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ネット選挙の解禁

佐藤清文
Seibun Satow
2013年4月21日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「狭量になるのは、狭量な人間に対した時だけにせよ」。

イポリット・テーヌ


 2013年4月19日、参議院本会議において改正公選法が全会一致で可決され、インターネット選挙が解禁される。ネットを活用した選挙活動はすでに韓国や米国などで積極的に行われており、遅いくらいだという感想もあるだろう。また、他国の経験も踏まえて、費用や成りすまし、誹謗中傷など諸課題も指摘され、拙速ではないかと言う意見もある。

 今の時期の解禁は慎重だった自民党の方針転換が大きい。次期参院選を見据え、そうした方が自分たちに有利だと判断して推進に転じている。その理由の一つにネット世論の右傾化だろう。

 ネットを通じた選挙活動が右派に有利に働くという予想は世界的にも珍しい。右傾化するネット世論とは奇妙な事態である。一般の世論が右傾化しても、世界的には、概して、ネット上のやりとりはリベラルであるものだ。インターネットの理念は「自立・分散・協調」である。グローバルなネットワークにあって、排他的な言動や行為はその理念に反している。それは悪用であり、インターネットという公共財を台無しにする。

 現代史にこういう教訓がある。ナチスは代議制民主主義を利用して政権を手に入れ、その後それを破壊する。戦後、西ドイツはこれを繰り返さないため、戦後民主主義的価値観を壊そうとする主張の組織・団体・個人には権利を停止できるとする。いわゆる闘う民主主義である。

 インターネットも同様だ。利用してその理念に背くことはネットの破壊行為であるので、絶対にしてはならない。

 インターネットにさほど詳しくなくても、情報の多くが断片的で、信頼性に乏しいと大抵は承知している。常識的には、それを相対化するために、活字や電波のメディアにも触れようとするものだ。もしネットしか信用しないと思っている人がいるとしたら、それはネットを知らないことを告げている。

 ネット・ユーザーはさまざまな情報に接しているはずである。周辺国と摩擦を抱えていたとしても、その強硬姿勢を根拠に政治家や政党の支持を決めるほど単純でもない。他国の政府の姿勢に憤りを表明しても、政治的課題はそれだけではないことくらいわかっている。また、相互依存と国際協調の現代において、安全保障に翻訳して政治的課題を把握するというのは、最新の技術を駆使する身としてはいささかアナクロだ。政治家は脅威を口実に、権利を縮小させる傾向があることを見抜かなければ、ネットでの活動もできまい。

 インターネットが何たるかを本質的に理解した上で利活用しているならば、右傾化などあり得ない。ネットは公共財であり、そのよりよい運用には協調が欠かせない。インターネットはすべてのユーザーに社会的責任を促す。アノニマスとなると、いささか過激であるが、ネットを通じた国際的連帯であることは確かだ。インターネットはマクロとミクロで同じように使えるネットワークであるから、日本語空間だけ別にしてガラパゴス化するわけにもいかない。ネットの共通言語を解そうとする必要がある。

 もちろん、ネット上には過激な思想を扇動するサイトも無数にある。孤立化したり、被害者意識を持ったりする人がそれに影響されてテロを企てるケースも海外では起きている。

 右傾化は個人が国家と直結する現象である。個人は社会の中で暮らしている。そのため、地域や職業、社会階層など具体的な関係にアイデンティティを見出す。ところが、社会の組織化が不十分だったり、流動化していたりするとそれを確かめられず、国家との結びつきにアイデンティティを求める。国家は他国との関係によって規定されるので、そのアイデンティティはしばしば排外的な攻撃性によって確認される。こういう傾向の人が集団を形成すると、タブー破りによってそれを確かめ合うので、極論が増幅される。実証性や検証性のある反論を示したところで、その受容はアイデンティティを危うくさせるため、斥けたり、反撃したりする。

 右傾化は孤立化による社会の不安定化の現われである。政治家がするべきことは自分の政治的信念を実現するのにこうしたルサンチマンを利用することではない、ネットをルサンチマンのたまり場にすることはその理念に反する破壊行為である。ネットが理念通りに利活用されることが意義ある政治が行われているかの判断基準にもなる。

〈了〉