーソンなど建国の父たちは啓蒙主義者である。近代の理念を用意したのはこの啓蒙主義である。左翼が弱体化すれば、いずれ保守主義も衰退する。

 東西冷戦が終結し、バブル経済が崩壊すると、戦後日本を支えてきた二つの政治的課題が失われ、55年体制の意義もなくなる。そこで「改革」が政治課題に選ばれる。政権は具体的な改革すべき対象を見つけ、それにとり組む。93年以降、連立政権が常態化し、各政権はそれを目標に結集しているので、一段楽したら、首相を変えて、改革の対象を探し続けなければならなくなり、短期政権が相次ぐ。

 小泉政権が例外的に長く続いたのは、「自衛隊の行くところが非戦闘区域」のような彼の反証可能性の論法による。失政しても、彼は改革が不十分だからであり、それを阻んでいる抵抗勢力がいると主張する。自分はいつも間違っていないというわけだ。この論法は反証を許さず、決して負けない。これでは、政権が存続する限り、改革を続けられることになる。

 どの政党ももはや単独で政権を担当できないが、ポスト冷戦・安定成長期にふさわしいアイデンティティを各党とも見つけあぐむ。そのため、連立は各政党のアイデンティティを危機に陥らせる。自民党と連立を組んだ社会党は96年の総選挙で大敗を喫する。社会党が弱体化したとき、自民党も衰退していくのは当然の流れである。しかし、自民党はとにかく政権党でいるために、なりふり構わず振る舞い、アイデンティティの形成と人材の育成を怠っていく。竹下登は、小渕恵三内閣が誕生したとき、「自民党には小渕の後にもう人材が残っていない」と嘆いている。竹下にとって、自民党政権は事実上小渕内閣で終わっている。

 バラク・オバマ政権がアメリカで誕生してはっきりしたことであるが、今日の国際社会の理念を挙げるとすれば、「普遍・多様・平和」であろう。それに基づいて持続可能な社会を目指すというのがグローバルな目標である。政党のアイデンティティもこの国際環境を踏まえる必要がある。

 風頼みと見なされてきた民主党だが、アイデンティティは今回の選挙で「脱官僚主義」に明確化されている。これは従来の自民党が体現していたような政治と行政の関係を改め、現代にふさわしい関係を再構築し、持続可能な社会を実現しようということだろう。アイデンティティを獲得できた政党は組織として強い。かつての改革にも省庁再編や規制緩和など官僚主義の打破は謳われていたが。政治が行政とどのような関係にあればよいかという問いには至っていない。今回のような現代的な官僚の生かし方を考察していない。

 他方、自民党には、そうしたアイデンティティが見当たらない。自民党のアイデンティティとして「保守」を掲げようと提唱している議員もいる。しかし、それでは脱官僚主義には対抗勢力にはなりえない。保守は、すでに言及した通り、革新に対する受動的な概念である。革新がなければ、保守もない。持続可能性を政党としてどう考えていくかから始めるべきである。来年の参議院議員選挙では、前回の選挙の民主党と違い、これでは自民党が大勝することなどありえない。

 なお、安倍元首相の主張は保守ではない。ただの「反動」であり、通常、それをアイデンティティとした政党は「極右」と呼ばれる。「狂信から野蛮までは一歩しかない」(ドニ・ディドロ『長所と徳について』)。
〈了〉
参考文献
佐藤清文、『革新と保守』』
http://eritokyo.jp/independent/sato-col0024.html