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核と村上春樹


佐藤清文

Seibun Satow

2011年6月14日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「村上春樹が懸命に試みているのは、固有名を消すことであり、それは、いいかえれば,この世界を任意的ものたらしめることである」。

柄谷行人『村上春樹の「風景」』


第1章 自己批判なき村上春樹演説

 彼はその問題に対するこれまでの自らの姿勢に触れることなく、演説を終える。「日本人」を連発し、自分の問題としてではなく、一般論に終始している。

 村上春樹は、核への批判を積極的に繰り返す大江健三郎に対抗するかのように、ほとんど言及していない。もちろん、大江健三郎にしても、反核運動に批判的な文芸春秋との良好な関係に矛盾を見出す本多勝一の指摘もある。けれども、村上春樹はろくに言わず、「非現実的な夢想家」でさえないのだから、そういう非難さえない。

 村上春樹の核に関する認識のなさは直近の『1Q84』からも明らかである。「日本人」の作家がもう一つの近過去を本格的に描くとすれば、1945年8月6日と9日の出来事の変更を前提とする。唯一の被爆国という固有の体験が1984年を拘束している。もしそれを怠るとするなら、その問題を軽視していることにほかならない。

 石ノ森章太郎は地球のパラレル・ワールドを舞台にした『番長惑星』というマンガを描いている。この世界では、原爆投下の結果、核抑止論が世界的に受け入れられ、日本を含む各国共に核武装している。その延長線上で、個々人が自衛のための武器所有が許可され、暴力が蔓延している。こういう世界認識が村上春樹には欠落している。

 『1Q84』は村上春樹に核問題なんか頭にないことを如実に示している。と同時に、これがベストセラーとなるというのは、日本の読者も村上春樹と似たり寄ったりだという情けない現状を意味している。

 福島第一原発の事故発生以来、それで知られた文学者や識者を別にすれば、反原発・脱原発を口にする際、従来の自分の態度を告白し、自己批判している。原発の積極的推進者から消極的容認派、傍観派、無関心派などさまざまであるが、誰かに強制されているわけではない。自分にもこの事態を招いた責任があると感じているからである。総括しない限り、発言する資格はない。

 昨日までの軍国主義者が自己批判もなく今日には民主主義者に変節したという話を終戦直後を生きた人たちから聞くことがある。自己批判のない村上春樹のスピーチはそれを思い起こさせる。

