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民主主義コミットメント

佐藤清文
Seibun Satow
2012年01月30日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「影を追い求めて自分の獲物を放り出した犬は、影も肉も失う」。

『イソップ寓話』


 2011年を通じて世界各地で「カウンター・デモクラシー」とも呼べる現象が見られている。それは「ウォール街を占拠せよ!」のような街頭デモだけではない。「独裁」を標榜する候補者が大阪府知事に当選したのも含まれる。代議制への不信から既成政党への不満に至るまで幅広い。議会制民主主義コミットメントの低い動き全般がこのカウンター・デモクラシーと言える。日本に限定すると、1・17以降に政治参加への意識を高めた市民の組織化が課題なのに、それが進んでいないことがカウンター・デモクラシーとして噴出しているのが実情である。

 コミットメントはたんなる支持とは違う。民主主義を他の体制よりよいとしながらも、困難な状況では軍政や独裁もやむを得ないと考える人がいたとしよう。この回答は支持であっても、コミットメントの強度は弱い。コミットメントは民主主義存続への意志であって、苦境にあってもそれを支えるという意欲である。

 代議制民主主義は投票に基づくため、結果に不確実性が伴い、その存続には市民からの強く、広範で、安定したコミットメントが欠かせない。民主主義コミットメントを考える際に、示唆を与えてくれるのが中南米諸国の動向である。過去には個人独裁や軍事政権、内戦を経験した同地域では、現在、全般的に民主主義が維持されている。必ずしも良好な政策運営がなされているわけでもないが、1978年から今日に至るまで明らかな民主主義体制崩壊はペルーのアルベルト・フジモリによる自演クーデターが唯一である。

 中南米の市民が民主主義に関してどのような意識を持っているかを知るのに、「ラティノバロメトロ(Latinobarometro)」の利用が有効である。同組織は、1996年からほぼ毎年、中南米17ヵ国(2004年から18ヵ国)を対象に、大規模な社会調査を実施している。以下では、恒川恵市政策研究大学院大学教授による2001〜05年のデータ分析を参考に、中南米の市民の民主主義コミットメントについて論じることにしよう。

 「社会環境の認識能力」と「経済的・政治的実績の評価」は民主主義コミットメントの高さと相関性が認められる。教育を受け、新聞やテレビによく触れて、民主主義を政治的手続きと理解し、政治参加は一般人にも可能だと信じる人々は民主主義コミットメントが強い。また、経済問題が改善していると感じる人はコミットメントが高いけれども、公正な選挙や投票の有効性など民主主義の制度が機能していると思う人の方がそれを上回る。経済発展が民主主義を定着させる意見はこのデータ分析からは必ずしも肯定できない。高い教育水準や言論の自由、選挙の透明性などの方が民主主義の維持にはより重要である。

 「政治的態度」を見てみよう。合法的な政治参加に熱心な人は民主主義コミットメントが高い。また、自分の政治的信条やイデオロギー的傾向を自覚している人は、左派であろうと、右派であろうと、それが強い。自らの考えがいかなる政治的態度なのかをわかっていない人は民主主義コミットメントが低い。

 民主主義コミットメントの強度は「経済的・社会的位置」、すなわち所属階級・階層と相関性が認められない。いずれであっても、むしろ、教育程度と関連している。また、自国に誇りを持っている、あるいは他人を信頼している人は民主主義コミットメントが高い。

 日本と逆の結果も見られる。中南米では高齢者層より若年者層、女性より男性の方が民主主義コミットメントは強い。これには教育水準が影響していると推測できる。いずれも前者より後者の方が高い。なお、日本では、投票率は高齢者層や女性に高い傾向が続いている。

 さらに、民主化される前の権威主義体制の抑圧度・紛争度もコミットメントの強弱に影響を与えている。抑圧度・紛争度の高さと民主主義コミットメントはほぼ相関している。ウルグアイやコスタリカ、アルゼンチン、チリなど民主主義コミットメントの上位の国々は、民主化以前、激しい国内対立を経験している。

