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日本変革のブループリント





第一章 官僚主義を脱して(1)


佐藤清文
Seibun Satow

掲載日:2007年1月元旦


無断転載禁
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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


全体目次


第1章 官僚主義を脱して

第1節 日本の官僚制の歴史

1 「脱ダム」宣言の意味


 日本の官僚主義の歴史を考える際、「『脱ダム』宣言」がその輪郭を極めて明確に浮き彫りにしてくれます。

 2001年2月20日、田中康夫長野県知事は、「『脱ダム』宣言」を公式に発表します。

 次の内容が表明されるやいなや、県内外で、賛否両論を巻き起こしてしまいます。

 「数百億円を投じて建設されるコンクリートのダムは、看過(かんか)し得ぬ負荷を地球環境へと与えてしまう。更には何れ(いずれ)造り替えねばならず、その間に夥(おびただ)しい分量の堆砂(たいさ)を、此又(これまた)数十億円を用いて処理する事態も生じる。

 利水・治水等複数の効用を齎す(もたらす)とされる多目的ダム建設事業は、その主体が地元自治体であろうとも、半額を国が負担する。残り50%は県費。95%に関しては起債即ち借金が認められ、その償還時にも交付税措置で66%は国が面倒を見てくれる。

 詰(つ)まり、ダム建設費用全体の約80%が国庫負担。然(さ)れど、国からの手厚い金銭的補助が保証されているから、との安易な理由でダム建設を選択すべきではない。

 縦(よ)しんば、河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。

 長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない。

 就任以来、幾つかのダム計画の詳細を詳(つまび)らかに知る中で、斯(か)くなる考えを抱くに至った。これは田中県政の基本理念である。「長野モデル」として確立し、全国に発信したい。

 以上を前提に、下諏訪ダムに関しては、未だ着工段階になく、治水、利水共に、ダムに拠(よ)らなくても対応は可能であると考える。

 故に現行の下諏訪ダム計画を中止し、治水は堤防の嵩(かさ)上げや川底の浚渫(しゅんせつ)を組み合わせて対応する。

 利水の点は、県が岡谷市と協力し、河川や地下水に新たな水源が求められるかどうか、更には需給計画や水利権の見直しを含めてあらゆる可能性を調査したい。

 県として用地買収を行うとしていた地権者に対しては、最大限の配慮をする必要があり、県独自に予定通り買収し、保全する方向で進めたい。今後は県議会を始めとして、地元自治体、住民に可及的速やかに直接、今回の方針を伝える。治水の在り方に関する、全国的規模での広汎なる論議を望む。」


 ダムによって水の流れを堰き止めると、砂や泥が堆積してしまい、それを除去するために、莫大な費用で浚渫工事をしなければなりませんし、耐用年数にしたところで、22世紀を迎えられる程ではありません。

 環境破壊につながるのは必至です。逆に、森林による自然の保水力を強化させる方がはるかに賢明です。それは多様な生態系を持つ雑木林を復活させることでもあります。

 戦後、政府は急いで禿山の地肌を覆うために、杉や桧を画一的に植林しましたが、今では、春を迎えると、最も嫌われる樹木となっています。伐採の時期に来ているというのに、安い外材との競争力で劣るので、それもできずにいるのです。

 その上、森林整備には人手が要りますから、雇用も創出できます。また、巨大ダム建設が県の景気浮揚につながらないことははっきりしています。

 大規模土木工事を行っても、それを受注できるのは県外の大手ゼネコンであって、県の産業連関を見る限り、お金は外に流れてしまいます。

 しかも、その入札には、惰性により、談合で仕切られる噂が絶えません。小規模な治水工事であれば、県内の企業でも十分に対応でき、県の経済を活性化させられます。

 日本アルプスのある長野は、アルプス山脈を抱くスイスの面積・人口のほぼ三分の一です。長野はスイスとよく似た条件を持っているのです。

 スイスは意欲的に環境問題へ取り組み、街並みを自然と調和させています。他方、長野は地域環境を保全させようという計画を立てず、ダム建設に走ったのです。ダム建設を諦めた方が環境的・文化的・経済的にも県にとって有益なのです。

 この宣言は突飛なものではなく、世界的流れに沿っています。

 エジプトのアスワン・ハイ・ダムは、1970年、10億ドルを費やして完成したものの、古代エジプトの遺産であるアブシンベル神殿の移築に世界中から莫大な寄付金を集め、ユネスコなどの国際協力を必要としなければなりませんでしたし、耕地や漁場の喪失、海岸の浸食、塩の侵入という災害をもたらしています。

