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農業とジェンダー

佐藤清文
Seibun Satow
2011年10月27日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「ギャルは流行に敏感。周りの女の子が楽しく農業をやっていれば、必ず参加の輪は広がる。意識の変化が農業従事者の増加にもつながる。ギャル文化で農業革命を起こしたい」。

藤田志穂『ギャル農業』


第1章 農家の「嫁」問題

 環太平洋戦略的経済連携協定、いわゆるTPPの交渉への参加をめぐって永田町・霞ヶ関で論争が続いています。反対派の意見の中に、こんなものに加わったら、農業は壊滅的打撃を受けるというものがあります。けれども、率直に言って、今、日本農業を最も苦しめているのは福島第一原発事故です。福島県を中心に、東北・関東の農林水産業が甚大な被害を受けています。自殺者も出ているほどです。この問題を収束させない限り、農業再生などありえません。

 TPPに入ろうが入るまいが日本農業がすでに衰退しているのは確かです。農林水産省は、1990年以降、農家を「経営耕地面積が10a以上の農業を営む世帯または農産物販売金額が年間15万円以上ある世帯」と定義しています。つまり趣味の域を超えない程度の兼業農家まで含まれることになります。そこまで苦しい定義をした上で、同省の公表する2011年8月1日現在のデータによると、農業就業人口は260万人、そのうち65歳以上比が61%、平均年齢は一般的なサラリーマンの定年を上回る65.8歳です。2005年時点では就業人口が335万人、平均年齢は63.2歳です。わずか6年でこれだけ衰退しているのです。ちなみに、就業人口のピークは、今よりも国民人口が少ない1960年で、1,454万人です。多くの業種と同様、農業も深刻な後継者不足に直面し、ほとんど衰弱死を迎えつつあります。保護を続けてきてもこのように減少傾向が止まりませんから、現状の政策を維持しても日本から農業が消える日は遠からずやってくるでしょう。TPP交渉への参加の是非以前の話なのです。

 もっとも、農家の後継者不足は世界的に広く見られる問題です。韓国では、結婚できないことを理由に自殺する農家の男性もいるほどです。

 日本農業は農家の集合体と指摘するのは、日本青年館結婚相談所の板本洋子所長です。彼女は、1970年代に、いわゆる農家の嫁不足を契機に結婚相談の仕事を始め、戦後日本の結婚事情の生き字引のような人物です。板本所長の著作や講演、インタビューはいずれも非常に興味深いものです。農家における結婚という視点から日本農業の問題点を鋭く解き明かしています。それについて以下で言及してみましょう。

 戦後、産業立国を目指す政府は、一次産業から二次・三次産業へと人材を移動させます。土地生産性と労働生産性を向上させるため、政府は農業の機械化・化学化を奨励します。手作業からの解放により、長男長女を除く、若年層は農村を後にします。しかも、彼らは都市で現金収入を得られ、一族全体が豊かさを享受できるというわけです。

 ところが、各農家には子どもが一人しか残っていないため、跡とり問題が表面化します。農村では、嫁とり合戦が激化します。親の命令で泣く泣く別れたり、好きでもない相手と一緒になったりする事態が繰り広げられます。親は御家大事と当人たちの意向などお構いなしです。親たちも虫がいいもので、自分の娘は農家にと継がせたくないけれど、息子には嫁が欲しいという有様です。たまりかねた若者たちの中には、最初は反対でも、孫かわいさに諦めるだろうと既成事実をつくるカップルも続出します。

 1966年、栃木県真岡市が過疎化に伴う仲人不足を受けて、結婚相談業務を始めます。意識の変化のみならず、仲人がいなくては見合い結婚は成立しません。相手を広く探すため、周辺の中小都市と連携してもいます。また、70年代に、大阪府枚方市が北海道の別海町と連携して、お見合い支援を行っています。

 80年に板本所長も参加して日本青年館の結婚相談所が業務を始めると、マスコミがそれをとり上げ、後継者不足に悩む地方の自治体から相談が舞いこんできます。81年からお見合いイベントが実施される。ゴールインしたカップルも誕生します。

