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衆知としての日本国憲法

佐藤清文
Seibun Satow
2012年05月06日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「光りかがやく 新憲法 ソレ
チョンホイナ ハ チョンホイナ
うれしじゃないか ないか
チョンホイナ」

サトウハチロー『憲法音頭』


 ワシントン大学教授デヴィッド・ロー(David S. Law)とヴァージニア大学准教授ミラ・ヴァースティーグ(Mila Versteeg)は、2012年、『ニューヨーク大学ロー・レビュー(New York University Law Review)』87号に「没落する合衆国憲法の影響(The Declining Influence of the United States Constitution)」と題する論文を発表する。これは、1946年から2006年までの期間に制定ないし改正された世界188か国の憲法を調べ、権利とその保障に関する項目を比較・分析した研究である。

 この比較法学の論文の主旨は、世界の民主主義における合衆国憲法の影響力の没落という現状の説明である。最古の現役の成文憲法であり、長期に亘って、近代民主主義憲法のモデルとされてきたが、1980年以降、世界の流れから取り残され、ガラパゴス化している。

 社会の変化に連れ、新しい権利とその保障が生まれて、それが明文化される。同論文では、年代別に、どの権利が憲法上に位置づけられているかが世界全体の比率として記されている。例えば、「信教の自由」は1946年では世界の憲法の81%が明文化し、1976年には88%、2006年に97%へと拡大している。権利にも国際的な長期的トレンドが見られる。

 合衆国憲法には、女性の権利や移動の自由、教育を受ける権利、労働組合結成の権利など今では世界の7割以上の憲法に記された権利保障がない。他方、世界の2%の憲法にしか見られない武装する権利が現存している。合衆国憲法はこのようにガラパゴス化している。

 合衆国連邦最高裁判事ルース・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)は、2012年1月、エジプトを訪問し、地元TVのアル・ハヤト(Al Hayat)とのインタビューにこう答えている。「もし私が2012年に新たな憲法を起草するなら、合衆国憲法を参考にしない(I would not look to the US Constitution if I were drafting a constitution in the year 2012)」。同判事は、合衆国よりも、1982年に権利章典を定めたカナダの憲法を勧めている。今から制定するのであれば、世界的潮流に則り、現代的な権利と保障を組み入れた憲法を参考にする方がよいというわけだ。

 なお、これはあくまでも権利と保障が憲法上に位置付けられているかどうかであって、実際の運用の有無ではない。

 この論文の主旨とは別に、日本国憲法の国際比較の結果が極めて興味深い。日本国憲法は、現在世界で主流とされている権利のランキング19位までをすべて満たしている。これは先に言及したカナダをも上回る。改憲論の中に時代遅れになったという意見があるが、これはまったくの思いこみにすぎない。以下に20位までを挙げておこう。

1信教の自由 2報道・表現の自由 3平等の保証 4私的財産権
5プライバシー権 6不当逮捕・拘束の禁止 7集会の権利 8団結権
9女性の権利 10移動の自由 11裁判を受ける権利 12拷問の禁止
13投票権 14労働権 15教育を受ける権利 16違憲立法審査権
17遡及処罰の禁止 18身体的権利  19生活権 20推定無罪

 満たせなかったランキング20位が推定無罪というのは、最近のニュースを思い出すと、できすぎた話だ。

 なお、よく論議の対象となる九条は、比較法学の観点からは、特徴的ではない。この条文は、実は、第一次世界大戦後のパリ不戦条約に由来する。条約不参加だったスペインが1931年に共和国憲法の中に侵略戦争の放棄を書き記す。これが戦争放棄が憲法上に位置づけられた史上初のケースである。その後、フィリピンが戦争放棄を憲法に採用し、戦後、日本国憲法にも記される。これに類する条文は、今日、世界各国の憲法に見られ、珍しくはない。ただ、条文をどのように解釈・実践していくかは国によって異なっている。世界的に定着が拡大傾向にある概念にもかかわらず、日本国内で改定論議がしばしば起きるのも、また思いこみであるとしか言いようがない。

 これだけ現代的な日本国憲法であるが、他に類を見ない特徴を持っている。それは、改正されたことのない現役憲法の中で、最高齢だという点である。つまり、65年前に書かれた憲法が現代を予期していたことになる。

 憲法改正は、世界各国で、しばしば政争の具と化している。論議の段階ではお得意の政争の具にしてしまっているが、実際の改定に進まなかったことは日本政治にとって汚点を増やさずにすんだと喜ぶべきだろう。3・11でさえ政局に走ったことを思い出すがよい。

 オールデストでなおかつトレンディーという結果は驚くにあたらない。なぜなら、日本国憲法は衆知の産物だからである。

 「押しつけ」憲法といまだに信じている人はもうおるまい。研究者の間で、日本国憲法は日米合作が主流の学説である。まだまだ研究途上であるから、新しい発見があるとしても、この前提が覆ることはまずないと思われる。

 その制作過程にこそ、現行の日本国憲法の比類のない新しさがある。それは国際条約の制作過程と類似している。日本国憲法は、制作過程において、異質で多様な人たちの議論や葛藤、妥協がある。通常、憲法は国内法であるから、国内の人たちだけで論じられる。けれども、日本国憲法は外国人も参加している。GHQ、その女性職員、ワシントン、連合国11か国の代表が参加した極東委員会、昭和天皇、政治家、官僚、民間人などが討論し合い、形成されている。日本国憲法は集合知の産物である。

