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化学物質の安全性は誰が調べるのか
〜欧州の挑戦 REACHと遅れをとる日本〜


鷹取 敦

掲載日:2007年4月5日



●実は多くの化学物質の安全性は分かっていない

 製品の製造などに使われている無数の化学物質。メーカーや公的機関によって安全性が確認されているものが使われていると思われている方は多いのではないだろうか。

 しかし化学物質の安全性は、私たちが思っている以上に調べられてすらいない。新しい化学物質については日本でも欧州でも安全性テストが義務づけられているため、それなりにデータは存在するが、「既存物質」については安全性が確認されていないのである。

 例えばナディア・ハヤマ博士は、今日知られている約104,000種の化学物質の全ては1981年以前から製造・使用されているが、これらは「既存物質」として安全性のテストが行われたことがない、と指摘している。資料2)

 日本でも化審法(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律・1973年)により新規化学物質については毒性についての一定の審査が行われるようになった。化審法施行時点で使われていた化学物質については国が安全性点検を実施することとなっているが、その後30年以上経過した現在に至っても約2万種類のうちたったの数百種類しか毒性試験が行われていない。

 このように既存の化学物質の安全性は、国等の公的機関が調べることになっていたが、新規の化学物質よりはその種類が少ないとはいっても、その数は膨大であり、公的機関の予算(税金)とマンパワーではとても調べきれないというのが現実だ。

 また、化学物質に関する法制度は「安全性」という点に限っても多岐にわたり複雑である。例えば日本では「化審法」、「毒物及び劇物取締法」、「家庭用品規制法」、「労働安全衛生法」、「薬事法」、「食品衛生法」、「農薬取締法」など数多い。そのためにかえって網羅しきれず抜け穴が生じる場合がある。いわゆる縦割り行政の弊害でもある。どの法律でも網羅されていない部分は、どの官庁も所管していないから、仮に被害が生じている場合や被害が生ずるおそれがある場合で自分達に責任はないのだと言い逃れすることが可能となるのである。


●迅速な安全性の把握を進めるために
  −欧州の新しい規制・REACH


 欧州委員会では、これらの問題を解決するために、長期に渡る議論と検討を経て新しい制度を今年スタートする。それが、前回のコラムで紹介したREACH(Regulation on the Registration, Evaluation and the Authorisation of CHemicals)である。筆者は2007年3月4日にNGOT・ネット、WWFがこの制度を紹介するために主催した「REACH欧州国際市民セミナー」に出席した。

 この制度は簡単にいえば、既存の化学物質について事業者が安全性(危険性)を調べて登録し公開することを義務づけるものである。情報は原則としてインターネット上で無料公開される。対象物質は3万種である。

 安全性は健康への影響と環境への影響の両面に渡って調べる必要がある。調査の対象物質の数は3万種に限定されているとはいってもその数は以前多いため、使用量の多いもの、リスクが高いと思われる物質から順次行われるように11年間のスケジュールが定められている。

 その後、登録されない物質、つまり安全性が分からない物質は使うことが出来なくなる(ノーデータ・ノーマーケットの原則)。リスクが高い物質についても社会的・経済的便益とのバランスを考慮した上で、代替可能な物質が存在する場合には不認可となり使用することが出来ない。

 この制度で複雑な既存の制度をおきかえることにより、化学物質の安全性に関わる制度がわかりやすくシンプルになり、化学物質の安全性に関わる情報が容易に入手できるようになるとともに、より危険性の低い物質へのおきかえが促進されることが期待される。


●経済への負担ではなく利益

 日本では、このような制度は事業者への負担が大きく経済にマイナスであると評価されがちだ。しかし、欧州委員会は最も控えめな仮定の下で化学物質に関連する病気が10%減れば社会が受ける利益は10年間で500億ユーロ(約7.5兆円)と見積もっており、またREACHは今後25年間で950億ユーロ(約14兆円)の新たな利益をもたらすとしている。資料1)