 内面のドラマとして語る滑稽な例もあるが、藤原帰一東京大学教授の自己批判は必読に値する。彼は、2011年5月17日付『朝日新聞夕刊』の「時事小言 原発と核兵器」において、原子力の軍事利用・平和利用を関連させながら、次のように総括している。少々長いが全文引用しよう。
 コンスピラシー・オブ・サイレンス、暗黙の陰謀という英語表現がある。目前の状況から目を背け、不正の横行や危険の拡大を見逃してしまう。原発事故を前にして感じたのは、それだった。原子力発電の危険性から目を背けてきたという、砂を噛むよう思いである。
 福島第一原発の事故が起こるまで、原子力発電の安全性を疑う声は少なかった。
 水力発電、火力発電と違って生態系への打撃や二酸化炭素の排出の乏しい、廉価でクリーンなエネルギーとして原子力発電を評価する声が高かった。
 事故発生によって、原子力発電への判断は逆転する。電力の大量消費を見直すべきだという主張があふれ、原発すべての操業を停止すべきだという主張も極論ではなくなる。 
 従来から原発の危険性を訴える声はあった。幾重に安全設計を施しても、大規模な地震や津波が安全設計のすべてを壊してしまえば壊滅的な災害となる。その可能性は、故高木仁三郎氏などによって指摘されていた。
 だが、その声に耳を傾けるものは多くなかった。少なくとも私は、不吉な予言から耳を閉ざし、原発の与える原子力を享受してきた。原発反対派が極端な議論をもてあそぶ「変な人たち」という立場に追いやられてゆくのを前に、私は何もしなかった。
 原子力発電を支持する主張にも一理はあった。原発以外の方法で十分な電力供給が実現できるのか。火力発電による大気汚染や水力発電のための環境破壊を受け入れることが出来るのか。電力消費を大幅に減らした暮らしなど成り立つのか。そんな声を前にすると、原子力発電もやむを得ないのかという気持ちになった。
 しかし、「原発推進」と「原発反対」の二者択一のなかで、原子力発電の危険性をどのように削減するかという具体的な政策課題がどこかに忘れられてしまう。なかでも大きいものが、老骨化した原発のゆくえだった。過去の安全性基準に沿って作られた発電所は危険だったが、廃炉には膨大な支出が必要となる。日本ばかりでなく多くの国で、老骨化した原発の操業延長が決定されていた。「原発反対」論に耳を傾けていれば、福島第一は操業を停止していたかもしれない。
 電力を享受し、原子力発電の危険から目を背ける。事件が起これば、政府や東京電力に騙されていたと怒り、自分の沈黙には目を向けない。この構図とよく似た議論がある。国際関係における核兵器の削減である。
 広島・長崎への原爆投下という悲惨な経験のために、日本では核兵器廃絶を支持する声が高かった。だが、同時に、日米同盟のもとで日本がアメリカの核抑止力に頼ってきたことも否定できない。抑止の実証は常に困難だが、かってのソ連、現在の北朝鮮や中国が、アメリカによる核攻撃の可能性を恐れずに日本への軍事行動を計画できないことは疑いがない。核廃絶を求める日本は核抑止の受益者でもあった。
 核抑止によって現在の国際的安定が支えられているという前提を受け入れたとしても、核削減と将来の廃絶を拒否する結論にはつながらない。核削減はユートピアではなく、それ自体が国際緊張を引き下げる多国間交渉だからだ。そこで必要となるのは核に頼る平和から核に頼らない平和への変化であり、具体的な軍縮交渉の実践である。
 だが、核抑止による安定を受けいれる人たちにとって、核軍縮とはアメリカの提供する核抑止力の低下であり、日本の国防の弱体化であった。逆に核廃絶運動の側では、核抑止という概念そのものが間違っているものとされ、軍縮交渉は核兵器の全面的廃絶と異なる提案として警戒された。平和運動が、軍縮の具体的な構想よりも広島・長崎の被爆体験を国外に伝えることに力を注いできたことは否定できない。
 こうして、核問題に関する議論は、核抑止による安定に寄りかかる政府と、軍縮交渉を切り離した、核廃絶を求める平和運動に分裂する。核抑止論と核廃絶論が原則論の段階で向かい合う構図からは、具体的な政策プロセスとしての軍縮を実現する手がかりは見えてこない。そして国民世論は、核戦争が起これば取り返しがつかないことがわかっていながら、核抑止のもとの安定を受入れ、核軍縮の構想から目を背けてきた。
 今では平和運動ばかりかキッシンジャー国務長官やペリー元国防長官のようなアメリカ政府の実務家も、核軍縮と廃絶を呼びかけている。核軍縮をユートピアではなく、具体的な政策として考えるべき時が来た。
 原発と核兵器をつなぐのは核の危険だけではない。災厄の可能性を説く声に耳を貸さなかった誤りを繰り返してはならない。
 藤原教授は戦後日本における核問題を自分のこととして受けとめている。これを読んだ後で、村上春樹の演説を聞くと、賞賛しているのが恥ずかしくなるだろう。このような真摯な態度が村上春樹には微塵もない。世界がこのコラムを見ないで、村上春樹のスピーチに触れたのが残念でならない。

