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世俗主義とエルドアン

佐藤清文
Seibun Satow
2013年6月14日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「お前はイスタンブールに住みながら何をしている?歴史を見てこい!」

佐藤清文


 1960年、トルコ軍はクーデターを敢行する。50年から権力を握る民主党政権が独裁化を強めていることに危機感を覚えたからである。トルコ共和国は、アタチュルクをリーダーとして建国以来、共和人民党による一党独裁がつづいていたが、46年、民主党が結党、以後、多党制へと移行する。しかし、政権交代が民主的な政治をトルコに根づかせたわけではない。61年、二院制や比例代表制を織りこんだ新憲法が制定される。

 トルコ軍は、タイ軍と並んで、政治混乱が生じると、それを収集するために短期介入をする伝統で知られている。軍部をそうした行動に動機づけるのは、世俗主義の守護者を自認しているからである。トルコの国是である世俗主義を脅威から最終的に守るのは自分たちだと誇りにしている。

 トルコの世俗主義は憲法に記されていると説明されることがあるが、これだけでは不十分である。それは憲法を改正しても変更することができない国是だからだ。こういう不変の理念を改憲限界論と呼ばれ、ドイツの連邦制もこれに当たる。

 トルコ軍は80年にもクーデターを決行している。経済破綻に加えて、イスラーム主義と左翼勢力との対立が激化、治安が極度に悪化したことに危惧したからだ。

 60年代末からトルコでイスラーム復興運動が勃興し、70年、国民秩序党が創設される。世俗主義に反するとして解党が命じられ、翌年、その主要メンバーは国民救済党を結成する。彼らは連立政権に参加するまで議会勢力として伸長する。経済閣僚のポストも手にしている。しかし、建国の父アタチュルクを批判、世俗主義を否定する急進的動きを強め、左翼勢力はそれに異議を申し立てる。両者の対立は武力衝突へと発展、治安が非常に悪化する。

 軍事クーデターにより、国民救済党は公的活動が禁止される。82年、立法府の混乱解消する目的で、大統領や行政府の権限を強化する新憲法が制定される。

 95年、政治や社会の腐敗を批判し、イスラームに基づく弱者への支援を唱える福祉党が第一党となり、翌年、女性党首ネジメッティン・エルバカンを首班とする政権を樹立する。しかし、軍部の圧力により98年に非合法化される。主要メンバーは美徳党を結成したものの、01年に解党に追いこまれる、彼らは、直後、分裂して至福党と公正発展党を創設する。前者は美徳党党首レジャイ・クタンをリーダーに据える。一方、後者の党首が前イスタンブール市長レジェップ・タイイップ・エルドアンである。

 軍部や法曹界はイスラーム系政党を反世俗主義として苦々しく思い、事あるごとに干渉する。エルドアンなどは公民権停止処分を受けている。けれども、世俗主義のエリート層に対する反感が貧困層に強く、そうした背景にこの勢力は拡大していく。

 公正発展党はイスラーム主義を抑制して02年の選挙に臨み、第一党へ躍進する。エルドアンは処分中だったので、副党首のアブドゥラー・ギュルが首相に就任する。03年に被選挙権が回復すると、エルドアンは補選で国会議員に当選、首相に就いている。以降、現在に至るまでその職にある。経済成長を実現した評価の一方で、イスラーム化傾向や強権的姿勢が目立ち始め、彼に対する反発は国民の間に次第に広がっている。

 そうした流れの中で起きたのが13年5月末から始まった民衆デモである。今回のデモについて、従来の与党支持者も参加しており、反世俗主義傾向への反発ではないと指摘する専門家も少なくない。エルドアン首相の強権姿勢への批判が主因というわけだ。

 しかし、この見方は不十分である。と言うのも、エルドアンがなぜ強権化したのかという理由に踏みこんでいないからだ。彼は世俗主義批判としてイスラームを掲げながら、それに基づく明確な国家ヴィジョンを持っていない。それが強権化の原因である。

 アタチュルクの国家ヴィジョンははっきりしている。トルコは西洋的な近代国家を目指すべきで、それにはイスラームを宗教の枠に収め、世俗主義を国是とする必要がある。その理念に基づいて立憲主義・共和主義・人民主義・国家資本主義を柱とする国家を建設する。彼の国家像は政治・経済・社会に及び、包括的である。こうした世俗主義は現代トルコ人のアイデンティティの根幹をなす理念だ。

 エルドアンは世俗主義に代えてイスラームを唱えながら、どんな国家体制を構築しようとするのか不明瞭である。経済が好調だから、彼でいいじゃないかではすまない。世俗主義は宗教の相対化である。イスラームを宗教と見なし、それ以上の影響を認めない。その見直しにはイスラームの位置づけを規定する必要がある。

 イスラーム法は行政・司法・立法とどう関連するのか、あるいはウラマーは統治にどう位置づけられるのかまったく明確ではない。女性のスカーフ着用の緩和や酒類販売の制限などがいかなる国家ヴィジョンから必要とされるのか不明なままである。エルドアンは従来の体制批判以上の主張を持ち合わせていない。だから、その整合性のなさを正当化するために、力に依存せざるを得ない。

 通常、国際社会における対立を考える際に、宗教や民族といった素朴なステロタイプは斥けなければならない。パレスチナ問題はその典型である。しかし、摩擦を理念から見ることを忘れてはならない。思っている以上に理念と深く結びついている場合もある。今回のトルコの民衆デモがそうした一例である。
〈了〉
参照文献
三浦徹、『イスラーム世界の歴史的展開』、放送大学教育振興会、2011年