 巨大ダムは諸々の問題を解決してくれるどころか、逆に、厄介事を増やしているだけと専門家が研究成果を公表していきます。

 1995年、ダニエル・ビアード米国開拓局総裁は来日した際、「巨大ダム建設の時代は終わる」と発言しています。巨大なコンクリート製のダムは克服されるべきものになっているのです。

 日本国内でも、以前から、ダム事業に対する疑問の声は発せられています。ダムの多くは公共事業として計画され、決定されると地域住民の意見の反映は少なく、また、白紙に戻されることはまずありません。

 その上、予定地のほとんどが過疎地であり、省庁と族議員、建設業界を潤すのが目的にすぎず、自然破壊を残すだけとしばしば指摘されています。

 かつては自明として受け入れられていた人達の間からも、本当にダムは必要なのか、それはダムでなければならないのかという疑念が沸き起こり始めています。

 世界水アセスメント計画の中心的人物アンドラス・ショロジナジ(Andras Szollosi-Nagy)博士は、水文学の見地から、水を巡る政策は50年以上前の科学的知識に基づいていると批判しています。

 日本は国連の世界水アセスメント計画や世界水フォーラムといった水問題についての国際的な組織に積極的な支援をしていますが、それが実際の政策に必ずしも反映されていません。

 古代ギリシアのタレスは万物のアルケー、すなわち根源を「水」と言ったとアリストテレスは『形而上学』で記しています。アルケーは万物の生成・循環の元を意味し、タレスが西洋哲学自身のアルケーです。

 水は循環するために、タレスはそこにアルケーを見出したのです。水に関する政策は持続可能な発展のメカニズムを前提にし、水の循環システム全体の中で考案されなければなりません。

 ダム建設も同様なのです。水政策はもはやドメスティックではなく、フローバルな観点から立案されなければなりません。

 ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領は「水の問題を解決できる人はノーベル平和賞と科学賞の二つに値するだろう」と語っています。

 しかも、今日、ダム建設は文化を破壊してまで実行されるものではありません。1970年代、沈滞していた北海道経済の浮揚策として、苫小牧東部に建設する工業用水確保のため、二風谷ダムの建設調査が始まりました。

 むつ小川原と並ぶ70年代における開発主義の代表的な失敗例として後世にも知られている通り、工業地帯への進出企業が少なく、分譲予定地の7割が埋まらず、ダムの目的は発電や洪水対策に変わり、建設が続行されたのです。

 1997年、札幌地方裁判所は北海道の二風谷ダムの土地収用を違法と認めました。

 しかし、ダムは前年に完成しており、アイヌの文化的・宗教的コモンズは湖底に沈みました。先住民族アイヌの文化を破壊して作られるダムに、裁判所は公共性を認めなかったのです。

 先住民族には特別の権利を認めるのが世界的な流れです。先住民族の権利は、先住性のため、国民一般の権利に縛られない権利のことです。

 カナダのイヌイットが捕鯨を許可されているのはその一例です。日本では、従来、この権利に鈍感でしたが、意識も変わりつつあります。二風谷ダムを推進した者は文化と公共性の殺害者にほかなりません。

 この「脱ダム」宣言は住民の利益に適う総合的な治水を目的としていますが、新しい政治の意味を持っています。

 それは、第一に、蓄積されてきた官僚主義の歴史全体の転倒であり、第二に、新たな公共性の形成、第三に、ハード・パワーからソフト・パワーに基づく政策の転換です。

 「ハード・パワー」=「ソフト・パワー」は、ケネディ・スクールの所長ジョゼフ・ナイ教授の理論です。

 彼は、1970年代、リベラリズムに立脚するロバート・コヘイン教授と共に、国際関係論における相互依存論を重視し、1980年代のアメリカ衰退論に対して、グラムシの文化的ヘゲモニー論の影響を受け、軍事力や埋蔵資源等のハード・パワーではなく、文化的影響力のようなソフト・パワーという概念を用いて議論を展開したのです。

 1990年代、あまりに粗雑な「文明の衝突」論を提示したサミュエル・ハンチントン教授に正当な批判を加えています。

 彼は、現在のジョージ・W・ブッシュ政権の乱暴な運営・世界戦略の行き詰まりを打開するアイデアを世界に提供している知識人の一人です。

 この理論は、以下の考察が示している通り、現代日本にとって、極めて示唆に富み、最良の哲学の一つにほかなりません。

つづく