第2章 将来ヴィジョンなき村上春樹演説

 1953年にドワイト・アイゼンハワー米大統領が「原子力の平和利用」を国連で演説する。唯一の被爆国だからこそ、その理想を実現できるとして日本学術会議は、54年、原子力の研究・開発に関する「公開・民主・自主」の三原則を打ち立てる。原子力を軍事から奪うだけでは不十分であり、それを平和利用に差し向ける。言ってみれば、ヒロシマ・ナガサキの犠牲者への「集合的責任の取り方」として「持てる叡智を結集」して原子力の平和利用を「国家レベルで追求すべき」だと学術会議は考えている。それには発電だけでなく、医療分野への応用も含まれる。ところが、政官財界は原子力の実用を急ぎ、これを無視する。経済学に、経済成長に関して「高速道路の定理」がある。ある遠い目標に向かうなら、高速道路を懸命に走り、近づいてきたときに、地図を見て確認すればいい。科学に基づく技術ではなく、原子力は経済成長のための技術としてのみ日本社会に浸透していく。今や原発関連産業は癒着と利権の最高形態にまで発達している。

 唯一の被爆国でありながら、東西冷戦下、日本は原爆を投下した当のアメリカの核の傘に入る。のみならず、中国の核実験成功に刺激され、密かに、核武装の検討もしている。しかも、政府は非核三原則を発表しながら、アメリカとの間で密約を交わし、それが守られてきたのかはなはだ疑問である。

 核の問題は、平和利用にしろ、軍事利用にしろ、日本では市民が自分のこととして考えられない状態に陥る。それについて知ろうとすれば、手間隙がかかる。そこまでコストをかけて、自分なりの意見を表明したとしても、大海の中の一滴にすぎず、社会を変えられそうにない。経済成長はうまくいっているし、戦争にも巻きこまれていないんだから、無知でいるほうが合理的だ。外界のことよりも自分や内面を大切にしていこう。

 村上春樹が受容されるのはこうした時代状況である。村上春樹の文学はアイロニーである。歴史的・社会的に意味のあるものや価値のあるものとされてきた対象に無関心を装い、そうではないものを選び、自分の意識の優位さを確保する。非常に見え透いた手口なのだが、現状維持の精神にとってこの世界は適合する。恣意性に満ち溢れた極端な主観主義が村上春樹である。しかし、この手法では自然災害を直接的に扱えない。地震や津波は人間の事情などお構いなしに発生する。梅雨だろう、真冬だろうと、早朝だろうと、深夜だろうと。起きるときは起きる。村上春樹のお望みの自意識の優位さを確保できないので、テロや原発事故といった人災と違い、阪神・淡路大震災や東日本大震災には言及を避ける。

 村上春樹がアイロニー作家であることは、実は、非常に社会の動向に敏感なことを指し示している。歴史や社会へのアイロニーなのだから、それに依存している。社会的に大きな影響を及ぼす災害が起これば、やはりとり上げる。ただ、作品に導入する際、自然災害はたんなる口実である。地震に触れていても、それでなくても実際にはかまわない。そうでないと、自意識の優位を確保できない。

 アイロニスト村上春樹は「非現実的な夢想家」として核に「ノー」と言うことを訴えている。この将来ヴィジョンを欠く問題設定は恐ろしく時代遅れである。藤原教授が指摘しているように、核なき世界を「非現実的夢想」と切り捨ててきた核抑止論の推進者が今後の国際社会においてそれこそ現実的だと説いている。目指すべき社会にとって原発は不要だから「ノー」と言う時代に突入している。ただ原発に反対するだけでは、いくらでも反論を呼び寄せてしまう。すでにこの素朴な意見表明の時代は過ぎ去っている。持続可能性社会という将来ヴィジョンの実現には原発という選択肢は現実的に斥けられる。こういった哲学が村上春樹にはない。原発に賛成か反対か自体が重要なのではない。いかなる社会を目指すために、それを選ぶのかが問われている。原発はあくまで手段であって、目的ではない。