 ただし、いくつかの例外がある。エルサルバドルやコロンビアは抑圧度・紛争度が高かったにもかかわらず、コミットメントは低い。エルサルバドルのように、内部対立が激しすぎた場合、それが市民の間で一種の「トラウマ」となり、民主主義コミットメント上昇につながらないためと推察できる。エルサルバドルの紛争度は18ヵ国中最高位である。また、次に紛争度が高いコロンビアは、民主化後の二大政党が政権をたらい回しした姿に市民が幻滅したせいもあるだろう。

 ブラジルは、データ上は、抑圧度が高いが、民主主義コミットメントが低いと示されている。けれども、抑圧度がアルゼンチンよりも同国の方が高く計上されている。実態は明らかに逆なので、ブラジルに関するデータが不正確だと言わざるを得ない。

 逆の例外がベネズエラである。抑圧度が低いにもかかわらず、民主主義コミットメントは高い。おそらくウーゴ・チャベスのポピュリズム政権への人気がコミットメント度につながっていると推測できる。

 ここで「ポピュリズム」について確認しておこう。ポピュリズムは中南米特有の政治運動である。マルクス主義が階級闘争を唱えるのに対し、ポピュリズムは階級協調を訴える。しかし、各階級間では利害が対立する。そこで、統治者はそれを緩和するために、バラマキ政策を実施し、財政を悪化させてしまう。これがポピュリズムである。

 他方、近年、日本のマスメディア上で用いられているポピュリズムは明らかに前述とは違う。既成政党への不満が高まる中、仮想敵を攻撃することで支持を集め、それを背景に、新自由主義・保守主義の政策を実行する。失政はつねに敵のせいであって、自分には責任がない。その施策は支持層の利益に合致しない。しかし、二項対立がフラストレーションのはけ口となっているため、自分苦しめる人物や勢力を喜んで後押しる。その結果、社会に格差と疲弊が拡大する。これはポピュリストではなく、マーガレット・サッチャーの手法である。「サッチャリズム」の方が適切だろう。

 日本での用法に従うならば、アルベルト・フジモリが「ポピュリスト」に入ってしまう。しかし、ペルーの歴史では、農地改革を断行したフアン・ベラスコ・アルバラード将軍率いる軍事政権がポピュリズムだったのであり、フジモリはそう扱われない。

 以上から、民主主義コミットメントの起源において重要なのは、教育水準と過去の経験に要約できる。教育水準は他の変数に優先される。階級やイデオロギー、経済的状況などはそれに及ばない。政治リテラシーが民主主義コミットメントと非常に強い相関性を持っている。また、過去に経験した抑圧・紛争が高いほど、民主主義コミットメントも強くなる。お互いにいがみ合ったり、殺し合ったりした経験を経て、市民が民主主義のよさを学習し、積極的に参加しようとする。ただし、紛争が激しすぎると、市民の意識はコミットメント上昇に向かわない。

 カウンター・デモクラシーに目を転じてみよう。先進諸国の教育水準は中等レベル以上がほぼ達成されている。テレビや新聞、インターネットに接し、「今はもうイデオロギーの時代ではない」とうそぶけるだけの政治リテラシーも市民は持っている。コミットメント強度の要件の一つは満たしている。それで低下傾向があるとすれば、もう一つの要件が原因と考えられる。

 しばしば戦前から日本の知識人や学生、マスメディアが口にする「民主主義の欺瞞」は内部対立が激しくなかったおかげであることを認識する必要がある。戊辰戦争の官軍の指揮官だった板垣退助がその血みどろの内戦の経験から自由民権運動に至ったことの意味が何たるかを考えるべきである。カウンター・デモクラシーを突きつけている側も、されている側もある意味で幸せだ。彼らには中南米の市民や板垣が味わった抑圧も紛争も体験していないからである。

 民主主義は学習に基づいて進化する政治、’Politics Based Learning’、すなわち”PBL”である。それには政治リテラシーと過去の経験が含まれる。その学びによって支持はコミットメントへ高められる。

〈了〉

参照文献
恒川恵市、『比較政治─中南米』、放送大学教育振興会、2008年
Latinobarometro
http://www.latinobarometro.org/latino/latinobarometro.jsp