 国内には、日本国憲法につながる系譜が綿々と続いている。明治時代、自由民権運動の活動家が中心となって国内各地で私擬憲法が起草されている。非常に革新的なものが多かったが、明治憲法に反映されることはない。また、大正デモクラシーの成果も忘れてはならない。その代表者の一人である石橋湛山は植民地放棄や非武装、地方分権など数々のリベラルな提言をしている。さらに、終戦後すぐに、新たな憲法への提案が政党や民間から沸き起こっている。こうした意見や草案はGHQも英訳して参照している。現行憲法に代わる「自主」憲法制定という主張は、この長きに亘って蓄積してきた誇らしい市井の知恵を無視した言い草だ。

 日本国憲法の権利と保障に関する先進性は集合知によってもたらされている。女性の権利をめぐっては、GHQの女性職員が奮闘している。また、義務教育の9年制は地方の教育関係者からの要望である。多種多様な見方が加わっているから、先進さが維持されている。

 日本国憲法は国内外の衆知の結晶である。ウェブ2.0を先取りしている。まさに制作過程の先進さがいつまでも新しい所以である。他方、これまで提案された改正案にこの集合知の認識を加味したものはない。

 にもかかわらず、作家の東浩紀は、3・11から必要とされる新たなヴィジョンを示し、従来の護憲=改憲論争にとらわれることのない憲法試案を用意している。起草者には、法学者や経済産業省の官僚が含まれているという。東はかねてよりウェブ2.0の政治への応用を主張している。しかし、彼の私擬憲法の制作過程にはウェブ2.0の姿勢が見られない。それ以前のクライアント=サーバー・モデルそのものである。日本国憲法は、すでに述べたように、依然として先進的である。なおかつ、その体現する衆知は3・11において最も貢献した姿勢である。日本国憲法に新たな社会に向けたヴィジョンが具現化されている。東は、憲法もウェブ2.0も理解していないとしか言いようがない。東の企ては 映画『メガマインド』におけるタイタンの登場を思い起こさせる。

 国際比較をしないまま、思いこみに沿って思いつきで意見を述べたり、議論したりする。日本では、憲法に限らず、選挙制度や議員定数・歳費、地方自治など政治課題をめぐってしばしばこうした短絡さが見受けられる。比較は、それが何であり、何であり得るかを知る有効な方法である。意見を口にする前に、国際比較をして、自らの思いこみ・思い付きを相対化する必要がある。ちなみに、地方議員は、世界的に、名誉職が主流である。必要経費等を別にして、議員報酬は出ない。人口比に対する議員定数も日本より多い。

 日本国憲法は口語体で記されている。戦前の法令や公文書は、濁音・半濁音・句読点のない文語体で記されている。日本国憲法制定以降、法令に口語体が採用される。この口語革命は「国民の国語運動」の提案がきっかけである。同組織は、『建議』において、国民にわかりやすいように、口語体の採用や濁音・半濁音・句読点の使用、できるだけ難しい漢語を避けることなどを主張している。「今や新しい歴史の出発点にあたつて、国民に対する国家の期待をあきらかにし、国民の自覚と勇気とをふるひ起こさせる上から、この際、法令、公文書のすがたを一新することは、きはめて望ましい手だてであると信じます」。

 国民の国語運動のメンバーに作家の山本有三が含まれている。山本は、実際に、内閣法制局に依頼され、見本として前文を口語体で記した以下の試案を提出している。
 われら日本国民は真理と自由と平和とを愛する。われらは、われら及びわれらの子孫のためのみでなく、全世界の人類のために、これが研究と真実とに、こぞつて力をつくさんとするものであつて、かりそめにも少数の権力者によつて、ふたたび戦争にひきこまれることを欲しない。そこでわれらは、国会におけるわれらの正当なる代表者を通じて、主権が国民の意思にあることを宣言し、ここにこの憲法を制定する。(略)
 作家である以上、言葉から憲法を考える。この姿勢が東にはない。これを参考に、法制局の官僚が憲法草案を口語体に改めている。現行の条文を見る限り、基調の点で生かされたと言える。

 日本国憲法はこうした衆知の産物だからいつまで経っても新しい。参ある意味で加型民主主義を体現している。しかし、実際の日本社会がその参加型民主主義を実践してきたかと言えば、とても同意できないだろう。日本国憲法は今でも日本社会の向うべき先にいる。

〈了〉

参照文献
古関彰一、『新憲法の誕生』、中公文庫、1995年
佐藤清文、『日本国憲法とその新しさ』、2007年
http://www.geocities.jp/hpcriticism/oc/ncl.html
David S. Law & Mila Versteeg, ‘The Declining Influence of the United States Constitution’, “NYU Law Review”87, 2012
http://whatthegovernmentcantdoforyou.com/wp-content/
uploads/2012/02/ssrn-id1923556.pdf

Junji Tachino, ‘Japan's Constitution is still one of the world's most advanced’, “AJW by The Asahi Shinbun”, May, 03. 2012
http://ajw.asahi.com/article/behind_news/
social_affairs/AJ201205030054