 村上春樹よりも、むしろ、2011年6月10日放映の『報道ステーション』に出演した寺島実郎多摩大学学長の発言の方が傾聴に値する。村上春樹のスピーチを批判しつつ、学術会議の原点に立ち戻り、今回の事故も含めてこれまで蓄積してきた知識・経験を世界と共有し、依然として続く国際社会における原子力の平和利用に貢献するため、人材育成を進めるべきだと主張している。寺島学長は将来ヴィジョンに則った上で、この意見を述べている。こういう建設的な人物との議論は脱原発の理論も深まっていく。

 公正を期すために、村上春樹とは比較にならないほど無名であるが、3・11以前の佐藤清文という文芸批評家の原発に関する発言を見てみよう。2005年、日本の目指すべき将来像は石橋湛山が主張した「小日本主義」だとして、それを『ミニマ・ヤポニア』という作品にまとめている。
 佐藤清文は、その第3章第1節において、エネルギー政策を地産地消の分散型にすべきだと次のように述べている。
 日本の政治状況には高次化した産業構造と政策のミスマッチが至る所に見られます。部分的に電力は自由化されていますけれども、従来の政府の電力政策の中心は集中型の大規模発電施設による供給です。
 しかし、それは、アルミニウム製造のように、膨大な電力を必要とする2次産業向けであって、今日の3次産業が中心の社会には効率的ではありません。
 実際の消費地のはるか彼方から送電するよりも、分散型の小規模の発電機を用いて現地で使う分だけ発電する方が合理的です。マイクロ・ガス・タービンなどの大型に引けをとらない発電効率を示す高性能小型発電機の量産が可能になったおかげで、価格が下がり、ホテルや集合住宅で設置できるようになっています。
 ここ最近の温室効果ガスの排出量の増大は企業活動ではなく、一般家庭や商店によるものですから、その削減にも期待できます。また、小型であれば、投資の呼び込みも容易ですし、需要の変化に伴う計画の変更も迅速にできます。
 大都市の電力需要を賄うために、過疎の村に原子力発電所を建設するという受苦者と受益者の大きなズレをもたらす社会的ジレンマの一つを解消できるのです。
 しかし、佐藤清文も「非現実的な夢想家」とさえ呼ばれていない。無名すぎてほとんど注目されなかったからである。とは言っても、佐藤清文も今回の事態の責任を感じている。いくら無名だとしても、もう少し訴え方はなかったのかと後悔している。

 3・11は、今後どのような社会を目指していくべきなのかを市民一人一人に突きつけている。80年代から3・11までの時期に最も売れた作家の一人である村上春樹はこのことに気がついていない。東京の放射線レベルも通常より高くなっているのは周知の事実である。市民は各種のメディアを使って知識や情報を獲得し、自分なりに考え、他の人と議論して認識を深め、向かっていくべき社会像をイメージしている。もはや村上春樹の本を買っていた頃の無批判的で惰性的、自己充足的だった自分とは違うと人々は目覚めている。

 核なき世界や原発に依存しない社会が現実味を帯びているのに、今さら「非現実的な夢想家」と自らを呼ぶこと自体、確かに村上春樹は「非現実的な夢想家」である。村上春樹はなめた演説をしてくれたものだ。脱原発は認識上は脱村上春樹である。

〈了〉

参照文献
柄谷行人、『終焉をめぐって』、講談社学術文庫、1995年
林敏彦、『ハート&マインド経済学入門』、有斐閣アルマ、1996年
佐藤清文、『ミニマ・ヤポニア』、205年
http://eritokyo.jp/independent/satow-col1001.html
佐藤清文、『形式化と文学』、2009年
http://www21.atwiki.jp/o-rod/pages/66.html
佐藤清文、『反復と比喩』、2009年
http://www.geocities.jp/hpcriticism/oc/rm.html
佐藤清文、『核なき世界』、2010年
http://www.geocities.jp/hpcriticism/oc/wfnw.html