エントランスへはここをクリック   


民主主義と村方騒動


佐藤清文

Seibun Satow

2011年1月2日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「お前たちの間で入れ札をして見ちゃ、どうだい。札数の多い者から三人だけ連れて行こうじゃねえか。こりゃ一番怨みっこがなくって、いいだろうぜ」。

菊池寛『入れ札』

 2011年1月1日、NHKは正月時代劇として『隠密秘帖』を放映する。この舘ひろし主演のドラマは田沼時代を舞台にしている。内容は現代にも通じる人間模様といったところの娯楽作品である。正月にはふさわしい。ただ、4月に統一地方選挙が控えている年の元日に田沼時代(1767〜86)を扱うドラマが放映されたということは、印象的である。

 日本における民主主義の発展を考える際に、田沼時代から始まった出来事を忘れるわけにはいかない。それは「村方(むらかた)騒動」である。村役人ら富農層に貧農層が村政参加や不正役人の交代を要求した運動であり、打ちこわしの場合もあったが、「入札」、すなわち投票を採用した場合も少なからず見られる。一つの村内でとどまることが多かったけれども、内容によっては、複数の村にまたがることもある。村方騒動は「村方出入(でいり)」や「小前(こまえ)騒動」とも呼ばれる。江戸時代中期に、村の自治が選挙を通じて行われていたことを意味する。住民の無関心をいいことに、多選の首長とそれに馴れ合う議会という今日の地方政治が恥ずかしくなるほどである。

 江戸前期から中期、村政運営は名主や庄屋に独占され、村役人以外の小前百姓らは、彼らの恣意的な態度や不正に不満を募らせて年貢割当ての合議制など村政への参加や用水利用権などの公正さを求めて運動している。中期以降になると、幕藩体制が長期化し、人口も増加、商品作物の生産が浸透すると、小前百姓も経済力をつけていく。村内の力関係の変化は新旧勢力の対立を激化し、分村運動にも発展しかねない。村方騒動により小前百姓の代表である百姓代が村役人に加えられる。また、小作農層からの村役人のリコールの要求に対し、入札で新たな名主を選出する方法が関東以西では制度として定着する。

 幕府もこうした下からの自治の動きに寛容である。幕府は、村方騒動の結果を各地の代官や郡代たちを通じて掌握するのみならず、法令化し、全国に周知徹底させている。幕藩体制は分権的で、村方騒動は身分秩序を解体するわけではない以上、その結果をとり入れた方が得策だと判断している。

 江戸時代中期以降、村レベルでは民主主義に基づく自治が定着し、常識的だったのであって、むしろ、明治に入ってから、地方自治は後退している。戦前の右翼は地方分権を江戸幕府への回帰と厳しく糾弾している。戦前は、地方自治に関して、特殊な時代だと言わざるを得ない。戦前は歴史の中で相対化して認識される必要がある。維新以後、村内の民主的な自治の経験に裏打ちされ、各地で自由民権の動きや私擬憲法作成が試みられる。彼らにすれば、投票による政治参加は昔から実施してきた制度であって、決して新奇でも、観念的でもない。

 日本は、近代以前、地方自治における民主主義の伝統を持っている。それを思い返し、民主主義と地方自治を自らに引き寄せて考えることは決して悪くはない。

〈了〉

参照文献
柄谷行人、『日本精神分析』、講談社学術文庫、2007年
深谷克己、『日本の歴史6 江戸時代』、岩波書店、2000年