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日本変革のブループリント





<第一章 官僚主義を脱して(7)>


佐藤清文
Seibun Satow

掲載日:2007年1月元旦


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。



全体目次



3節 新たな公共性としてのコモンズ

1 コモンズとは何か

 こうした新たな公共性は「コモンズ(Commons)」の復権によって可能になります。この概念は、一般には、あまり聞き慣れないかもしれません。

 解説もせず、すでに何度か触れてきましたが、実は、「コモンズ」に関して、2004年3月15日、宇沢弘文同志社大学社会的共通資本研究センター所長を中心に長野県総合計画審議会が『未来への提言〜コモンズからはじまる、信州ルネッサンス革命〜』として答申を提出しています。

 それは、「社会的共通資本をも含めた希少資源の最適な配分、持続可能な経済発展を実現するためには、社会的共通資本を実際に管理し、運営する主体として、どのような社会的制度ないし管理的組織を想定すればよいのだろうか」という問いかけへの応答です。


 コモンズは、元々の意味は、近代以前のイングランドとウェールズにおいて、牧草地管理を自治的に行う制度のことです。一六世紀から一八世紀にかけて、地主がこれを一方的に囲い込んで私有地化し、資本主義が勃興しています。

 古典派経済学の巨人の一人ジョン・スチュアート・ミルは、資本主義がもたらす諸矛盾の解決策の一環として、コモンズの復活による「土地改革運動」を推進しています。「改革」は、別に、新奇さを意味しているわけではないのです。


 これは英国に限った制度ではなく、その開放度に違いがありますが、世界中に見られます。

 それを総称するために、現代では、「コモンズ」という用語が使われます。

 「コモンズは、さまざまな形態をとるが、いずれも、ある特定の人々が集まって協働的な作業として、地域の特性に応じて、持続可能なかたちで社会的共通資本を管理、維持するための仕組みである
(『未来への提言』)

 若きカール・マルクスも、『ライン新聞』の記者時代、ラインラントのコモンズを擁護する記事を書いています。


 もちろん、日本にもこうしたコモンズの伝統はあります。明治以前、日本各地に「入会地」がありました。

 村落共同体が、村落の外枠にある山林原野において、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を慣習的に行っており、その権利を「入会権」と言い、入会権が設定された土地が「入会地」なのです。

 地域によっては、これが漁場の場合もあります。

 その利用及び管理に関するルールは各村落によって微妙に異なりますが、所有権が複合的・重層的である点は共通しています。

 近代体制では、所有権の明確化が求められますから、明治以降の民法には、各種の訴訟では認められているものの、「入会地」という概念は消されてしまいました。


 「自然環境をコモンズにより巧みに管理し、その機能を永続的に維持しようとする営みは、ある意味では人類の歴史とともに古いといってよい。

 対象となる自然環境あるいは自然資源の特性に応じて、また、そのときどきの技術や経済、法制的条件に順応して、固有な制度を形成し、固有のルールにしたがってコモンズは機能してきた。

 日本の歴史的体験に照らしてみても、さまざまな形態をもった経営・管理組織がつくられ、機能してきた。特に、森林、溜池灌漑、漁場に関する入会の制度はその典型的なものである。

 たとえば、ある一つの村落が中心になって森林を管理し、一定のルールにしたがって利用し、あるいは労力を提供して森林を持続可能なかたちで維持するものが森林に関する入会である。

 伝統的なコモンズは、地域ごとに、「結」、「講」、「小繋」、「衆」、「組」など、さまざまな名称で呼ばれ、長い歴史的な過程を経て、進化・発展を遂げてきた。

 しかし、産業革命を契機として、工業化を最も効率的に進展させるための組織、制度がきわめて早いペースで普及し、近代合理主義的な政治哲学にもとづく近代国家が形成される中で、伝統的なコモンズは、前近代的、非効率的なものとして排除されていった。この歴史的傾向は、二十世紀に入っていっそう加速された。

 特に、第二次世界大戦後における経済発展の過程を通じて、農業の比重が大きく低下するとともに、世界の多くの国々で、伝統的なコモンズは消滅の一途を歩み続けていた。

 日本においても、明治以降近代的な法体系が整備されていく過程で、入会制のような、私的所有関係が明確でない制度は徐々に廃止されていったのである。」


                     『未来への提言』

 アイヌにも、こうしたコモンズの制度があります。無残にも破壊された二部谷はまさにかけがえのないコモンズだったのです。アイヌは、多くを奪われながらも、コモンズを守り続けてきたのですから、むしろ、その知恵から学ぶべきだったのです。

「ところが、資本主義と社会主義という二つの経済体制の対立、相克が、世界の平和をおびやかし、自然環境の破壊と社会的、文化的環境の荒廃を引き起こすに至り、1980 年代から現代にかけて、伝統的なコモンズが果たしてきた役割、すなわち希少資源を持続的、安定的に管理、維持していく機能が改めて評価されるようになってきた。

 今から十年ほど前には、コモンズの研究に関する国際的規模をもった学会がつくられた。そこでは、世界中に存在し、自然環境を持続的、安定的に管理、維持している社会的組織を総称してコモンズと呼ぶこととされ、以降、コモンズに関する詳しい研究が進められている。

 これは、コモンズが管理、維持する対象を、自然環境から社会的共通資本へと、より包括的な概念範疇のなかで考察し、社会の持続的な経済発展の可能性を模索しようとする動きへと展開し、社会科学、自然科学を通じて、一つの大きな流れになりつつある。


 資本主義や社会主義は、一つの国あるいは社会の有する歴史的条件を軽視し、その文化的、社会的特質を切り捨て、自然環境を犠牲にしてきた。歴史的な世紀転換期における現在、こうした資本主義や社会主義の行き詰まりを克服する必要がある。

 このとき、自然環境をはじめとする社会的共通資本の管理、維持にあたり、それぞれの置かれた社会、経済、法制などにかかわる諸条件について充分に配慮し、持続可能なかたちで管理、維持するための制度、組織として展開されてきたコモンズの考え方は、ゆたかな社会を実現するために基本的な役割を果たすものである。」


                      『未来への提言』


 実際、コモンズは、グローバルな規模で、再認識されています。レバノン南部のベカー高原では、2005年12月7日付『朝日新聞』によると、内戦により荒廃した湿原や森を「ヒマ」と呼ばれるアラブ伝統のコモンズによって再生しています。

 「ヒマ」の機嫌は6世紀のアラビア半島に遡るとされ、その意味はアラビア語で「保養地」です。泉や緑地の一部を部族あるいはコミュニティの共有地とし、水や燃料の供給源として保全しています。乾燥地域にもかかわらず、農耕が続けられてきたのは「ヒマ」のおかげなのです。

 自然を保護するには、先人の知恵に学ぶべきだというわけです。英語で、「住民」を「インハビタント
(Inhabitant)」と言い、それは同じ習慣を持つ内部の人という意味です。住民がコモンズという習慣を復活させたのです。

 この高原は野鳥や渡り鳥の水飲み場でもあり、エコツアーにも期待されています。コモンズは何世紀にも亘って人々に「ゆたかさ」をもたらしてきました。近代文明とは年季が違うのです。持続性を考慮するならば、コモンズに回帰するのは自然の流れでしょう。

つづく