エントランスへはここをクリック   

日本変革のブループリント





第三章 グローバルな小日本主義
「ミニマ・ヤポニア」(1)


佐藤清文
Seibun Satow

掲載日:2007年1月元旦


無断転載禁
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。



全体目次



3章 グローバルな小日本主義
    「ミニマ・ヤポニア」

1節 小日本主義とは何か

 戦前、全体主義化・軍国主義化していく日本の潮流に対して、『東洋経済新報』のジャーナリスト石橋湛山はそれを「大日本主義の幻想」と厳しく批判し、「小日本主義」を唱え、植民地や軍備の放棄を訴えています。

 残念ながら、「大日本帝国」の政府も軍部も、メディアも、世論も彼の提言に耳を傾けることなく、戦争を続行・拡大し、破滅へと向かっていくのです。

 この人物こそ、戦後、政界に転身し、大蔵大臣や通産大臣といった重要閣僚を務めた後、1956年、内閣総理大臣に就任したあの石橋湛山です。湛山にとって、「大日本主義」は政治的・軍事的ヘゲモニーを偏重し、領土・資源など量的なハード・パワーが国力だという発想です。

 一方、彼の「小日本主義」は経済的・文化的ヘゲモニーがより重要であり、技術や人材といった質的なソフト・パワーをいかに活用できるかがが国の実力であるという思想です。

 また、湛山は、女性の社会進出を可能にすると電気洗濯機や電気炊飯器などの家電を積極的に支持し、自分の家庭にも取り入れています。ソフト・パワーは質が問われる以上、多様な視点による推敲が不可欠だからです。

 彼には、男性と同等の女性の社会参画は社会的前提にほかなりません。湛山にとって、「大」はハード=量=画一、「小」はソフト=質=多様を意味します。つまり、「小日本主義」はソフト・パワーとしての日本ということなのです。

 湛山の「小日本主義」は素朴なヒューマニズムでも、信仰告白でもありません。

 経済から国内外の情勢を見た提言なのです。グローバルな観点から日本ならびに世界経済を捉え、経済活動を産業連関に基づく波及効果から認識すると、保護主義的なブロック経済を志向し、資源を確保するために、膨大な軍事費を使い、領土を拡大するようなハード・パワーに依拠するよりも、自由貿易とソフト・パワーに立脚する方がはるかに有意義だと湛山は主張するのです。

 経済が国際問題化したのは第二次世界大戦後のことです。戦前、世界各国は金本位制のネットワークによって結ばれていましたから、経済が破綻しそうになったら、その国がそこから離脱すれば済みました。そのため、経済が国内問題として捉えられ、国際的な連携に乏しかったのです。

 しかし、それがファシズムを招いたという反省から、戦後、経済は国際社会において最重要課題となり、世界規模の連携が不可欠となっています。

 しかも、東西冷戦構造解体以後、グローバリゼーションの進展と共に、国家間の相互依存・相互浸透は経済のみならず、広範囲に及んでいます。

 イギリス学派のへドリー・ブルは、1977年、古典的名著『国際社会論─アナーキカル・ソサイエティ』を発表し、国際秩序の不安定さの理由として世界政府の不在を挙げる学説に対し、確かに、国際社会には国家のような中央政府が存在しない「アナーキカル・ソサイエティ」であるけれども、強まる相互依存性によって秩序が形成されると主張しています。

 さらに、フランスの行動的な思想家フェリックス・ガタリは、『カオスモーズ』
(1992年)の中で、現代を「カオスモーズ」の時代だと呼んでいます。

 「コスモス(秩序)」と「カオス(混沌)」が相互に「オスモーズ
(浸透)」し合っているのが現代社会だというわけです。

 ヨーロッパは
EUで統一していくと同時に、チェコとスロバキアが分離独立したり、ウェールズやスコットランドの自治権限が大幅に拡大したりしているように、小国化しています。

 国家間の相互依存性・相互浸透性が高まり、欧州内での戦争の危険性がないからです。「国益
(National Interest)」だけを考えていると、逆に、真の利益である「公共の福利(Public Well-being)」を損ねてしまいかねません。

 相互依存・相互浸透が進む今日の世界では、いかなる問題もドメスティックではいられません。先に言及した社会保障だけでなく、従来、ドメスティックと思われていた問題が、今日では、グローバルな影響を念頭に置かなければならなくなっています。政策は、地球規模での波及を前提にして、提言されなくてはなりません。