 けれども、農家の「嫁」問題と呼ばれていたこと自体にその原因が内包されていることが次第に明らかになります。農家が彼女たちに期待していたのは第一に「腹」であり、次に「手足」です。「頭」や「心」などどうでもいいのです。跡継ぎさえ産んでくれればそれでいいし、できたら野良仕事を手伝ってくれればありがたいという態度で接しているのです。勤めた経験のある助成も少なくありません。彼女たちは、仕事をすれば、対価を要求します。ところが、当たり前の主張をしても、月1万円程度の小遣い銭を渡されるのが関の山です。おまけに、彼女たちのアイデアが採用されることはまずありません。経営状況を知ろうにも、情報を教えられないのです。一人の人間として見られないのですから、女性が農家を敬遠しても当然でしょう。

 日本の農業は農家の集合体にすぎません。各農家がおらがやり方を持っていて、お嫁さんにも有無を言わさず従属を強いるのです。それはほとんど暗黙知で、明示化されていませんから、他の農家との汎用性がありません。標準化の機運が乏しいので、農家の相互の連携が困難です。こうした現状では経営規模を大きくしたところで、中小農家の集合体から大農家の集合体へと変わるだけで、本質的な革新はありません。組織的農業が必要なのです。もっとも、日本は平地が少なく、大規模化がしにくいのが実情です。田畑の4割が中山間地域にあり、農家の4割も同地域に暮らしています。だからこそ、連携=ネットワーク化が必須なのです。

 政府の保護政策はこういった前時代的な体質を温存させるのです。世界の多くの国々で、程度の差はあるものの、農業の保護政策がとられています。しかし、それは必ずしも農家の保護政策ではありません。農業の保護政策と農家の保護政策は別なのに、日本政府はそれを同一視しているのです。

 これが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の80年代の農家の実態です。この頃よりアジア諸国から女性が農家の花嫁としてやってきましたが、これも体質改善の契機にはつながっていません。意識は信じがたいまでにアナクロで、しかも自分たちがずれているかさえ気づいていないのです。農家は「嫁」を欲しがっているのに対し、女性は「生き方」を求めているのです。農家の後継者不足はマッチングが問題だったのではありません。時代離れしたその意識が農家に女性を近づかせない原因です。

 ちなみに、当時、マスメディアや識者たちは、愚かにも、農家の嫁不足を女性の高望みのせいだと思いつきと思い込みで論じています。

 興味深いのは、過疎が極端に進みすぎている地域で、むしろ、結婚とその後の生活がスムーズに進むことです。板本所長は、『ウェディングベルを聴きたくて』によると、1989年12月に秋田県横手市大森町の武道地区を訪れています。ここは「嫁のきている農村地帯」です。この地域は陸の孤島なので、何をやるにも、共同体全体で取り組まざるをえません。酒を飲むにしても、若者だけでは少なすぎて盛り上がりに欠けますから、さまざまな年齢の人が加わって酒盛りになるというわけです。異世代とのコミュニケーションをすることで、その能力が向上していきます。こういう男性は話をしていても話題が豊富で飽きませんし、おまけに聞き上手です。女性が村にやってきても、柔軟なコミュニケーションに慣れていますから、彼女たちを中心にしてその意向を尊重できるのです。彼らに言わせれば、嫁不足の原因は親が作り出している問題です。妻は夫に惚れてこんな山奥にくるのだから、生き方は彼女が決めて然るべきです。夫は彼女たちからつねに信頼されるべく努力しなければなりません。

 さすがに80年代末から当事者である若者たちに自覚し始めています。88〜89年、秋田の農村の若者たちがイセキの協賛により新宿と渋谷などでトラクター・パレードを開催しています。ここに至るまで、板本所長は講演やシンポジウムを通じて、問いかけを行い、お見合いイベントを自治体ではなく、彼ら自身に主催させています。結婚するのは他の誰でもないのです。最大の阻害要因は因習であり、親です。妻はお手伝いではなく、共同経営者と認知する必要があります。農家側が自己統治することが先決なのです。


第2章 農業と女性

 板本所長の指摘は結婚問題に限定されているけれども、それが農業衰退の原因の一つであることは確かでしょう。農業保護と農家保護を混同し、産業育成の方向性を見誤り、改善しなければならない旧体質を温存させ、後継者が育たず、廃れているというわけです。長らく、数量増加や寒冷地対策などを除く技術革新のインセンティブもありませんでしたから、日本農業は惰性と化しています。その典型が減反政策です。非従事者も、農業を他人事としか考えられなくなっていくのです。

