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尖閣映像流出


佐藤清文

Seibun Satow

2010年11月15日掲載


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「殀寿貳わず、身を修めて以て之れを俟つは、命を立つる所以なり」。

『孟子』盡心章


ブルース・ウィルス主演の大ヒット映画『ダイ・ハード4.0』(2007)の敵役は暴走する内部告発者である。元国防総省の公共機関の保安担当チーフプログラマーのトーマス・ガブリエルがセキュリティ改善の提言を上層部が聞き入れなかったため、サイバー・テロを実行する。彼に同情や賛美を寄せる観客はほとんどいないだろう。

ところが、今、日本ではそれとは違った状況が起きている。いわゆる尖閣ビデオをユーチューブ上に独断で公開した海上保安庁の職員に同情や賛美が少なからず寄せられている。しかし、彼に対する積極的・消極的支持者は、おそらく、戦前の歴史を知らないに違いない。現場の突き上げに対する幹部の制御不能が軍部の台頭の素顔である。

戦前の軍部の暴走は上層部が率先したと言うよりも、下からの「弱腰」という激しい突き上げによって下克上が生まれ、統制が失われて起きたという点が認められる。軍の上層部にしても、下からの突き上げを利用して、他の政治アクターに圧力をかけ、自分たちに有利に交渉を進めている。下克上状況は、戦況が切迫していなければ、上にとって必ずしも悪くない。しかし、逆に悪化すれば、強硬論に引きずられる。かつて下克上を利用して権力を握った幹部たちも、下から同様の手口で突き上げられ、組織をコントロールできなくなる。詳しくは拙論<<『皇軍における責任』を参照していただきたい。

上層部の方針を無視して現場が未遂を含めて暴走した事件が非常に多い。

勃発年 通称 主な軍人首謀者
1928年 満州某重大事件(張作霖爆死事件) 河本大作陸軍大佐
1931年 満州事変 板垣征四郎陸軍大佐・石原莞爾陸軍中佐
1931年 三月事件 橋本欣五郎陸軍中佐
1931年 十月事件 橋本欣五郎陸軍中佐
1932年 五・一五事件 海軍青年将校
1935年 相沢事件 相沢三郎陸軍中佐
1936年 二・二六事件 陸軍皇道派青年将校
1945年 宮城事件 陸軍省参謀・近衛師団参謀青年将校
1945年 厚木事件 小園安名海軍大佐
1945年 川口放送所占拠事件 窪田兼三陸軍少佐

これは主だったものだけで、他にも「越境将軍事件」など命令違反の軍事行動も少なくない。第二次世界大戦の参戦国で、これだけ現場が暴走した軍隊も珍しい。

とりわけ宮城事件、天皇を含めて指導者層は、ポツダム宣言受諾を決定しているのに、1945年8月15日未明、近衛師団の青年将校たちが森赳師団長を殺害の上、命令書を偽造し、皇居を占拠、徹底抗戦を主張している。しかも、彼らは東京放送局(現NHK)も襲い、ラジオを通じて国民にそれを訴えようとしている。

その際、注意しなければならないのは、すべてではないけれども、マスメディアが現場の暴走に同情のみならず、賛美までしていた点である。現場の独善的は行動をメディアが激励し、下はそれに勢いづき、上は厳しい処分もせず、自らの責任もとらない。これが悪循環を招く。背景には、世論による政治腐敗と国際協調の政党政治への不信や不満がある。「最後の元老」西園寺公望は、軍国主義化していく世情に無力感を覚えつつ、政治は所詮国民の程度以上にはならないと愚痴っている。

当時の状況にあまりにも現在が似通っていることに戦慄さえ覚える。ネットやワイドショーは、流出者に何らかの支持を示し、こういう事態に陥ったのはそもそも政府が映像の公開をしなかったせいだと内閣を糾弾する。弱腰外交だから相手になめられてこんな失態を演じているというわけだ。この批判も当時とまったく同じ論調である。

知る権利からこの問題を捕らえようとしている論者もいるが、今回の流出は内部告発に当たらない。内部告発は、通常、関係者が組織内での違法行為、もしくは人命や財産等への著しい危険性の予見を訴えるために行われる。今回の映像はいずれにも当てはまらない。伝言ゲームよろしく、当事者ではない人物が編集済み、すなわち何らかの観点に基づいて取捨選択された二次資料を流出させたところで、建設的な議論につながらない。

そもそも、海難審判において一方の側から撮影された映像は絶対的証拠ではない。他の記録などと照らし合わせて初めて効力を発するのであって、それだけで全貌が明らかになるわけではない。印象は強いが。断片的な情報にすぎない。

また、内部告発にも、実際、手順がある。アメリカの技術者協会であるNSPEによると、マスメディアやネットへの内部情報の流出は最後の手段として厳しく諭されている。と言うのも、目的はあくまでも状況の改善であって、外部公開は影響が大きく、思いがけない事態を招く危険性があるからだ。現実の問題には利害関係が複雑に絡み合っている。思いつきや思いこみで突っ走るのは無謀以外の何ものでもない。まず、どうしたらよいか考え抜き、同僚や直属の上司に相談、そのやり取りを日記等に記しておく。それでもうまくいかなかった場合には別の手段を講じる。状況を改善するために、可能性のある選択肢を検討して判断・行動する。内部告発は、技術者の倫理として、こうした過程を経た上での最後の手段である。

流出させた職員には、直属の上司が事後に知ったのだから、このような検討の経過が見られない。利害関係をあまり考慮しないまま、主観的な判断で実行したとしか思われない。

こうした残慮による情報に対処するためには、さらなるメディア・リテラシーの教育が不可欠であることは言うまでもない。けれども、こういった情報には驚きと怒りを刺激する厄介な事情がある。この二つの感情は「情動」とも呼ばれ、具体的な対象と結びついて起きるため、持続性はないが、生理的変化も伴い、判断力を低下させる。怒りと驚きの情報は冷静な判断力を奪う。これらの情報が増えたところで、判断力を低下させる以上、建設的な議論につながらない。

必要なのは情報よりも、まず鍛えられた判断力である。

〈了〉

参照
札野順、『技術者倫理』、放送大学教育振興会、2004年
佐藤清文、『皇軍に於ける責任』、2010年
http://www.geocities.jp/hpcriticism/oc/responsibility.html