 この制度のアメリカへの影響について、ダリル・ディッツ博士(アメリカ)は、アメリカが国際的化学物質政策のリーダーシップを失うことを指摘し、さらに、欧州域外の国、事業者、国民がREACHから利益を受けると述べた。 資料3) 。率先して規制を実施した欧州が市場をリードし、アメリカや日本など後れを取った国は結果として経済的な機会をも損失するということである。

 地球温暖化対策のための規制を率先して行ったものが世界の市場をリードするという状況と同じ構図が予見されている。

 日本も一時期は、厳しい公害規制を課して公害対策を率先して行ったことにより、環境対策について優位な立場を得ていたこともあるが、残念ながら現状は経済への「影響」を懸念して積極的・効果的な環境対策・規制が行えているとは必ずしも言えない。このような状況は環境問題の解決・改善を先送りにするだけでなく、結果として産業の将来的な競争力を弱める結果となることが懸念される。


●REACHのアプローチで網羅できない深刻な問題

 以上が、シンポジウムで指摘されたことの概要である。REACHの制度自体に未だ課題があるものの、大きな前進であることは間違いないだろう。

 しかし課題を解決したとしてもREACHのアプローチだけでは限界はある。

 たとえば、数万種の化学物質の安全性を個別に調べても、化学物質の組み合わせ(事実上、無限の組み合わせが考えられる)による複合暴露の危険性を把握することは不可能である。

 また、製品の製造に使用していない化学物質、意図せずに生成するもの、たとえば廃棄物の焼却に伴って生成される化学物質は数十万種類とも言われるが、これらの安全性の調査はREACHの対象ではない。

 そのように「把握することが不可能な」リスクが、個人の健康・生命に止まらず社会・経済に与える影響を回避するためには、化学物質の種類、使用する量、環境への排出、廃棄を含め、可能な限り抑制するという方法以外にはない。

 もちろん、現代社会において全くゼロにすることは非現実的である。そのため、化学物質を使ったり生成したりする機会を出来る限り少なくすること、そして少なくとも有害な可能性のある化学物質が存在する場所と食べ物、水源など汚染されてはならないもの、幼児、子供、病院等の施設を出来るだけ近づけないことも重要である。

 最近、非常に高濃度に汚染された東京ガス跡地への小学校の移転(田町)と、築地市場の移転(豊洲)の計画の問題が報道された。いずれも上記の考えからみれば、仮に万全を期した対策、詳細な調査をした場合でも、回避すべきであることは明らかである。

 また、水源地への廃棄物処分場の立地は、その施設が「万全」のものであっても避けるべきだし、規制対象物質以外にも、毒性があきらかなもの、あきらかでないものも含めた数限りない化学物質を生成しつづけている廃棄物の焼却は可能な限り止めなければならない。


 日本が今後取り組まなければならないのは、REACH的なアプローチによって、使われている化学物質の安全性(危険性)をそれを使う事業者の責任において早急に明らかにすることとともに、それでも網羅しきれない部分は出来るだけ事前にリスクを最小化するための配慮をおこなうことを義務づけるための法制度を整備することである。

 もちろん、これらの制度を決める際には、行政と事業者と学者の意見だけでなく、当事者である国民を含めて透明性のある開かれた議論を行い、その意見を広く反映することが必要であるのは言うまでもない。


資料:REACH国際市民セミナー資料より

1)Introduction REACH, The New Chemicals Legislation for Europe, REACH Seminar, 4 March 2007, Cristina de Avila, DG Environment, European Commission

2)REACH:Alive but not kicking, The essentials of the EU chemicals reform, Dr.Nadia Haiama, EU chemicals policy director, Greenpeace European Unit

3)Effects of Europe's REACH in the United States, Daryl DITZ, Ph.D.,Senior Policy Advisor, Chemicals Program Center for InternationalEnvironmental Law, Washington DC USA