 90年代に入ると、開明的な農家が登場し、意欲的な活動が世間にも知られるようになります。彼らは品種改良と販路の拡大に努め、国際競争力のある農産品を生産しています。国外の富裕層は安全性と味に定評がある米やリンゴ、サクランボなどを高くても、買い求めているほどです。さらに、地域ぐるみで地元農産品のブランド化を試みたり、商品と同時にそれを生み出す景観もアピールしたりしています。

 しかし、技術革新は、何も、かつての『プロジェクトX』が取り上げそうな事例だけではありません。傑出した商品にだけ資源を投入するだけでは、農業の衰退はとまりません。自給率向上など夢のまた夢です。むしろ、現場で発見され、日々積み重ねられていく改良が大切なのです。日本農業には技術革新の余地が大いにあります。品種改良や販路の拡大だけでなく、組織形態の再編成は最重要課題です。一例として連携が挙げられます。それは、3・11以後に見られた被災地の一次産業への他地域の協力からも明らかでしょう。クラウドの強みを一次産業も受けとめるべきなのです。

 農業を農家の集合体ではなく、ネットワークとして捉え直す必要があります。それがいかに効果的に機能するかを政策に反映させるのです。政府も農業従事者も品質と安全性、信頼性に最大限の配慮をすべきです。農業にも倫理が求められているのです。

 農林水産省はバイオマス事業を進め、ある程度の成果を上げています。2008年、「びっくりドンキー」の北海道工場が北海道省エネルギー・新エネルギー促進大賞を受賞しましたが、そこにも近接する農場のバイオマス発電がかかわっています。農業と工業や消費地との連携は有望です。農業地域で再生可能エネルギーをさらに推進すべきです。セキュリティ上も意義がありますし、国内でお金が回るのですから、経済的にもメリットがあります。グリット・パリティからまだ高額だとしても、これに関する補助を農村にするとしても、都市住民は十分に納得するでしょう。世界の流れは、現政権がどう思おうと、脱原発です。日本農業もそれを見越していなければなりません。エネルギー価格は世界的動向に左右されます。機に動じて人々のコンセンサスを得る必要がありますが、反面、消費者を含めたステーク・ホルダーがつねに我事として考えられるのです。従事者も安穏としていられないというわけです。

 日本農業再生の鍵になるのは女性にほかなりません。藤田志穂の「ギャル農業」がよく知られているように、生産や経営にももっと女性の力が必要です。実際に農産品を購入するのは女性です。工業製品やサービスに関して、日本の女性消費者は世界で最もタフなことで知られています。資本力にものを言わせ、大量購入で安く商品を提供するビジネス・モデルの外資系スーパーがことごとく苦戦しています。安ければ売れると日本の女性消費者を甘く見ているからです。彼女たちはその商品のよい点と悪い点を的確に指摘し、改善策を提案できます。コミュニケーション能力が高いのです。農業産品の開発・生産についても彼女たちを参加させることは非常に有意義です。そうなると、農業を自分のこととして考えるでしょう。

 なるほど農業では素人です。技術には疎いに違いありません。大豆の草とりがどれだけ骨が折れるかも知らないのです。けれども、消費者としては最高の専門家です。もちろん、何事も現実は厳しいものです。こんなはずじゃなかったと思うこともあるでしょう。重要なのは相互作用し、お互いに成長していくことです。女性が日本の農業を変えるのです。

 日本の農業に必要なのは、ジェンダーの意識の浸透・定着です。垢抜けないオヤジ流の改革案では消費者から尻尾を向かれるだけです。オヤジ、もはいいんだで、この娘っこや母っちゃににまがせでみんべえ。

〈了〉

参照文献
板本洋子、『ウェディングベルが聴きたくて』、新日本出版社、1990年
板本洋子、『追って追われて結婚探し』、新日本出版社、2005年
藤田志穂、『ギャル農業』、中公新書ラクレ、2009年
農林水産省
http://www.maff.go.jp/