 その流れはハード・パワーの時代を終焉に向かわせえいます。グローバリゼーションの所以だけでなく、『創造都市への挑戦』で佐々木雅幸教授が1990年代の東京都産業連関表を分析した結果、劇場の文化事業、すなわちソフト・パワーと建設事業、すなわちハード・パワーの経済効果に驚くべき傾向があったと報告しています。

 それぞれの事業の東京都地域の単位を
1としますと、生産誘発効果の点では、ソフトが1.88単位なのに対し、ハードでは2.27単位なのですが、東京都内への誘発効果に限定すると、ソフトが1.51単位なのに、ハードは1.39単位となり、逆転してしまうのです。この理由は産業構造の高次化です。

 東京都はサービス業など三次産業が主流ですから、波及効果の点では、建設事業はそれほど経済を活性化しないのです。

 小日本主義的なソフト・パワーが東京都を活性化させるのです。これは東京都だけではないでしょう。

 1960年、三次産業従事者の割合は全産業の中で最大になり、80年代前半には、一次産業従事者は10%を切っています。ちなみに、イギリスは1830年代にこの比率に達しています。

 建設事業への新規投資よりも芸術文化への投資の方が雇用を拡大できる可能性が高いというわけです。都市の文化政策が、産業構造の変化に伴い、文化の創造・発信を促し、政治的・経済的言説の転換につながります。現実的に、日本はソフト・パワーをいかに活用していくかが政治的課題になっているのです。

 日本の政治状況には高次化した産業構造と政策のミスマッチが至る所に見られます。部分的に電力は自由化されていますけれども、従来の政府の電力政策の中心は集中型の大規模発電施設による供給です。

 しかし、それは、アルミニウム製造のように、膨大な電力を必要とする二次産業向けであって、今日の3次産業が中心の社会には効率的ではありません。

 実際の消費地のはるか彼方から送電するよりも、分散型の小規模の発電機を用いて現地で使う分だけ発電する方が合理的です。マイクロ・ガス・タービンなどの大型に引けをとらない発電効率を示す高性能小型発電機の量産が可能になったおかげで、価格が下がり、ホテルや集合住宅で設置できるようになっています。

 ここ最近の温室効果ガスの排出量の増大は企業活動ではなく、一般家庭や商店によるものですから、その削減にも期待できます。また、小型であれば、投資の呼び込みも容易ですし、需要の変化に伴う計画の変更も迅速にできます。

 大都市の電力需要を賄うために、過疎の村に原子力発電所を建設するという受苦者と受益者の大きなズレをもたらす社会的ジレンマの一つを解消できるのです。

 こうした乖離は政府の政策だけに限りません。労働組合が既得権益を守るだけの圧力団体と見なす政治家や世論もありますけれども、それもソフト・パワー型の社会にふさわしい姿に脱却できていないためです。

 日本は、世界的に、最も労働組合を結成しやすい国の一つですが、組合への加入率は年々低下し、その影響力も減少しています。それは労働組合が現実の産業構造並びに雇用条件に対応していないからです。

 組合運動は大企業や官公庁の労働者中心の企業別組合であり、全労働者から見れば、彼らは恵まれた少数派に属しています。これでは労働組合もその潜在的能力を発揮できないでしょう。

 今まさに石橋湛山の小日本主義の理念が現実化される時が到来していると言っていいでしょう。けれども、湛山の小日本主義はソフト・パワー志向であっても、「経済大国」や「文化大国」ではありません。

 政府の日本文化の輸出政策はこの「大国」意識に満ち満ちています。現代文化はオルタネイティヴだということを全く理解していないのです。政府はアジア共同体の設立に熱心ですが、
EUが示している通り、大国主義を持っていては、それは不可能です。こうした時代錯誤を批判し、石橋湛山の小日本主義を引き継ぎ、それを発展させていくことは極めて有意義です。

 「グローバルな小日本主義」、すなわち「ミニマ・ヤポニア(minima japonia)」をモットーに、政策のグローバル化を踏まえ、ソフト・パワーに基づく政策提言が必要です。

 しかし、政策は関連し合っていますから、示した個々の政策を別々に判定するのでは本質的議論につながりません。官僚や族議員のような特定分野における政策の拡充が公共利益の推進と同一視することは有害です。

 可能な限り、広い視野に立って、公共性という観点から理念のある政策哲学を提唱しなければならないのです。

つづく